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『不意打ち』

 この時期のエレベーターは少し嫌だな。

 人が多いとムッとして色んな匂いが混ざり合う、でも一階から乗ったエレベーターは貸切で少しホッとした。

(このまま誰も乗って来なければいいのにな)

 けど世の中そんな甘くない、上昇が止まり三階で止まってしまった。

(臭いオジサンとかじゃなければ全然オッケーだけど……)

 かのこは以前に口臭のキツイ人とエレベーターで鉢合わせになったことを思い出して身震いした。

「あ……」

 思わず声を上げそうになって慌てて言葉を呑みこんだ。

 スーツ姿の男性が二人乗り込んで来るとかのこは軽く会釈して操作盤の方に寄った。

「何階ですか?」

「七階、お願いします」

「八階で」

 七階のボタンを押して軽く息を吐いた。

 八階はかのこが降りる階で既に点灯している。

 あれ……会議とかだっけ?

 斜め後ろのよく知ってる気配に気を取られながら閉ボタンを押すとエレベーターはゆっくり上昇を始める。

 エレベーターはすぐに止まった。

 扉が開くと七、八人が一気に乗り込んで来て箱の中はあっという間にいっぱいになった。

(すごい……圧迫感)

 体の小さいかのこはさらに隅に追いやられ、視線を足元に落とし何とかやり過そうとした。

「何階ですか?」

「七階、お願いします」

 扉が閉まるとさらに圧迫感が増したような気がした、けれどかのこは直ぐに他のことに気を取られてしまった。

(え……嘘……)

 後ろに回していた左手を誰かに握られた。

 最初は軽く指が触れる程度、けれどすぐに指を絡めてしっかりと繋がれる。

 よく知っている大きな手、ほんの少しだけ触れ合う左半身にドキドキしていたのにさらに心拍数が上った。

 足元に落としたままの視線を左にずらせば自分のほんの少し向こうに磨かれたダークブラウンの革靴が見える。

 見覚えのある靴、同じメーカーの靴ばかりで揃えているって何かの話をしている時に言っていたことを思い出す。

(あれもきっと……高いんだよね……)

 一体いくら何だろうと下世話なことを考えていると体に浮遊感を感じた。

 そして静かに止まり扉が開き、右手で開ボタンを押さえる。

「それじゃ、お先に」

「えぇ、また」

 短い言葉を交すのを聞いている間も二人の体に隠れるように繋がれた手は解かれることはなくて気付かれてしまうのではないかとヒヤヒヤした。

 誰も乗って来ないことを確認して閉ボタンを押す。

 ゆっくり閉る扉を横目に見ながら顔を上げるとすぐに目が合った。

「びっくり……した」

「何が」

「だって……手、繋いだりするから……」

「嫌なのか?」

「ううん」

 まだ繋いだままの和真の親指がかのこの親指を優しく撫でる。

 七階から八階へのほんの束の間の時間、言葉はないのに幸せに満たされていくのを感じた。

(このまま止っちゃえばいいのにな……)

 そんな不謹慎なことを考えていてもエレベーターはすぐに八階に止まってしまった。

 かのこは少し残念そうにしながら右手で開ボタンを押して和真が先に降りるのを待った。

「残業するなよ。今日は早く終れそうだから飯食いに行くか」

 スルッと手が解かれた寂しさも感じない、絶妙なタイミングでのこの言葉……。

 かのこはエレベーターを降りるのを忘れてしまいそうになりながらも慌てて降りると少し先をいつもよりゆっくり歩く和真の背中が見えた。

「如月課長! 打ち合わせだったんですかー?」

 あくまで部下の声で呼び止め、エレベーターの中の時よりも少し離れた隣りを歩く。

「菊原さんはお使いですか?」

「はいっ」

 互いに顔を見合わせて微笑みあう。

 その笑みの本当の意味を知っているのは自分達だけ……二人はいつもよりもゆっくりと職場へと戻っていった。

end


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