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『その時を待つ一瞬』

 パタンと控えめに扉の閉まる音。

 ようやく張り詰めていた息を吐き、伏せていた瞼をソッと持ち上げた。

「――ッ」

 大きな鏡に映し出された自分の姿に息を呑み、もう一度確認しようとゆっくりと瞬きをした。

 いつもより重みのある瞼は睫毛のせいなのか、明らかに印象の違う目元に気をつけながら鏡の中の自分をジッと見つめる。

 こんなに色が白かったっけ……。

 ふとそんなこと思いながら頭上で光を浴びキラキラしている小さめのティアラに視線を移す。

 綺麗……心の中で呟いたその言葉はティアラに向けられたものではない、初めて通ったエステの甲斐があったのかそれとも優秀なヘアメイクさんのおかげなのか鏡に映る自分は輝いて見える。

 だがそれ以上に輝いているのが自分を包み込んでいるもの、銀糸で繊細な刺繍が施された豪華な純白のウェディングドレス。

 幼い頃の記憶の中にある花嫁さん、鏡の中の私はそのものだった。

「フゥ……」

 緊張のせいか強張る体から力を抜くために小さく息を吐くがあまり効果はなく膝の上で重ねられた指は落ち着きなく動いている。

 大丈夫かな……。

 不安と緊張と喜び、その三つが胸の中で境界をはっきりしない形であった。

 この部屋に入って二時間、少しずつ変化していく自分の姿に最初は期待で弾んでいた心はまるで着ぐるみでも着るかのようにセットされたドレスの中へ足を踏み入れた途端、緊張へと変わり不安が生まれた。

 何に対する不安なのか自分でも分からない。

 ただ普段と違う容姿の自分に戸惑っているだけなのか、それともこれからの数時間が滞りなく進むかという心配なのか、その理由がはっきりしないことへの苛立ちからなのか。

 いくら考えても答えの出ない問いを何度も繰り返す。

 ――コンコン

 思考を中断させた控えめなノックに私は「はい」と扉の向こうに聞こえるように返事をした。

 私は鏡越しに扉が開くのを待った、だがすぐには扉は開かれず再び口を開きかけるとキィと小さな音が聞こえた。

「あ……」

 自分でも分かるほど間抜けな声を出し、入って来た雅樹と目が合うとサテン地のロンググローブに包まれた手が震え始めた。

 黒のタキシード姿の雅樹がゆっくり歩くコツコツという音がやけに大きく聞こえる。

 ほんの数歩のことなのに二人の距離がちっとも縮まらないような気がして酷くもどかしい。

「…………真子」

 もう何度も聞いているその声がいつになく掠れている。

 すぐ後ろに立ち鏡越しに私を見つめるその瞳の力強さに惹かれるまま膝の上で手持ち無沙汰だった左手を上げた。

「どうした、震えてる」

 意図を理解して握ってくれた雅樹が小さく笑い、それから空いている方の手が優しく肩に乗せられた。

 それからどのくらいだろう。

 黙ったまま見詰め合っていた私達だったが、最初に沈黙を破ったのは雅樹だった。

「やっぱり……アレ、だな……今日が一番綺麗、だな」

 苦笑いする雅樹の言葉に私の口元には自然な笑みが浮かんだ。

『こう何度も見てたら興醒めだな』

 ドレス選びの際に何着も試着を重ねた、毎回それに付き合っていた雅樹が呟いたその一言にスタッフの方が凍りついてしまった。

 数日前に済ませた前撮りもスケジュールに追われるまま淡々と撮影を済ませてしまい感想らしい感想もなかった。

 そして当日を迎えた今、雅樹が目元を赤らめて呟いた言葉。

「雅樹もカッコいいよ」

 そう言ってからいつの間にか手の震えが止まり強張っていた体から力が抜けていることに気が付いた。

 そして、鏡の中の雅樹をジッと見つめる。

「どうした?」

「一緒にいて、ね?」

「あぁ」

 安心させるように強く握られた手、雅樹が側にいることでこれほど自分が安心するとは思っていなかった。

 改めてそう気付かされたのは三日前から実家に帰っていたせいかもしれない。

 毎日のように電話を掛けてきてくれてその時はまるで付き合い始めた高校生みたいね、なんて雅樹をからかっていたけれどこの静かな部屋に一人きりになった途端に感じた不安。

 それは多分……雅樹が側に居ない不安。

「真子」

「ん?」

「今日は……一緒に帰れるな」

 その一言に私は黙って頷いた。

 十年を埋めるにはまだまだとても足りない時間しか過ごせていない私達、それぞれが抱えた小さな不安が取り除かれる日はきっと近い。

end


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