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『ミモザ』
「あぁっ!? ど、どどどどしよう……」
「どうした?」
取引先へ向かうため歩いていた中尾徹哉は隣でオロオロし始めた後輩に足を止めた。
「すんません! 契約書、机の上に置きっぱなし……」
「アホ! あれほど確認しろって言っただろうが! さっさと取って来い!」
「ハ、ハイッ! すんません、すんません……」
初めての教育係となり仕事の覚えはいいがそそっかしい所のある後輩について一年が過ぎた、そそっかしさは相変わらずの後輩がペコペコと頭を下げながら会社に戻る姿を眺めながらため息をつく。
タバコに火を点けて深く吸い込んだ煙を細長く吐き出す、薄い煙は春の風に乗ってすぐに消えてなくなった。
その煙を見るでもなく視線を泳がせていると信号の向こうの黄色い花を咲かせた木に目が留まった。
木全体を黄色く染めるその花はずっと昔の記憶を呼び起こす。
「よく三年になれたよなぁ、なんか裏ワザでもあるのかよ」
「裏金だよ、金」
「マジかよ!?」
「なわけねぇだろ……バカじゃん」
晴れて三年に進級出来た親友の雅樹は始業式から二日目、ようやく学校へ来ると自分が何組か分からないと言いながら真っ直ぐ俺の所に来た。
俺達は自販機でパックジュースを買い、いつものように渡り廊下で軽口を叩いていた。
「あぁ……だりぃ」
空になったパックジュースをベコベコと音をさせていた雅樹がゴミ箱に的を定めて振りかぶった。
だがその手は上げたまま動かない。
「どうした?」
「いや……何でもねぇ」
雅樹は言葉を濁したがジッと見ている視線の先を追いかけた。
そこには自販機の側に立つ真子ちゃん、ジュースを買う友達と話しながら近くに咲いている黄色い花を指差している。
「そういや、お前七組な。真子ちゃんと同じクラスだぞ」
「真子?」
「……? ほら、あそこにいるだろ」
てっきり俺は真子ちゃんを見ていると思っていて、その反応に少し不思議に思いながら真子ちゃんを顎で示した。
雅樹は抑揚のない声で小さく返事をしたが、ほんの一瞬だけ口元を緩めたのを俺は見逃さなかった。
「テツ、お前は?」
「あ? あぁ……俺は六組」
「ふぅん」
聞いた意味があるのか分からないほど興味のない返事をした雅樹はストローを噛みながら、見ていないような素振りで数メートル先にいる真子ちゃんの方を見ている。
雅樹、お前まさか……。
思いもしなかった想像が頭をよぎると胸の奥がチクンと痛む。
その小さな痛みに動揺を感じていると真子ちゃん達がこっちへ歩いてきた。
「中尾くんおはよう!」
「おはよう、真子ちゃん。雅樹の奴に何かされたらすぐ俺に言ってねー」
「何かってー?」
アハハと可愛い声で笑う真子ちゃんの視線は俺ではなく、隣で視線を逸らした雅樹を追っている。
「そうだ、さっき何話してたの?」
「えっとねぇ、ミモザの花が綺麗だねって!」
俺の質問に答えた真子ちゃんは振り返りながら自販機の側に咲いている黄色い花を指差した。
雅樹は話に加わらずパックジュースをゴミ箱へと放り投げると、乱暴な足音を立てながら教室とは反対の方向へと歩き出す。
「……せ、瀬戸くん。同じクラスだから……よろしくね?」
「おぉ」
真子ちゃんが横を通り過ぎる雅樹に向かって話しかけると、雅樹は物凄く素っ気無い返事をして足も止めずに歩いて行った。
この時二人の頬がほんの少し染まっていた事に気付いたのはきっと俺だけだったと思う。
それからしばらくして二人が付き合い始めたと知った時、あぁ……やっぱりと思いながら俺はいつになくぶっきらぼうに返事をしただけだった。
「中尾さん! お待たせしましたっ!」
「おぉ、んじゃ行くか」
「さっき課長に来月のゴルフ俺が行けって言われたんですけど、中尾さん代わりに無理ですか? 俺にはまだ早いと思うんですよ」
「あー悪い、その日結婚式なんだ」
「中尾さん、結婚するんすか!?」
「アホか。友達だよ。高校ん時から付き合っててようやく結婚だよ」
「高校の時から? はぁー純愛ってやつですか」
あの日の二人のことと一緒に思い出してしまった小さな胸の痛みは煙と一緒に吐き出す。
そして風に揺れるミモザの花を横目に見ながら歩き出した。
胸の奥の小さな想いは春の風に乗せ遠い遠いあの眩しかった夏の空へと飛ばす、ようやく一歩踏み出せるそんな気がした俺に幼顔の俺が「バカだな」と呟いて笑った。
end
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