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『愛・哀・相』

「響くん、さっきの約束忘れたら嫌よ?」

「もちろんです。永井様とお食事出来るのを僕も楽しみにしています」

「また来るわ、それじゃあね」

「ありがとうございました。お気をつけて……」

 和服の後ろ姿を見送りながら頭を下げる。

 小料理屋の女将をしている永井様は俺がこの店に来た頃から贔屓にして下さり一流の男になるには一流の物をと月に数回食事に誘われる。

 若い子のように無理に流行りの話題を探したり騒いだりしなくていいから俺にとってはとてもいい客だ。

 永井様の姿が見えなくなると店の中へ戻った。

 指名もヘルプの予定も入っていないからどうしようかと思っていると店の一番奥から手を振られた。

 手こそ振り返さなかったが頭を下げてそこのテーブルへと向かう。
 
 俺の視線の先にはこの店の顔とも呼べるナンバーワンホストの陸さん、そして寄り添うように隣に座るのはこの店の常連の一人でもある麻衣さん。

 店の極秘扱いだがこの二人は恋人同士だ。

 好きとか嫌いとか愛とか結婚とか……俺はそんな事はまったく興味がなかった。

 誰かを好きになったりなられたりましてや結婚なんて……と思っていたけれど二人を見ているとそういう形のないものを信じてみようかと心を動かされる。

 二人が互いを見る眼差しは優しさに溢れていてあんな視線を向けられるのはどんな想いなんだろう。

 幸せという形のない感情を感じられるのだろうか。

 そしてテーブルにはもう一人。

 二人の向かい側に座るのは俺がバカだと思っている男、明るい茶髪に八重歯と根っからの明るさがウリの悠斗だ。

 俺はアイツの気持ちを知っている。

 まだアイツは麻衣さんの事が好きだ、どんなに頑張っても叶わないと分かっているのにその気持ちを捨てきれずひた隠しにしてまであの二人の一番近くに居ようとする。

 前にどうしてなのか聞いたら悠斗は「二人とも大好きなんだ、俺にとって大切な人達なんだ」そう言いながら少し哀しい目をして笑った。

 俺にはまったく理解出来ない。

 どうしてそんな意味のない事をするのかどうして自分の苦しさを隠してまで……。

 悠斗はバカだと思う、でも俺はそんなバカな悠斗が羨ましい。

 俺とは違い形のない人の感情という不確かな物を信じることが出来る。

 悠斗のようになれたら……。

 いや、俺は悠斗のようになれるわけがないんだ。

「響くん、こんばんは」

「こんばんは、麻衣さん」

 テーブルに着いた俺は悠斗の隣のスツールに腰掛ける。

 可愛らしくて穏やかな雰囲気の麻衣さんがにっこり微笑むとこっちも自然と口角が上がる、本当に麻衣さんは不思議な人だ。

「ねぇ、響くん。また家で食事会やるんだけど……来れないかな?」

「あ……」

 たまに開かれる陸さんの部屋での食事会は麻衣さんの手料理が食べられると店の連中は喜んで参加しているが俺はまだ一度も参加した事はない。

 俺は……。

「お前さぁ、付き合い悪い! 今度は参加しろって」

 バンッと悠斗に背中を叩かれる。

「お前が言うなお前が……誰の部屋だと思ってんだよ」

「陸ー、料理作るのは私でしょ? 響くんの好きな物何でも作るから! ねっ、暇なら来て?」

 俺は行ってもいいんだろうか。

 俺は自分の望みを……。

「じゃ、じゃあ……エビフライを」

「来てくれるの?? 嬉しいっ! エビフライたくさん作って待ってるからね」

「麻衣ーなんでそんなに嬉しそうなんだよ」

「だってみんなで食べた方が美味しいでしょ? 陸だっていつも響くんが来ないのを気にしてたくせにぃ」

 陸さんと麻衣さんが顔を寄せ合って笑い合う。

 隣に座る悠斗が膝で俺を突付いてからかうようにニヤリと笑う。

 俺はこの人達といる時だけは優しい気持ちになれる、それがずっと続いたら俺は愛を信じられる日が来るのだろうか。

 そんな日が来たらいい。

「ったく辛気臭い顔すんなって! ほら飲めって!」

「だから、お前が言うなお前が! 誰が金払うと思ってんだよ」

 悠斗と陸さんの声を聞きながら胸に灯った小さな希望に少しだけくすぐったい気持ちでグラスに手を伸ばした。

end



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