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『花火の後』
「ただいまー」
玄関を開けて声を掛けた同時に奥の方からドドドッと慌しい足音が聞こえた。
「珠子ォ!お帰り、無事だったか?帰ってくるまで心配で心配で」
拓朗は珠子の体を力いっぱい抱きしめた。
「お兄…ちゃ…苦し…ッ」
口も鼻も塞がれた珠子は腕の中でもがいた。
「ったく!俺が付いてんだから心配することなんてないだろ」
庸介は拓朗の腕を解いて珠子を助け出した。
今度は庸介の腕の中にすっぽりと収まった珠子はボッと顔を染めた。
「お前のそばが一番危ねぇっつーの!」
拓朗と庸介がいつもの会話をする中で珠子は顔を真っ赤にして俯いている。
大人しくなった珠子に庸介は後ろから顔を覗きこんだ。
「タマ?どした?」
庸介の顔がすぐそばまで迫ってドクンと胸が大きく跳ねた。
ドクンドクンッと心拍が上昇していくと耳からうなじ、指先までが赤く染まっていく。
「き、着替えてくるっ!」
バタバタッと珠子が階段を駆け上がり部屋のドアがバタンッと勢いよく閉まった。
庸介はクスクス笑いながら玄関に上がった。
「おい…」
和室に向かう庸介の後姿に向かって拓朗が声を掛けた。
拓朗は眉の辺りをピクピクさせながら睨みつけたが振り返った庸介の顔は溢れ出る笑みを隠そうとしていなかった。
「おま、おまっ、おまっ…」
拓朗は呆然としながら庸介の後を追った。
それを無視して庸介はスキップしながら和室へと入った。
「何をしたーーーーーッ!」
「キス…しちゃった」
部屋に入った珠子はペタンと床に座り込んでいた。
震える手で唇に触れた。
まだ庸ちゃんの温かい唇の感触が残っている。
「レモンの味なんかしなかった…」
あんなの嘘だったんだ。
自分はこんなファーストキスがいいなんてマンガを読みながら想像したことは一度や二度じゃなかった。
でも全然違った。
不意打ちみたいなキスだった。
それでも離れた後の庸ちゃんの目が優しくて今まで一番優しい目をして笑ってくれた。
それが恥ずかしくて庸ちゃんの顔をまともに見れなかった。
―コンコン
小さなノックの後に聞こえたのは優しい声。
「ターマ。入るぞ?」
エッ…嘘、どうしよう。
返事を出来ずに戸惑っていると静かに開いたドアの隙間から庸ちゃんが顔を出した。
「なんだ、まだ着替えてなかったのか?」
「う、うん…」
やっぱり顔が見れないよぅ。
どんな顔していいか分からずに庸ちゃんに背を向けた。
「睦美さんがスイカ切ってくれたから着替えて下りて来いよ!」
庸ちゃんの大きな手がクシャクシャと頭を撫でてそのまま部屋を出て行った。
ドアがパタンッと閉まった。
ホッと息をつきながら胸の奥がチクンとするのを感じた。
なんであんな普通の顔が出来るの?
自分ばかりがいっぱいいっぱいでそれが負けているようでだんだん悔しくなってきた。
「絶対メロメロにしちゃうんだからっ!」
両手を握り締めて気合を入れた。
その声をドアの向こう側に立っていた庸介が声を殺して笑う。
「お手柔らかにな?」
とっくにメロメロって事は胸の奥深くにしまい音を立てずにその場から離れた。
end
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