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『竜vs陸』
車を駐車スペースに入れるのももどかしくて門の前に横付けするとチャイムも鳴らさずに家に飛び込んだ。
「麻衣!麻衣!」
名前を呼びながら足は真っ直ぐリビングへと向かう。
「早かったね?」
明るいリビングに入るとソファに座っていた麻衣が顔を上げた。
返事するのも忘れて部屋をぐるりと見渡した。
あれ?居ない…。
部屋には麻衣と向かい合うように座る竜さんと美紀さんの姿だけであの男の姿は見当たらない。
「奏太なら帰ったぞ?ったく余裕ねぇな〜」
キョロキョロする俺を見て笑ったのは竜さん、麻衣は苦笑いを浮かべている。
クソッ…格好悪ぃ…。
「陸、陸!新しく出来たケーキ屋さんで買って来たの!一緒に食べよ?」
麻衣は明るい声で言いながらソファを叩いた。
テーブルの上には目にも鮮やかなケーキが並んでいたがそれを見て自分が手土産も持たずに来たことに気が付いた。
これじゃただのガキじゃんか。
情けなくて拳を握り締め座るのを躊躇していると立ち上がった竜さんが俺の肩に手を置いた。
「コーヒー淹れてやれ。その間ちょっとコイツ借りる」
竜さんは麻衣にそう声を掛けると付いて来いと歩き始めた。
一階の奥にある小さな部屋に連れて行かれた。
どうやら書斎らしいその部屋は座り心地の良さそうな革張りの一人用のソファ、壁にしつらえてある洋画のDVDやCD、本がズラリと並んでいた。
反対側の壁にはオーディオ機器が揃えられていた。
「仕事の方はどうだ?」
竜さんは腰窓を背にもたれながらタバコに火を点けた。
「ボチボチです」
当たり障りのない答えを返すと小さく笑われた。
こんな所にわざわざ呼び出すなんて一体何の話をするんだろうと不安になった。
その疑問はすぐに解決された。
「奏太がこっちに戻ってくる」
まだ先だがな…と付け加えるように言った。
動揺を悟られたくなくて視線は逸らせなかったが踏ん張って立つために奥歯を噛み締めた。
「この前の話は考えたか?」
「それは…」
「興味ないか?それとも花屋の夢は捨てられねぇか?」
「いえ…そういうわけでは…」
「なんだ?」
「もう少し今のオーナーの下でホストとして…」
「もう少し…あと何年だ?お前はまだ若いからな、まだ現役でいける。けどそんな自分が通用しなくなる日はある日突然やって来る。その時お前どうする?」
「それは…」
「別に俺は今すぐどうこうというつもりはない。ただお前の気持ちを確認しておきたい」
言葉が出て来ない。
悔しい、こんな時アイツだったら即答するだろう。
今の俺にはそれが出来ない。
「俺は経営者だ。まだ退くつもりはねぇけど俺の後を任せられる後継者を育てておきたい。仕事でこけて美紀や…麻衣に苦労はかけさせたくない、分かるよな?」
分かっている。
分かっているからこそ返事が出来ない。
「じ、自信がないんです。もう少し…せめてあと1〜2年ホストで経験を積んで…」
「自信なんていらねぇよ」
「え?」
「俺が聞いてんのはお前にやる気があるのかないのかだよ。何の実績もねぇのに自信がある奴なんてこっちから願い下げだ。俺が欲しいのは何度挫けても立ち上がれるやる気のある男だ」
一度も視線を逸らさずに真っ直ぐ見つめる竜さんの瞳はその言葉以上に俺に語りかけてくる。
ただのホストで終わらせずにその先へ踏み込む覚悟があるのか。
俺みたいなガキがやれる世界じゃないかもしれない…それでも俺は…。
腹に力を入れて背筋を伸ばして真っ直ぐ竜さんの瞳を見た。
「よろしくお願いします!」
頭を下げた。
いつも考えていたのは出来なかった時のいいわけだ。
時間をもらうことで逃げ道を用意していただけ、そんな弱い自分を見透かされていた。
「お前ならそう言うと思ってたよ」
いつの間にかそばまで来ていた竜さんが俺の頭を撫でた。
くすぐったいような誇らしいような複雑な感情に恥ずかしくて顔が上げられない。
「お父ちゃーーん!コーヒー冷めちゃうよー!」
麻衣の大きな声が響いた。
「ケーキ全部食われちまう前に行くか」
「はい」
先に部屋を出た竜さんの背中を見つめた。
その背中は誰よりも大きく頼もしく見えた。
こんな男になりたい、そしていつか…あなたを追い越すことが出来たら…それが俺の目標です。
end
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