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『休日返上?』

 不覚だった。

 何がってすべてがだ。

 ハンドルを握りながらもう何度目になるか分からない舌打ちをする。

 カラオケの練習にと繋いでラルクの新曲を繰り返し流していたがメロディーすらも口ずさむことが出来なかった。

 久しぶりの晴れ間にサングラスを掛けた顔は心なしか浮腫んでいる。

 今週はとにかく忙しかった。

 忙しいなんて愚痴をこぼそうものなら誠さんが阿修羅のごとき形相で睨みつけてきた。

 そんなわけで連日の同伴、アフターに加え阿修羅のプレッシャーを感じながら店内で相当のボトルを開けていた。

 そしてやたら長い一週間を終えて帰宅の途につくタクシーの中で込み上げてくる酸っぱさに途中で降りマンションに着いたのはもう空も白みかけた午前5時。

 酒とタバコと香水の染み付いたスーツを脱ぎ捨ててシャワーを浴びると体を拭くのも面倒でタオル地のバスローブを羽織り寝室へ向かった。

 だがどんなに疲れていても愛しい寝顔を見れば疲れなんか吹っ飛ぶ。

 そんなことを思いながら這う様にベッドに上がったがすぐに違和感に気付いた。

 ベッドに麻衣がいない。

 まさか落ちてる?とありえない想像をしながら念のためベッドの両側を確認した。

 スーッと頭が冷えるような感覚に襲われながらリビングへ向かいソファを確認したがいない。

 一緒に暮らすようになってから麻衣が何も言わず姿を消したのはあの一度しかない。

 けれどケンカをしたわけでも怒らせた覚えもなかった。

 昨日だって普通にメール…と思い出して慌てて脱衣所に置きっぱなしにしていた携帯を取りに戻った。

 携帯はメールの着信知らせるランプが点滅している。

 何通も来ていたメールをすっ飛ばして22:15に受信していたメールを開いた。

【遅くなったから泊まってくね。明日、なるべく早く帰るよ〜】

 メールが来ていた事は気付いていたがベッタリと客が側にいて見るタイミングを逃してそのままになっていた。

 そういえば実家に行くって言ってたっけ。

 居なくなったわけじゃないと分かってホッとしながら早く帰るという文字に当然だと呟きながら寝室へ戻った。

 携帯を充電器と繋ぐとベッドに突っ伏した。

 そして独り寝の寂しさなど感じる暇もなく眠りに落ちた。

「ん…」

 耳元で鳴る軽快な着うたに眉間に皺を寄せながら携帯に手を伸ばした。

 だが表示された名前に表情が一気に緩んだ。

 時間は14時を過ぎていて迎えに来てコールだろうとすぐに電話に出た。

「麻衣?」

 相手が話すより早く名前を呼んだ。

 寝起きのせいか声が掠れて甘えた感じになってしまったのが少し照れくさい。

「おはよー陸ちゃん」

 野太い声が鼓膜を震わせた。

 まどろみを気持ち良く漂っていた意識は突き上げられるように引き上げられ同時に飛び跳ねるように起き上がった。

「誰だ、おまえ?」

 警戒するように答えながらもう一度名前を確認したが麻衣の携帯からだ。

「やだなぁ〜忘れちゃったのぉ?私よー私ー」

「気持ち悪ぃ声出してんじゃねぇぞ。誰だ?答えろ」

 野太い声のおねえ言葉に不快感を露わにして威嚇すると電話の向こうから笑い声が聞こえてきた。

 カッとなって怒鳴ろうと息を吸った。

「ちょっと!やだっ!何してるの!?」

「麻衣ッ!!」

 少し遠いが聞こえてきたのは麻衣の声だった。

 男への言葉を飲み込んで力いっぱい麻衣の名前を呼んだ。

 向こうで何が起こってるのか分からないが激しいノイズが数秒続き静かになったと思ったら麻衣の声がした。

「陸?ごめんね?」

「麻衣!?大丈夫!?」

「え?う、うん…大丈夫だよ?」

 俺の勢いに圧倒されたのか電話の向こうの麻衣は間抜けな声を出している。

 事件に巻き込まれたとかじゃないのか?

 その証拠に麻衣の声からは緊迫したものは何一つ感じられない。

「奏ちゃんが勝手に電話したからびっくりしたでしょ?まだ寝てたんじゃない?」

 何だって!?

 聞き覚えのある…いや…忘れるわけのない名前が麻衣の口から聞かされて消えたはずの眉間の皺が深くくっきり現れた。

「今から帰るから待っててね」

「寝てて構わねぇぞ〜!麻衣は俺が送ってやるからよぉ」

 麻衣の声に被さるように聞こえてきた男の声と笑い声にベッドから飛び降りた。

「迎えに行くから待ってろっ!!」

 携帯に向かって怒鳴りつけると返事も待たずに電話を切った。

 それから一時間と少し。

 車はようやく麻衣の実家がある街に入った。

 あと10分くらいで着くと手短にメール打つと携帯を助手席のシートの上に放った。

 今さらあの男が出て来た所で二人の関係が揺らぐ訳がないと思っていても我を忘れて飛び出した。

 それはもしかしたら自信のなさの表れかもしれない。

 きっと麻衣はそんな俺を笑い安心させるように俺だけだと囁いてくれる。

 俺は笑って待っていられるほどの自信家じゃない。

 だから俺は…俺のすべてで麻衣にぶつかっていく、そうたとえクタクタに疲れて体が悲鳴を上げていてもね。



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