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『竜ちゃん』

 傘を差しても意味のない雨の中をタクシーから降りて足早に店の中に入った。

「おはようございます。まだすごい雨っすか?タオルどうぞ」

「おはよう」

 濡れた傘を傘立てに放り込むと差し出されたタオルを受け取りながらスーツを拭った。

 ビシッとスーツを着てフロントの中から頭を下げるホスト達も濡れている。

「あぁ…ひどい雨だ」

 ほんの数メートル歩いただけなのに裾はぐっしょり濡れて重みを感じた。

「今日の予約は?」

 声を掛けるとフロントがパソコンで予約を確認する。

「峰倉様からさきほどキャンセルのご連絡を頂きました。他にはありません」

「分かった。みんなを集めてくれ」

 そのまま奥へと歩いていく。

 最近店内を改装したばかりのフロアに足を一歩踏み入れて見渡した。

 壁も床に白に変えた。

 清潔感は出たが少し冷たい印象になりがちな店内を壁に飾られた気泡入りのガラスとそれを照らす間接照明の淡い光が柔らかい印象へと変えた。

 所々に置かれたグリーンもいいアクセントだ。

 デザインの打ち合わせに陸を同席させたことが功を奏した。

 −早いうちに決断させた方がいいな。

 次へのステップを頭に描きながら満足気に微笑んだ。

「オーナー、集まりました」

「おぅ」

 声を掛けられて皆が待つフロアの中央に立ち休業する旨を伝えた。

「寄り道せずに真っ直ぐ帰れよ」

 休みにはしゃぐホスト達にしっかりと釘を刺してタクシーに乗せると最後の一台を見送って店の明かりを消して施錠をした。

 待たせていたタクシーに乗り込む頃には雷雨に変わり激しさもいっそう増していた。

 −しまったな。

 窓に叩きつける雨と空を切り裂く稲光を見ながら対応の遅れに舌打ちする。

 もっと早く休業を決めていたらホスト達が店に来る前に休業を告げられた。

 そうすればこんな時に家を空けることもなかった。

 自宅に着くと玄関までの数メートルを駆け抜け中に入って鍵を掛けると脱衣所へ直行した。

 いつもならシャワーを浴びるのだが濡れたスーツを脱いでズボンを履くと上着を着るのももどかしく寝室へと急いだ。

 早足がいつの間にか駆け出していた。

 寝室のドアを開けるとキングサイズのベッドの中央がこんもりと盛り上がっている。

 薄手の羽毛の肌掛け布団は中身を大切に守るかのように丸くなっている。

 そっとベッドに上がり布団の上に手を置いて二度三度滑らせた。

「美紀…帰ったよ」

 優しく声を掛けると布団の下から手が伸びたのが見えて握り返した。

 −こんなに冷たくなって。

「出ておいで。大丈夫だから」

 もぞもぞと動き頭からすっぽり布団で覆われた美紀が姿を現した。

 涙で濡れて強張っていた顔は俺を見つけると少し和らいだ。

 震える体で手を差し出す美紀をすぐに抱きしめ二人の体を布団で包み込んだ。

「一人にして悪かった。もう大丈夫だ。俺がいる…俺がそばにいる」

 恐怖で強張った体を解すように冷たい背中をさすりながら安心させるように何度も囁いた。

 若い頃から雷恐怖症の美紀はこんな日は一人でいられない。

 少しくらいの雷なら何とかなるがここまで激しい雷の日に一人でいたことは俺の記憶の中にはない。

 だからこそそばにいてやるべきだったのだ。

「竜…ちゃ…」

「ん?ここにいるだろ?」

「体、冷えてる…。シャツ着ないと風邪ひくわ」

「美紀がいれば平気だ」

 そう言うと美紀の腕が強く自分を抱きしめてきた。

 背中に回していた手で髪を撫で両手で耳を覆うと美紀がようやく微笑んだ。

「これじゃ…竜ちゃんの声が聞こえない」

「聞こえなくても俺を感じるだろ?」

 その時窓をビリビリと揺らすような雷が轟いた。

 美紀はわずかに体を強張らせたが大丈夫と笑顔を見せた。

 俺はこの笑顔を守るためにそばにいたいと思うし、何があってもそばにいると30年以上前に約束をした。

 だから早く次の世代が育ってくれたらと心のそこから願わずにはいられない。

end


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