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『日本の夏』
学生達が夏休みに入った週末。
水平線に沈みかけた陽射しを浴びながら和真は車を北へと走らせていた。
助手席には恋人で部下でもあるかのこが座っている。
「ねぇ…どこ行くの?」
かのこは不安そうな声で呟いた。
それもそのはずかのこの目は布で覆われて視界が遮られていた。
頼りになるはずの聴覚も静かな車内の中では何の役にも立たなかった。
「ねぇってば…」
「黙ってろ」
なおも問いかけるかのこに和真は冷たく返した。
だがその顔はかのこには見えぬだけで声からは想像出来ない微笑を浮かべていた。
和真はハンドルを握り隣に座ったかのこを眺めた。
いつものカジュアルな格好ではなくピンク色の浴衣を着ていた。
まだ梅雨も明けぬ六月頃に浴衣を買ったと職場で話しているのを耳にしてはいたが実際に見たのは初めてだった。
「こんな事なら先輩達と行けば良かった…」
かのこが不満そうに独りごちるのを聞いた和真は口元に笑みを浮かべた。
そして高速の出口の表示にウインカーを出してハンドルを切った。
「ねぇ…もう取ってもいい?」
車を降りたかのこは目隠しをされ手を引かれるままに歩いていた。
視界が遮られてその歩き方は歩き始めたばかりの子供よりもおぼつかない。
和真は目隠しを外そうとするかのこの手を後ろで押さえた。
「大人しくしないと縛るぞ」
両手を後ろで拘束されたまま耳元で囁かれた。
すでに縛られているのと同じだったが和真の囁きには別の意味が含まれているように聞こえかのこは口を噤んだ。
「ねぇ…ここどこ?」
「もう着く。段差がある掴まれ」
質問には答えずに注意を促した。
かのこは和真に誘導されながら慎重に一段、二段と上りようやく座ることが出来た。
「暴れるなよ?」
隣に座った和真が耳元で囁くと突然大きな音がしてかのこは思わず和真にしがみついた。
そして大きな音と共にフワァと体が浮き上がるような感覚。
かのこは体を強張らせながら辺りの様子を窺った。
「か、和真…怖い…」
真っ暗な視界の中でかのこの不安は最高潮に達して今にも気を失いそうだった。
和真はジャケットの袖をギュッと掴んでいるかのこの手を安心させるようにポンポンと叩いた。
「そろそろいいか」
しばらくして和真はようやくかのこの目隠しを外した。
ゆっくりと目を開けたかのこは飛び込んで来た景色に言葉を失った。
目の前に…いや眼下に広がるのは光が煌めく夜景だった。
いつも見上げる事しかないツインタワーが今は自分よりも下に見えた。
「え…えぇっ!?」
目を丸くして窓の外を覗き込むと今度は隣に座る和真の顔を見た。
「こ、これって…えぇっ!?」
「ヘリに乗るのは初めてか?」
「あ、当たり前ですっ!」
余裕のある和真とは違いかのこはさっきよりも体を強張らせると和真にすり寄った。
そして怖いながらも好奇心には勝てず窓から夜景を見下ろした。
「きれぇ…」
暗闇に浮かぶキラキラと瞬く光にうっとりと呟いた。
和真はかのこの肩を抱くと時間を確認した。
「時間通りだな。外を見てろ」
満足そうに呟きながら窓の外を指差した。
かのこが窓の外を見ていると急に視界がパァッと明るくなった。
視線と同じ高さで大きく開いたのは夏の夜空に打ちあがった大輪の菊。
「…すご」
次々と開き夜空を照らす花火に言葉を失うかのこ。
和真はかのこの頭越しに外を眺めた。
「やはり日本の夏はいいな」
「和真…」
「花火は外国のものより綺麗だし…それに…」
和真は襟足から覗く白いうなじに唇を寄せた。
チュッと音を立てて吸い付くと赤い痕を残した。
和真は浴衣の裾を割ってかのこの足を撫で上げた。
「浴衣はドレスよりも色っぽい…」
唇で耳たぶを挟みながら甘い声で囁くとかのこは熱い吐息を漏らした。
低い和真の声は鼓膜を伝いかのこの体を熱くする。
「今夜は城を眺めながら声が枯れるまで鳴かせてやるよ」
まるで媚薬のような声で囁くと喉の奥でクックッと笑うその姿はまるで時代劇の悪代官といった感じ。
その言葉にかのこの瞳は不安の色を見せたがその奥には期待に濡れた艶っぽい色をチラリと覗かせた。
そして重なった二人の横顔を一際明るい光が照らし出した。
end
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