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『アイアイ傘◇陸×麻衣』

 梅雨入りと同時に降り続く雨。

 仕事を終えた麻衣は駅へ向かう帰り道を足元に気をつけながら歩いていた。

(また明日も乾燥機で乾かさないとダメかなぁ…)

 連日のように降り続く雨にうんざりして気持ちも塞ぎ込んでいた。

「お姉さーん、ちょっと駅まで入れてくんない?」

 声を掛けられて立ち止まった。

 店の軒下で雨宿りをしている男がこちらを向いて手を振っている。

 雨に降られた様子などなく着込んだスーツは濡れていないネクタイをしていない胸元にはシルバーのアクセサリーが輝いている。

 繁華街から離れたこの場所には不釣合いなその姿はザ・ホスト。

「途中で雨に降られちゃってさー」

 蒸し暑さなど微塵も感じさせない笑顔。

 その顔を見ていると肌に纏わり付く湿気を含んだ空気すらも変わっていくような気がした。

「雨、朝から降ってたでしょ?」

「あれーそうだったけ?」

「こんな所で何やってるの?」

 麻衣は近づいて目の前に立った。

 朝とはまるで別人のその姿にはいつものことながら感心する。

 けれど今見せている笑顔が自分だけに向けられているものだという事を知っている麻衣は口元を緩ませた。 

「仕事、あるんでしょ?」

「あるよー。これから同伴ー」

「傘も持たないでお客さんを濡らすつもり?」

「ん?だーかーらーお客様の傘に入れてもらおうと思って」

 軒下から腰を屈めて麻衣の傘の下に飛び込んできた。

 嬉しそうにニカッと笑う顔に麻衣は思わず吹き出してしまう。

「同伴なんて聞いてないけど?」

「言ってないもん。さっき思いついた」

 悪びれた様子もなく言うと麻衣の手から傘を取り上げた。

「私の予定とかは聞かないの?」

「何もないって知ってるもん。飯、何食べたい?」

「何で勝手に決めるの?」

 言われた通り何の予定もないけれどそれでもメールくらいくれてもいいのにと麻衣はムッとした。

 不機嫌になった麻衣を見て陸は目を伏せた。

「ごめん。同伴はいいから駅まで一緒に行ってもいい?」

「…陸?」

 いつになくあっさりと身を引く陸を見て首を傾げた。

 麻衣は歩き出そうとした陸の腕を掴んだ。

「どうしたの?別に同伴が嫌じゃないって事くらい分かってるでしょ?」

「うん…」

「じゃあ、どうしたの?」

「同伴は口実…ほんとは麻衣とアイアイ傘がしたかっただけ」

 とてもホストとは思えないその言葉に麻衣はさすがにポカンとした。

 陸は決まり悪そうな顔をしている。

「最初からそう言えばいいのに」

 麻衣はクスクス笑いながらそっぽを向く陸の脇腹を突付いた。

「そんなガキみたいな事言えるかっ!」

「プッ!!」

「もーいいっ!」

 麻衣が吹き出すと陸は一人で歩き出した。

 置いていかれた麻衣は雨に濡れながら陸を追い掛ける。

「陸、待ってよー。濡れちゃうから入れて?」

 麻衣が傘の下に飛び込むと陸は足を止めた。

 髪や服に付いた雨雫を手で払っていると陸がその手を止めて取り出したハンカチで麻衣の髪を拭き始めた。

「ごめんね。怒らせるつもりなんてなかったの」

「別にいいよ。俺はどーせガキだしアイアイ傘なんて子供っぽいって思ってるんだろ?」

「そんな事ないよ」

「ほんとにバカにしてない?」

「本当だよ、バカになんてしてない」

 麻衣は真剣な表情で陸を見上げた。

 陸の顔に笑顔が戻ると麻衣はホッと胸を撫で下ろした。

「じゃあキスして」

「エッ?」

「キース。アイアイ傘しながらキスしたかったんだよね」

 ニッと笑うその顔はまるでしてやったりと言いたげな表情。

(やられた…)

 最初からこうするつもりだったのか偶然こうなったのかは分からないけれど完全に陸のペースに嵌ってしまった。

 もはや怒る気も起こらない。

「こんなとこじゃ人が見てる…」

 雨で人通りは少ないといえ夕方で車の量はかなり多い。

 麻衣は人目を気にするように周りをキョロキョロと見渡した。

「大丈夫。ほらこうすれば…」

 陸は持っていた傘を傾けた。

 車道からの視線を妨げるように傾けられた傘で二人だけの空間が出来上がる。

「誰にも見られないよ」

 こうなってはもうどうしようない事を知っている。

 麻衣は背伸びをして陸にキスをする。

 唇が重なった瞬間に陸の腕が強く麻衣の体を引き寄せて触れるだけのキスが深くなる。

 渋滞で止まった車の列から注目を浴びているとも知らず傘の中の二人は長い長いキスをした。

end


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