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執着。そして、

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8.逃げた私の免罪符


眠れない。
しんと静まり返った仮設住宅一帯。その一角の小さな部屋で布団にくるまり、何時間経っただろう。あまりにも静かなので、何気なく近くに住んでいる奈良坂や古寺くんの部屋を窓から見てみると真っ暗だった。そういえば、最近の三輪隊は忙しいのかな。クラスでもあまり陽介の姿を見ない。今日も防衛任務だろうか。そんなことを気晴らしに考えてみても、心が晴れるわけもなければ眠気も一向に来てくれず、安っぽい天井をぼんやりと見上げるばかりだった。
暗くて静かで、何もない時間は憂鬱だ。嫌でも色々なことを思い出してしまう。

太刀川さんに見捨てられてからの私は、それはもう酷い有様だった。私生活も、ランク戦の残り試合も。なるべく落ち込んだ様子を見せないようにと一生懸命に普段通りを装っても空回りするばかりで、友達にはかなり心配をかけた。それよりもなによりも試合が奮わず、三原隊の仲間に対する申し訳なさがさらに心を押しつぶしていく。うちの隊はみんな優しいから、気にすることないと言ってくれたけれど、周りからの評価は酷いもので、三原隊の強さは森島の気分次第で大したことないなどと不名誉極まりないレッテルを貼られたのだ。それなのに私はそれを否定することはできない。私が違うとは言えない。こうなってしまっているのは私のせいだから。1度は格上相手に渡り合ったという事実があるのにも関わらず……いや、だからなのかな、それがすごくもやもやする。悔しい。こんな風に思うのは、初めてかもしれない。自分の気持ちにどう整理をつけていいのか分からず、ただ刻々と時間は過ぎていった。

眠れない。
それもこれも、全部太刀川さんが悪い。太刀川さんが言い出した賭けなのに、結果を踏み倒すなら意味なんてなかったじゃないか。……なんて、心の中で八つ当たりをする自分が嫌だ。分かってる。私がこうなってるのは太刀川さんのせいじゃない。太刀川さんはいつも言葉が足りなくて何を考えているのかさっぱりだけれど、それがどうとかという問題ではない。本当に悪いのは、太刀川さんに甘え続けて変わろうとしない私だから。それなのにいまだどう行動すべきか分からないのだから、私という人間はどうしようもないなとまたまた嫌になる。自分自身を見つめ直せと出水は言ったが、それすらももうよく分からない。
見つめ続けてもなにも変わらない天井に嫌気がさして、頭の先まで布団を引き上げ視界を遮断する。暗くて静かなのは結局変わらないから、そんなことをしても意味はないのに。

私は一体どうしたいのだろう。







ここ何日か、私は三原隊の仕事もこなした上で、個人で防衛任務のシフトを入れていた。なにかをしていないとすぐに考え込んでしまうから、スケジュールをぎゅうぎゅうに詰めてやりくりしながら、どうにか雑念を振り払いたかったのだ。他の隊に混じらせてもらったり、他に個人でシフトを入れている隊員と混成部隊にさせてもらったり。それでなにか不都合やトラブルが発生したことはなかったが、ただその日は少し様子が違っていた。

「忙しい日やな。トリオン兵の在庫処理してんちゃう?」
「作りすぎちゃったんすね〜」
「ちょおそこの2人、駄弁ってる暇あらへんって」

生駒隊に付いて防衛任務を務めていた時のことだ。いやにトリオン兵の数が多く、1部隊と1人で全て捌くのは少々骨が折れる。援軍要請をするほどではないが、いつも和気あいあいとしている生駒隊の空気がぴりっとするほどにはヘビーだ。

「隠岐と海、北西の取りこぼしたやつら、任せんで」
「了解っす!」
「了解。すぐ戻ってきますわ」

水上先輩の的確な指示に従い、隠岐くんと南沢くんがここから北西へと向かったのを見送る。すると生駒さんが私の顔を覗いた。

「森島ちゃん、いける?」
「いけます」

その返答を聞いてすかさず水上先輩にも声をかけられる。

「無理すんな。働き詰めとちゃうんか」

私はそんなにも疲れた顔をしていたのだろうか。さり気なく気遣ってくれる生駒さんと水上先輩に精一杯の笑顔を作って大丈夫ですと伝えると、2人は黙って顔を見合わせた。トリオン体だから疲労で倒れることは無いけれど、迷惑になりそうだったら大人しく下がろう。しかしきっと、隠岐くんにも南沢くんにも真織ちゃんにも心配かけているんだろうな。そう思ったらとても申し訳ない。
モールモッドの刃を掻い潜って落とし、バンダーは砲撃の隙をついて落とす。生駒さんと私で地上のトリオン兵をかたす一方、飛行型のバドはほとんど水上先輩が落としてくれた。そうやってトリオン兵の群れを順調に削り、そろそろ終わりが見える頃だ。これほどたくさんのトリオン兵と戦うのは初めてだったが、なんとかなりそうでよかった。そう思った矢先、ふと耳に聞き慣れない声が入ってくる。背筋がさーっと凍った。

「一般人……!」

声の主を見つけると、そこには警戒区域にいていいはずのない一般人。それも2人……子どもだ。

「うおっまじかい! 森島ちゃん、その子ら頼んでもええ?」

私は水上先輩が言い終わるのとほぼ同時に返事をして、2人の子どもがいる家の陰へと駆け寄った。小さく震えている男の子と、その後ろで今にも泣きだしそうな女の子。兄妹だろうか。2人はお互いを離すまいと固く手を握りあっていた。怖がらせないように2人の視線に高さを合わせ、落ち着いたトーンで怪我はない? と聞くと、男の子の方がこくんと頷いてくれたので、ひとまずは安心する。

「大丈夫だから、もう少しだけここにいてね」

パニックにさせてはいけないと、できる限りの笑顔を作る。戦場に近すぎるが、移動させるのは危険だ。事が済むまではこの家の陰に隠れてもらっていた方がいい。
すると男の子の手を握りしめながら、今度は女の子の方が恐怖と不安が入り交じった目で私を見つめた。

「お姉ちゃんは強いの?」

強い?
女の子の思いもよらぬ質問に心臓がはねた。彼女はおそらく、私を動揺させたかったわけではなく、絶対に大丈夫だという安心感が欲しかっただけだろう。けれど私にとっては……この状況、この光景、身に覚えのあるものだったのだ。







4年前、近界民の大規模な侵攻があったあの日、私は1人の家族を失った。トリオン兵が家を破壊しながら流れ込んできたのだ。両親はちょうど買い物に出かけていたのだが、留守番をしていた私と妹は、大きな口を持ったトリオン兵に襲われた。あれをバムスターと呼ぶのだと知ったのはボーダーに入ってからだけど、当時にしてみれば、見たことのないそれはただの化け物以外の何物でもなかった。
まずバムスターは妹に目をつけた。ばくんと大きな口でくわえて外まで引きずり出し、そのまま飲み込んだ。私は命からがらなんとか家から脱出。その後両親と再会し、生きていることを涙を流しながら喜ばれた。行方不明となっていた妹も何日か経ってから発見されたが、胸に穴が空いた状態ですでに亡くなっていた。
両親は私だけが生き残ったことを責めなかったが……私は違う。妹がバムスターに連れ去られそうになったあの瞬間、彼女は私に手を伸ばしてきた。「お姉ちゃん助けて」と叫びながら。でも私はその手を取らなかった。すぐそこまで迫るバムスターの顔に恐怖して、助けを求める妹に応えられなかったのだ。見捨てたと言ってもいい。この時の私はあまりにも無力で、怖くて怖くて、仕方なかった。







「お姉ちゃんは強いの?」

脳裏に浮かぶのは何もできなかった頃の私。弱くて無力で、大きな力に立ち向かうことが出来なかった。それから太刀川さんとたくさん個人戦をしていく内に少しずつ成長して、格上で手の届かない相手だと思っていた生駒さんを試合で落とせた時の私。そうだ私は、もう弱くないのだ。

「強いよ」

その言葉を聞いた2人の表情は、少しだけ柔らかくなった。

普段はどうとでもなるトリオン兵でも、数で押してこられるだけでこうも厄介なものなのか。隠岐くんと南沢くんはまだ戻らない。
近寄るモールモッドを牽制しながら、背後の2人を守る。それだけでもいっぱいいっぱいだったのだが、建物の向こうからキィィン……と嫌な音がしたのを聞き逃さなかった。まずい、これは。

(砲撃がくる!)

バンダーの光る眼が、遠くからこちらを狙っていた。私の後ろには小さな兄妹が2人。妹の手を取らなかったあの時のことがよぎる。トリオン兵に狙われた妹と、恐怖で見捨ててしまった私。私はもうあの時のような無力ではない。逃げるわけにはいかない。フルガードをしても無事でいられるかはわからないけれど、他に方法も迷っている暇もなかった。どんっとバンダーの眼から放たれた砲撃が迫りくる。

「!」

咄嗟にフルガードをして驚愕した。目の前に現れたシールドは4枚だったのだ。ガキンッと耳をつんざく音がして、砲撃は3枚のシールドを突き破り4枚目でなんとか防がれる。そのシールドの内2枚はもちろん私のもので、あとは誰かがフルガードで支援してくれたらしい。でも誰が? ちらりと生駒さんと水上先輩が戦っている方を見やるが、違う。隠岐くんと南沢くんもまだここに到着していない。
私が1人困惑している中、視界の端でなにか黒いものが横にスタッと降りてくるのが見えた。振り向いて、言葉を失う。

「ここを動くなよ」

その声は、私がここずっと思い巡らせていた彼ものだった。

「た、ちかわ……さん」

名前を呼ばれたからか、太刀川さんは一瞬ぴたっと反応してこちらを見た。どうしてここに。私がそう疑問を口にする前に太刀川さんは動く。先ほど砲撃を放ったバンダー目掛け、ものすごい勢いでグラスホッパーで宙を駆けていき、一太刀でその眼を斬り裂いたのだ。一連の流れはとても鮮やかなものだった。

真織ちゃんの通信によると、一般人の子どもを発見し私がそのフォローで前線を抜けた時点で、近くの隊から応援を呼んでくれていたのだそうだ。そして太刀川隊から太刀川さんが来てくれたおかげで、その後のトリオン兵は手早くかたされ、隠岐くんと南沢くんがこちらに到着してからは驚くほどすぐに終わった。
もう大丈夫だよと幼い2人に声をかけると、緊張の糸が解けたのか、目に溜まった涙がこぼれ落ちた。背中をさすり落ち着かせていると、背後からやってきた水上先輩が「もう警戒区域に入ったらあかんで」と声をかける。やはり2人は兄妹だったようで、警戒区域の中にある元の家に帰りたかったらしい。それでも危険だから、帰りたい時はボーダーの人を呼んでねと伝えると、納得したのか「ごめんなさい」と小さく謝られた。

「2人とも素直で可愛いな」
「お前は素直すぎてやべーな」

水上先輩だけではなく、生駒隊の面々と太刀川さんもすぐそこに居たらしい。はたから聞くと危ない生駒さんの発言にあの太刀川さんがつっこむなんて貴重な光景だ。
すると子どもなりに危険を察したのか、生駒さんの顔を見た途端、落ち着いたはずの女の子が再び瞳を潤ませた。

「ん!? どないしたん?」
「ほらもー。イコさんと太刀川さんがそんな近づくからですやん」
「まてまて、俺もか」
「そらそうでしょ」
「イコさんは、せめてゴーグル取ったらええんとちゃいます?」
「アホか隠岐。取った方が怖いで。な? イコさん」
「なんでそれを俺に振るん?」
「あはは」

生駒隊と太刀川さんの和やかな会話につい頬が緩みそうになるが、太刀川さんがいる手前どうしていいかわからず複雑だった。会えたことは嬉しい。助けに来てくれた時は本当に嬉しかった。話したいこともある。でも、まずはやらなければならないことがあった。
彼らを横目に兄妹に向き合って腰を屈める。いまだ繋がれている2人の手が目に入った。

「お兄ちゃん。妹ちゃんの手、離さないでね」
「うん」

これからこの子たちは保護されて、今日の出来事の記憶を消去されるというのに、なんでこんなことを言ってしまったのだろう。しかし男の子の力強い返事に、ああきっと大丈夫だ、この子は忘れないと、そう思った。
兄妹は私がそのままが本部に連れていくことになり、妹の、兄が繋いでる反対側の手をぎゅっと握る。

「太刀川さん」
「……なんだ」

立ち去り際に、ようやく太刀川さんに声をかけることができた。そして素っ気なく返ってくる返事。たったそれだけで何故だか泣きそうになってしまって自分で驚く。ぐっと堪え平然を装うことはできたが、バレなかっただろうか。

「任務が終わったあとで、話したいことがあります」

太刀川さんはもう私と関わりたくないのかもしれない。だから断られるならそれでいい。これはただの自己満足でしかないから。
太刀川さんは普段から感情がよく読み取れない人だけれど、この時は少しだけ驚いたように見えた。じっと私の目を見てひとつ息を吐く。そして観念したかのように呟いた。「本部で待ってろ」と。





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