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罪悪感でもいい


いつからだろうか。私が人を斬ることに罪悪感を覚え始めたのは。ボーダーという組織の中で強くなるためには、対人戦は避けては通れない。相手はトリオン体で、斬って落としたって命が失われるわけではないのだが……わかってはいるが、人を傷つけたという事実が心でずんとした重たいなにかに変わっていくのだ。落とした相手に対してどうしようもなく申し訳ないと思うのは、真剣勝負にふさわしくないことだとは頭で理解していても、私の中でその拭えない罪悪感は次第に大きくなっていく。
そんなことを、師匠であり恋人でもある太刀川さんに相談したところ、面白そうに「へえ」と零した。こうして太刀川さんがニヤッと笑う時に、いい予感がしたことなどない。

「なんですか、その顔」
「いや、いいなそれ」

今の話のどこにいいと感じる要素があるのか。トリオン体の相手を落とすことに罪悪感を感じるだなんて、戦闘員として痛手だと思うのだが。この人はこっちが予想もしなかったような、おかしなことがツボに入るらしい。太刀川さんと付き合っててもよくわからないと思うことが多々ある。この時もまた、よくわからないことを言い出した。

「人はいつ死ぬかわからないからな」
「? どういうことですか」
「だから」

それはさっきの私の話とどう繋がりがあるのか。疑問詞をたくさん浮かべる私を見て、太刀川さんはさらに楽しそうに口の端をあげる。

「俺はお前に殺されるのがいいってことだ」

……はい? なんでそうなる。

「意味わからないです」
「なんでわからないんだよ」
「わかるわけないでしょ」

トリオン体の相手を落とすことに罪悪感を感じてしまう……そういう話だったはずですけど? 太刀川さんはなぜか不思議そうにしている。もっと脈絡を明らかにしてくださいよと伝えれば、太刀川さんは「みゃくらく」と呟き、顎に手を当てる。こちらとしては、難しいことを言っているつもりはないのだが。

「……この前、俺の隊は遠征行っただろ」
「行ってましたね」
「かなり治安の悪い星だったんだが」

ここまで言って、太刀川さんはらしくなく難しい表情を作る。言うか言うまいか迷っているような。どことなく、寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

「人はいつ死ぬかわからないなと思ったんだよ」

それはさっき聞いたし、まだ言葉は足りない気がするけど、なるほど、前提を話してくれるとそれなりにわかった。太刀川さんが遠征先でどれほど壮絶な体験をしたのかを。当たり前の自由と権利がまがりなりにも約束されている日本では考えられないほど、生死の価値基準が揺らぐようなことを見たりしたのかもしれない。でもそれがどうして私が太刀川さんを殺さなくてはいけないことになるのか。太刀川さんの口調は妙に真剣で、変に聞き返さない方がいいと思った。だから私は黙ってその先を促す。

「だから、どうせ死ぬなら、お前の手にかかって死にたいだろ」
「…………」
「森島が俺を殺せば、俺が死んだあともお前の中の1番になれる。だってお前は……トリオン体の人間を落とすだけで、そんなにも罪悪感を感じる奴だ」

対人戦で相手を落とすたびに膨れ上がる罪悪感。本当に人を手にかけたらと、想像するとぞっとする。もしそんなことになったら、心が押しつぶされそうになりながらその後の人生を生きていくしかない。それは嫌だ。

「……私は太刀川さんを殺したくないですよ」
「だろうな。けど俺がもし死んで、次第に森島の中から薄れていくってなら、一生お前の罪になれる方が、俺はいい」

たとえ先に太刀川さんが死んでも、罪という形でなら、一生私と共にいられる。そういうことらしい。太刀川さんの心は空っぽのまま満たされることがこれまでなくて、私の師匠で恋人という立場にいてもまだ足りないのだろうか。……言っていることは人からしてみれば狂気だろうが、それでもその気持ちだけは嬉しいと思ってしまう私も大概おかしいのかもしれない。でも。

「だいたい、どうして太刀川さんが死ぬこと前提なんですか。生きててくれないの」
「そうは言っても、俺だって死ぬ時は死ぬしな」
「じゃあ、太刀川さんが死んだら私も死にます」

私は太刀川さんを殺してまで生きたくない。

「それならいいでしょ」

私がそう返すのが意外だったのか、太刀川さんは面食らったようで。

「……俺が死んでも、お前には生きていてほしいんだが」

そう言う太刀川さんは、今まで見たことないくらいひどく優しい表情をしていた。
どうして、ずるいですよ、勝手じゃないですか。私はいずれ来るかもしれない未来に怯えるしかない。太刀川さんを殺すために、太刀川さんのもとで剣を磨くなんて、どうかしてる……のに、太刀川さんの空虚なその心を目の前にして、私はこれ以上何も言えなかった。






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