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執着。そして、

name change clap

4.賭けの意味も明かされないまま


「太刀川さんは、私の過去とか知らないし、興味もないでしょ?」
「そうだな」

私の問いに、太刀川さんは表情を変えず答えた。それなのに少しだけ、ほんの少しだけ寂しそうに見えるのはどうしてだろう。人に興味を持てない、執着しない、太刀川さんはそういう人だと思ってるし、太刀川さん自身もそう自覚していると思ってる。

「だからいいんです」

そう、だからいいんだ。太刀川さんがいい。私に興味がないまま踏み込んでこないから一緒に居ると楽だし、私の過去を知らないまま容赦なく弧月をふるってくる。それでいいのに、それなのに。

『個人ランク戦とかさ、最近は森島とばっかりしてるし』

ふと出水の言葉がよぎる。この人はどうして私にこだわってるのだろう。私はどうして正体不明のなにかに怯えて、不安がっているのだろう。今はまだ、その問いの答えに辿り着くことができなかった。







太刀川さんの作業が一区切りつくと、当然のごとく個人戦に誘われる。私は夕方から防衛任務があるから今日は10本だけという約束で。この前は30本やって28−2、その前は27−3。10本で計算すると太刀川さんと私の実力差は9−1ほど。それ以下はあってもそれ以上はない。今日だってきっとそう、いつも通りだ。スタートの合図とともに斬りかかってくる太刀川さんも、なんとか凌ごうと足掻けども力及ばず落とされてしまうのも、防戦一方の中なんとか1本取り返すのも、いつも通り。ここまでの戦績は8−1、さてラスト10本目。
太刀川さんは感覚的な人だ。こう受けたらこう返す、という決まりはなく、どんな手を打ってくるか毎回わからない。だからなるべく打ち合いには持ち込みたくないのだが、だと言っても距離を取れば旋空が飛び、旋空の間合いの外まで下がろうにも、彼にはグラスホッパーがあるから逃げきれない。だから彼に合わさずできる限り自分の間合いで勝負した方がいい。距離をつめるのだ。となるともちろん単純な剣の腕がものをいうわけで、やはりどうしようにも私には勝ち目がないのだけど……。

……あれ。

「……!」

様子がおかしかったのはその時だ。太刀川さんはおそらくいつも通りだったと思う。おかしかったのは私。

(今、取れる)

経験を積めば、直感や反射というものが身についてくるもので。一瞬だけ太刀川さんを落とせるチャンスが……勝ち筋が見えた。しかし、距離も体勢も獲物の位置も完璧なこの瞬間に、ここだ、今だ、と脳が命令しても身体は言うことを聞かず、まるで時間が止まってしまったのかと思うほど、そのたった一瞬のできごとがとてつもなく長く感じた。

「……今日も俺の勝ちだな」

最後に残ったチャンスを逃せばもう次はない。太刀川さんの温度のない声が耳に届いた頃には、彼の弧月が急所を貫いていた。







「…………」

どうしてあそこで太刀川さんを落とせなかったのか……落とそうとしなかったのかわからない。はじめて太刀川さんから2本取れたかもしれないのに。ベイルアウト先のベッドに横たわり、呆然と宙を見つめても答えは出てはこないが……。

(ブース出たくないなあ)

最後に聞いた太刀川さんの声は、なんだか怒っているようにも聞こえた。気のせいならそれでいい。なんで太刀川さんが怒るのかもわからないし、きっと気のせい……だと、思うけれど。だがいつまでもここに居るわけにもいかず、しぶしぶとロビーへ向かう。

「森島」
「あ……」

太刀川さんの表情は変わらず、いつもと同じように見えるのに、やはりその声は怒気を孕んでいるようにしか思えなかった。

「あの、太刀川さん……」

怖い。昼間に感じた正体不明の恐怖と不安。

「なんだ」
「ごめんなさい」
「……なんで謝るんだ」
「だって」

わかりませんよ。

「だって太刀川さん、怒ってる」
「…………」

太刀川さんは感情を感じさせない目で私を見ている。手を抜かれたと思っているのだろうか。あの瞬間、私が動けたはずなのにそうしなかったことは、彼も気づいていた。太刀川さんより弱い私が、太刀川さん相手に手を抜けるわけがないのに。長い沈黙の中、太刀川さんがため息つく。

「俺が怒る理由なんてないだろ」

そうは言っても怒ってるじゃないですか。だけどその言葉は私に向けられたものではなく、太刀川さん自身に言い聞かせているように思えた。

「なあ森島、お前俺の弟子になりたかったんだよな?」
「え? ええと」

脈絡もなく過去の話を持ち出されて戸惑う。
なりたかったけど、太刀川さんが弟子は欲しくないと言うから引き下がった。別に私はそれならそれでよかった。無理強いすることではないから。

「じゃあ、賭けようぜ」
「なにをですか」

さっきまで怒っていたはずの太刀川さんは、なぜかニヤリと笑う。相変わらず何を考えているかわからないし、それで恐怖が和らいだりはしない。むしろ嫌な予感がする。

「もうすぐB級ランク戦のシーズンが始まるだろ。それでお前が影浦か生駒を落とせたら、俺はお前を弟子にする」
「……!」

なんで、今更。

「影浦先輩か生駒さんって……上位ですよ」
「そうだな」
「うちの隊が上位入りすること前提じゃないですか」

私が所属する隊はいまだ上位入りをしたことがないのに。

「あっ。もし鈴鳴がその時上位に入ってたら、村上も対象だからな」
「だから、どうして上位……」
「いいから」

一方的にそう言われることに腹は立つが、今はそれよりも恐怖と不安が勝った。

「……じゃあ、私がその3人に勝てなかったら?」

嫌な予感はおそらく当たっている。怖い。ずっと疑問だった恐怖と不安の正体がわかってしまって、しかしもう、わかったところでどうしようもなくて。

「俺はもう、お前の相手をしない」

それは絶望の通告だった。
私はずっと怯えていた。太刀川さんに飽きられるのが怖くて仕方なかったのだと、この時気がついてしまった。





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