「ぱぱぁ〜 早く早く〜!」
「ちょっと待ってくれ、花凰! カメラを要お兄ちゃんに預けるからな…」
スポーツウェア姿の小松尚隆は、娘の花凰の小さな手をしっかりと握り、流れる汗を拭いながらスタート地点に立っていた。
額の鉢巻がひらひらと風に舞って、紅白がたなびいている。
その姿が例えジャージであろうとも、若いママさんたちの熱い視線は自然と彼に集まってくる。
尚隆は娘の今後の幼稚園ライフの為に、ご婦人方に営業スマイルを送りつつ、レジャーシートに座ってにっこり微笑んでいる愛しい妻に大きく手を振った。
美凰はと言えば、苦笑しながら手を振り返す。
今日は可愛い娘の通う幼稚園の運動会。
朝早くから美凰と春はお弁当の準備に忙しく、六太と要はレジャーシートを片手にいそいそと場所取りに向かった。
尚隆はといえば、どこの家庭にも見られる光景よろしく、ビデオカメラの準備に余念がない。
白沢と唐媛がデザートを持って到着したのを契機に、澄み切った晴天の中、家族揃って運動会場に向かった。
良人は世界的大財閥会長の上に水も滴るいい男、妻は旧華族出身の大層な美人である小松夫婦は幼稚園でも有名なVIPな存在であった。
玉入れに綱引き、かけっこに花笠音頭と、花凰は元気に大活躍だ。
ちょろちょろ走り回る可愛い娘の成長記録の為、尚隆は必死で場内を駆け巡っていた。
「仕事もあれぐらい必死でやりゃーいいのによ!」
六太の呟きに、その場に居た全員が笑ったのは言うまでもない。
そして、本日のメインイベント、親子借り物競争の時間がいよいよ訪れたのである。
「いいですか〜 位置について〜 よーい、スタートっ!」
ピストルの音がぱんっと鳴った。
「尚隆さま〜! 花凰〜! しっかりぃ〜!」
愛する妻の応援を背に、娘のペースに合わせて必死に腰を屈めた尚隆は網をくぐり、麻袋をはいてぴょんぴょん跳ね、花凰に引っ張られて指示書のあるテーブルへと走っていった。
「ふう…。やっと到着だ。速度を落すとはこんなに疲れるものなのか?」
「ぱぱぁ〜 はやくはやくぅ〜!」
花凰は焦っている様子で、ポニーテールを振りながら地団駄を踏んでいる。
「よしよし…、待ってろ。すぐ開けるぞ」
日頃からスタミナには自信があるものの、尚隆はマイペースに行動出来ないせいで、却って疲労が増している様子であったが、娘に急かされてテーブルにある封筒から指示書を取り出した。
「なになに? ふーむ…」
「ぱぱぁ〜 なんてかいてあるの?」
小頸を傾げておしゃまに問いかけてくる花凰に、尚隆はにやりと笑いかけてガッツポーズをつくった。
「よっしゃぁ〜! 花凰、行くぞっ!」
「ええっ〜! どこいくの〜!」
「ママの所だ!」
「えぇぇぇ〜?!」
そう。
尚隆の手にある指示書には『お母さん』と書かれてあったのだ。
次々と到着する親子たちをかきわけ、尚隆と花凰は手を繋ぎ、ダッシュで家族の居る観覧席へと向かった。
「美凰、借り物は君だ! さっ、早くっ!」
そういって尚隆は、蜜柑を食べながら寛いで良人の応援をしていた妻の身体を抱き上げた。
「えっ! えぇ? なんですの? きゃっ!」
公衆の面前で良人にお姫様抱っこをされ、羞恥する美凰をものともせず、尚隆は花凰に言った。
「花凰、パパがおんぶするから背中に乗りなさいっ!」
妻を胸に抱きながらしゃがみ込んで背中を向けた尚隆に、花凰はぷるぷる頸を振った。
「ぱぱぁ〜 だめだよ〜 花凰がはしってゴールしないとかちにならないんだもん…」
「おっ! そうだったな。すっかり忘れていた…。よっ、よし! ではこうしよう!」
「きゃぁぁぁ!」
尚隆は美凰を右肩に担ぎ上げ、ほんわり丸いお尻をしっかりと抱えると、左手を娘に向かって差し出した。
「行くぞ、花凰! 一等はお前のものだ!」
「わぁ〜いっ!」
「あの…、二人とも…、あの…」
蜜柑の皮を持ったまま肩の上でおろおろする美凰をものともせず、親娘二人は固く手を握り合ってそのまま 幼稚園児らしいダッシュをし、見事にゴールテープをきったのだった…。
その後、一等の旗を貰いはしゃいでいる飛び跳ねている可愛い娘の傍で、嬉しそうに妻にキスする尚隆の姿があった。
「あなたったら! 皆さんが見てらっしゃいますわ…」
「なに、構わんさ。娘が一等なんだからな! ご褒美だと思え…」
「まあ!」
観衆が親子三人のその様子を、うっとりと見つめていたのは言うまでもない。
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