『不安ですの…』
妻の一言に男は愕然となる。
彼女を誰よりも愛している自信はある。
どうしたというの?
何故、彼女は不安だなんて言うの?
『美凰!』
目が覚めると一人きりのベッドの中で…。
ベッドがこんなに広く感じられたのは、本当に久しぶりだった。
ワインの芳醇な香りが手の中のグラスから立ち昇る。
雲雀は些か乱暴に深紅の液体を呷った。
夢の中で俯いて、不安だと言った美凰。
この2、3日は同じ夢を繰り返す。
それもこれも、美凰がボンゴレの女達と温泉旅行に行ってしまって離れ離れになっているせいだと思う。
こうやって真夜中に眼が覚め、再び眠る為に酒を口にする。
極めて不健康だと解ってはいるのだが…、美凰が紡ぐ夢の言動でさえ、自分はこれほど迄に左右されてしまう男だったのかと改めて省みる。
「全く…」
己を嘲笑う。
並盛風紀財団理事長にしてボンゴレの最強幹部である雲雀恭弥は、雲の守護者という自侭な性質をそのままに、自分の意思に反して彼女が行動する度に、愛する恋人が片時でも傍を離れているだけで美凰がその美しい眉を顰める様な不健康な日々に陥ってしまうのだ。
「帰ってきた時にはきっと…」
明日の昼には帰ってくる。
そしてこの夢ともおさらば出来るのだ。
彼女の心地良い温もりを思い返して、もう暫く眠ろう。
哲に我侭を通して明日はオフを取った。
美凰が帰ってくるのを待っている為に…。
〔たまには…、僕の手料理でも食べさせようか…〕
そんな事を考えながら再びベッドに潜り込んで布団をかけ直すと、美凰の笑顔を思い出したせいか、雲雀は瞬く間に眠りの世界に誘われていた…。
「恭弥…。お早うございます…」
「?!」
はっと目覚めた雲雀の枕もとで優しく笑う美凰。
雲雀にしては珍しく、午後まで眠ってしまっていたらしい。
「美凰…」
「只今戻りました…」
ふんわり花開く薔薇の微笑…。
この微笑を得る為に、雲雀は彼の全てを彼女に奉げているのだ。
自分だけに向けられる、この優しい笑顔の為だけに…。
「…、お帰り…」
二人の唇が重なり合った。
「今日はお休みですの?」
「ちゃんと哲には言ってあるよ。君が帰ってくる日だって、彼も知っているからね」
「それで…、ベッドでごろごろなさっていらしたの?」
「…。昨夜は眠れなくてね。いつの間にか…、寝過ごしてしまったらしい…」
美しい花顔が少し不安げな翳りを帯びた。
「睡眠不足で…、いらしたの?」
そう言うと、美凰はゆっくりと雲雀の目蓋に手をあてた。
柔らかな、そして少しだけひんやりしている白い繊手。
「しょうがないでしょ。君が傍に居ないんだからね。睡眠不足にもなるよ…」
「まあ! 傍に居ても、殆ど睡眠不足の毎日の様な気がいたしますけれど?」
微かに艶めいた冗談を口にしてくれるのも、たまらなく愛しい。
「君にしてはなかなか粋な誘惑の仕方だね? じゃあ一緒にシャワーを浴びようか。温泉の効能が肌に現れているか…、チェックしてあげる」
恋人の艶冶な眼差しに、美凰はほんのりと頬を染めた。
「まあ…、あなたったら…」
雲雀は起き上がると、あっという間に美凰が身につけていたワンピースを剥ぎ取って艶やかな下着姿にしてしまった。
「愛しているよ…。君を不安になど…、絶対にさせないからね」
柔らかな美凰の身体を自分に引き寄せ、ぎゅっと抱き締めた雲雀は軽々と彼女を抱えあげた。
「それはわたしの科白ですわ…、恭弥…。決してあなたに寂しい思いなんてさせません。いつも…、いつでも…、いつまでも…、傍にいますから…」
雲雀の腕の中で美凰はそう囁き、うっとりとした微笑を花顔に浮かべながら愛する人の頬に優しくキスを奉げる。
自分が傍を離れる事で、彼が僅かでも不安を感じるのなら…。
〔もう家からは、一歩だって出ないわ…〕
そう言いかけた芙蓉花の唇が、雲雀の指に塞がれる。
「恭弥…」
「君は…、消えない。僕だけのものなんだからね。絶対に離さない」
「……」
「愛してるよ…」
「愛しているわ…」
その日、雲雀と美凰は互いの温もりに満たされた、穏やかな午後を過ごした。
美凰が雲雀の手料理にありつけたか否かは…、秘密…。
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