栞 (十二國記)
 雁の秋は短い。
 風流な事には縁のない尚隆だったが、長年連れ添った内(つま)の美凰美凰は晩秋間近になると、必ず弁当を拵えて嬉しそうに皆を紅葉狩りに繰り出す。
 年寄りくさいと六太はいつもおかんむりだが、結局は家族揃って紅葉を眺めつつ、美味い手料理を頬張るのが毎年の楽しみの様である。
 にこにこ微笑んで、僅かな休日を心から楽しんでいる美凰の傍で尚隆は静かに酒杯を傾ける。
 それは穏やかな、至福の刻であった…。



 待望の公主(ひめ)が生まれ、その世話の為に玄英宮から身動きが取れなかった美凰が突然、「錦秋を愛でに参りましょう」と云い、いそいそと支度をし始めたのは昨日の事。
 四歳になった娘の花凰は、何にでも興味を持つ小賢しい年頃である。
 美凰の傍以外ではじっとしていられない性分は、まさしく尚隆の娘なのだ。



「陛下! 少し眼を離した隙に花凰の姿が!」

 悲鳴に近い美凰の声を、尚隆は静かに窘めた。

「心配致すな。悧角がついている」

 なおも心配そうにしている愛妃の朱唇にそっとくちづけると、尚隆はお転婆な娘を探すために立ち上がった。



「花凰…」
「あっ、おとーたま!」

 それは美しい、金と朱の紅葉の絨緞の上に愛らしい公主は座っていた。
 尚隆と美凰の、血肉を分けて生まれてきた分身…。
 この常世では在り得ない奇跡に、尚隆は感動と畏怖をもって心から愛する娘を見つめた。
 母の美貌を譲り受けた美しい面立ち、父と同じ琥珀色をした双眸は、ぐるりに同化してしまいそうな明るい金色に美しく光り輝いている。
 初めて眼にする山の紅葉が、気に入って仕方がないのだろう。
 傍に控えている悧角は、頭の上からはらはらと熟れた色の葉をかけられ、嬉しそうに首を振って大好きな公主を見上げていた。

「こらっ! 急に姿を消して、母様を心配させてはならんぞ」

 そう叱って、尚隆は小さな愛(めぐ)し子を抱き上げた。
 花凰はまったく聞いていない様子で、きゃっきゃっと笑い続けている。

「とんぼさんをみていたら、ここにいたの…」

 季節外れの蜻蛉を追いかけている内に、廻らしていた幔幕の外へと出て行ってしまったらしい。

〔流石に俺の娘だ。油断も隙もあったものではないぞ…。〕

「ねぇねぇ、おとーたま! これみてぇ…」

 差し出された椛(もみじ)の様な掌に、ちょこんと乗せられているのはとりわけ美しい小金と朱の一葉…。

「これは美しい。持ち帰るのか?」

 父の優しい問いかけに、花凰はこっくりと頷いた。

「あのね、おたーたまのごほんにおいてあげるの…。ごほんがだーいすきだから…」
「ふむ、栞の代わりにという事か。よしよし、偉いぞ。母様はきっと喜ぶだろうよ」

 尚隆は、つややかでさらさらした薄紫の髪を優しく撫でて娘を誉めた。

「さて、戻るとするか。皆が心配しているぞ…」

 同じ瞳の色をした父娘(おやこ)は微笑み合い、頷き合った。

「うん…。あっ!」

 花凰の声に、尚隆が娘の指差す方向を見ると一匹の蜻蛉がすぃーっとよぎっていった。

「とんぼさん、がんばってながいきしてほしいね…。おとーたま?」
「…、ああ。そうだな」

 間もなく冬が到来するというのに、なんと季節外れな長寿であろう。
 そして、それが自然の営みであることを尚隆は思い出させられる。
 季節外れは自分の方なのだと…。



 尚隆は何故か切なくなり、愛しい娘をぎゅっと抱き締めると悧角を促し、やや急ぎ足で美凰の待つ幔幕へと戻っていった。
 冬はもう間もなくやってくる…。

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