薔薇色いちご風船 後篇
 全面小さなきてぃちゃんと苺がプリントされたピンクのぱんつ姿の花凰が、自分のベッドでうつ伏せにわんわん泣きじゃくっている所へ、そっとドアを開けた美凰が静かに入ってきた。

「まあまあ、花凰ったら…。一体どうしたの? パパと仲良くお風呂だったのでしょう?」
「ぱ、ぱぱなんか…、き、きらいだもん…」

 美凰は苦笑しながらベッドに腰掛け、ぐずっている花凰をそっと抱き起こした。
 黒々とした澄んだ瞳から大粒の涙が転がり落ち、可愛らしい頬は涙ですっかり汚れている。
 花凰は柔らかな母親の胸にしがみつき、ますます号泣した。
 しゃくりあげる小さな背中を優しくあやし、暫く花凰の泣き続けるに任せていた美凰だったが、やがて甘やかな声で娘の耳元に囁いた。

「一体、何があったの? ママに話してごらんなさい。焦らなくていいから、ゆっくりと…」
「ぱ、ぱぱが、花凰の…、ふうせんとったの…」
「風船?」

 花凰はしゃくりあげながらこくこく頷いた。

「郭ちゃんがくれた、いちごのふうせん…」

 美凰は頸を傾げた。

「まあ…。でもどうしてなのかしら? パパは理由もなく花凰の宝物を取ったりなさらないでしょうに」
「郭ちゃん、花凰んちにはないものだって、いうの! すっごいいばりんぼうなんだもん。花凰、ぱぱにおはなししたら、おやすみにいっぱいかってくれるって…」
「それで?」
「花凰、郭ちゃんがくれた、ふうせんのみほんをぱぱにみせてあげたの…。そしたら、ぱぱ…、ぱぱがぁ…」

 見せびらかした箱ごと、大好きなパパにひったくられた時のショックが蘇ってきたのか花凰は再び感情が高ぶり、えぐえぐと嗚咽しだした。

 訳が解らないまま花凰を抱き締めつつ困惑している美凰の眼に、足許できらりと光るものが飛び込んできた。
 娘を懸命にあやしながら、そっと身を屈めて平たいピンクのパッケージを手に取った美凰は、羞かしさの余り、真っ赤になってしまった。

『フルーティーなイチゴの香りで二人のプライベートタイムの楽しさアップ! 薄さ0.02ミリは生の挿入感が味わえます…』

〔まあ、これって? あのう…、ひょっとするとあれかしら?〕

 一度も使用した事はなくとも、美凰にも一応の知識はある。

「花凰…、そのいちごの風船って…、これなの?」

 花凰は母の胸から顔をあげ、吃驚した様子でつぶらな瞳をぱちくりとせた。

「なんでここにあるの? 郭ちゃん、1こだけってはこごと花凰にくれたのに…。そ、それに、ままにはないしょって…」
「まあ…」

 おそらく箱の中身は2つだったのだろう。
 まあ、そんな事はどうでもいい事なのだが…。





「ぱぱが吃驚されたのも無理はないわね…。ひどいわ、花凰…」

 美凰は大仰に美しい顔を顰め、哀しそうに可愛い我が子を見つめた。
 どんな時も優しい母が悲しそうに自分を悪く言う様子に、花凰は些か吃驚した。
 自分は何も悪いことはしていないのだ。
 それなのに酷いと言われるのは納得がいかない。

「どーして花凰がひどいの? ひどいのはぱぱだよ! 花凰のものとったんだもん!」
「この風船があるとね、花凰がいつも欲しい欲しいって言ってる弟が出来なくなっちゃうの…」
「えぇぇぇっー!」

 花凰は尚隆によく似た双眸をぱちくりと見開いた。
 驚きの余り、すすり泣きはすっかり止まっている。
 一方、子供部屋の前のドアを開けかけていたバスローブ姿の尚隆は、妻のストレートな言葉にパニくっていた。

〔美凰〜! な、なんて事を花凰に!〕

「あ…、あかちゃんが?」

 花凰の愕然とした表情に、美凰はこっくり頷いた。

「花凰はいつも弟が欲しい、妹でもいいってパパとママにおねだりしてるでしょう?」
「うん…」

 美凰は立ち上がり、サイドにあるタンスの引き出しからお手製のきてぃちゃんパジャマを取り出して再びベッドに腰掛けると、花凰を促して寝支度を調えてゆく。

「この風船は苺の香りがして、ピンク色で花凰の眼には可愛いものに映ったかもしれないけれど、パパとママにとっては赤ちゃんを作るのにとっても困るものなの…」
「どーしてこまるの?」

 その質問に美凰はにっこり微笑み、尚隆は隙間から子供部屋を覗き込んでドアを歯噛みしていた。
 バスローブ姿でドアを齧っている様子は、とてもではないが世界的セクシーセレブにして抱かれたい男ナンバーワンの小松財閥総帥とは思えない程に間抜けな姿である。

「パパとママがいつもご一緒にお眠なのは、花凰も知ってるわね?」
「うん。いっしょにおねむじゃないと、あかちゃん、できないんでしょ?」
「花凰に…、とっても寂しい思いをさせてる?」
「ううん。花凰、もうあかちゃんじゃないから…。いっつもぱぱとままとおねむじゃなくても、だいじょーぶだもん…」
「パパとママが裸で、ぴったりとくっついてお眠じゃないと赤ちゃんが出来ないってお話、この間したわね。覚えてる?」
 
 花凰はこっくり頷いた。
 つい最近の日曜日の早朝、花凰が両親のベッドルームをこっそり訪ねた時、素っ裸で熱烈に愛し合っていた最中の夫婦は『なにをしていたの?』という娘の素朴な質問に、赤ちゃんを作っているのと他愛なく答えたのだ。

「花凰もそーしてたら、うまれたんでしょ?」

 美凰はくすくす笑って可愛い娘をぎゅっと抱き締めた。

「そうよ。花凰はパパとママの愛の結晶なの! そして早く花凰とママの望みを叶えたくて、パパは次の赤ちゃんを作るのにとっても必死なの。解る?」
「うん…。よ〜くわかる…。ぱぱはおひまがあったらままのおっぱいばっかり、いっつものんでるもん!」

 子供はストレートである。
 尚隆と美凰は同時に真っ赤になった。

「まあ! そ、それはそうね。パパがママのおっぱいを触るのはおまじないの様なものだから…」

 美凰は花凰をベッドに寝かしつけた。

「でね…、あの苺の風船が膨らんで、ぴったりくっつこうと思っているパパとママの間にふわふわあったら…」

 花凰は可愛い顔を顰めた。
 母の言う事が解りかけてきたのだ。

「とってもじゃま?!」

 美凰はゆっくりと頷いた。

「あの風船は普通の風船と違って赤ちゃんを遮っちゃうから特に要注意なの。きっとパパは花凰にこれを見せられた時、花凰の弟の事がぱっと頭に浮かんで、それで吃驚なさって慌てて花凰から奪い取ったんだと思うの…」

 花凰の可愛い表情がぴくりと動いた。

「それじゃあ、ぱぱは、花凰のことがきらいで、ふうせんとったんじゃないの?」
「当たり前じゃない。どうしてパパが花凰を嫌うの? パパはこの世で一番、あなたを愛しているのよ…」
「花凰!」

 尚隆は耐え切れず、ドアを開けてつかつかとベッドに歩み寄ってきた。
 まだちょっぴり蟠りのある花凰は、柔らかな下唇を噛み締めて美凰の胸に縋りつき、父から顔を背ける。
 美しい花顔が優しく夫を見上げ、苦笑しながら頷いた。

「花凰、パパが悪かった! パパはとっても吃驚したんだ。ママの言う通り、あの風船はパパから見れば、そのう…、『ダークファイブ』みたいなものだったんだ!」

 美凰は額を押さえて溜息をついた。

〔尚隆さまったら…、なんてちんぷんかんぷんな言い訳…〕

 それでも子供には通じるのだから凄いものである。

「じゃ、花凰が『キュアブラック』にへんしんしてやっつけちゃうよ! あんなふうせんくれた郭ちゃんなんか、あした壁せんせいにかくれてふんづけちゃうんだから!」

 尚隆はうんうん頷いた。

「その通りだ! じゃ、パパは『キュアホワイト』に変身して手伝ってやるぞ! 二人で毛郭をやっつけよう!」

 尚隆は美凰が譲った場所に腰を下ろし、妻に代わって愛する娘をぎゅっと抱き締めた。

「まあ…。二人とも、乱暴は絶対に駄目よ! 郭ちゃんには何の罪もないんですから…」

 最早、美凰のいう事は二人とも聞いていない。
 美凰は肩を竦めると、娘の顔を拭ってやるべくタオルを濡らしに子供部屋専用のバスルームへ向かった。



「ぱぱぁ〜 ごめんね…。せっけん、いたかった?」
「ん〜 ちっとも痛くないぞぉ〜 花凰は抜群のコントロールだなぁ〜 将来はプロ野球の選手にだってなれるぞぉ〜」
「え〜 だって、やきゅうはおとこのこだけだよ〜」

 尚隆の悪戯っぽい眼がにっこりと微笑んだ。

「パパが球団を丸ごと経営すればいいのさ! 野球選手になりたい女の子だって居るだろ?! 女の子ばっかりの球団を作ったっていいんだ。パパは何だって出来る。お前とママの為ならどんな事だって出来るぞ…」
「あははは…」
 
 花凰はくすくす笑いながら大好きなパパの手を握り締めつつ、静かに眼を閉じた。
 その涙で汚れた顔を、美凰が温かな蒸しタオルで綺麗に拭ってやる。
 どうやら泣き疲れてしまったらしい。
 アドレナリンの大放出宜しく、花凰はすーすーと眠りに落ちてしまった。



 美凰は花凰の枕元にお土産の『黒川温泉限定はろうきてぃすとらっぷ』をそっと置いた。
 目覚めた花凰はきっと大喜びだろう。
 御当地きてぃは花凰の最近のお気に入りコレクションなのだ。

「あなた、今日は花凰の傍で眠ってあげましょう。宜しいでしょう?」
「ああ…。勿論だ…。しかし、君が上手く助けてくれてほっとした。有難う…」
「どういたしまして…」

 尚隆はじっと見つめていた愛娘の寝顔から眼を離し、くるりと振り返ると屈んで花凰を眺めていた美凰の唇にそっと唇を寄せた。

「お帰り、美凰…」
「只今戻りました…」

 尚隆は愛する妻を抱き寄せると、キスの雨を降らせる。

「寂しかったぞ…」
「わたくしも…」
「本当は温泉で存分に頑張るつもりだったんだが…」
「まあ…」
「3日間の禁欲は却っていい具合になってるかもしれんな?」

 美凰は真っ赤になってくすくす笑った。

「また変な事ばっかり仰って…」
「寝室でシャワーを浴びよう…。背中は花凰に流して貰ったんだが、前はまだなんだ。ママに残しておかないと叱られるって話してたからな」

 そう言うと尚隆は愛する妻を軽々抱き上げた。

「まあ…」
「俺は、おまじないのおっぱいをたっぷり洗わせて貰うぞ…」
「あなたったら…」
「早くしないと花凰の傍で寝んでやれなくなる…。さあさあ!」

 そう言うと尚隆は慌ただしく夫婦の寝室へと向かった…。





 それから2時間後…。

 一応、下着だけ身につけた尚隆は娘を迎えに子供部屋を訪れた。
 花凰はすやすや眠っている。
 安らかに眠る愛しい我が子を起こさぬ様にそっと花凰を抱え上げた尚隆は、たっぷり愛し合った情熱の火照りを鎮めつつ、おとなしいデザインのネグリジェを身につけている最中の妻の待つ夫婦のベッドルームへと、いそいそ戻っていった。
 幸せな川の字の眠りを貪る為に…。







 その頃、やんちゃな子供達を漸く寝かしつけた毛氈夫婦のベッドルームはラブラブ街道一直線であった。

「ねえ、あなた…。やっぱり今夜はイチゴにしましょうよ!」
「はいはい…」
「ねえ! やっぱり会長の絶倫真似て、朝まで頑張ってみてよ! あたし、応援しちゃうわ!」
「おいおい! 勘弁してくれよ! そんな事してたら明日欠勤になっちゃうぞ!」
「うっふっふふ、いやだぁ〜 あなたったらぁ〜 欠勤になるまで奮起してみてよぉ〜」
「お前ね…」

 明日、自分に降りかかる運命を知らず、毛氈は乾いた笑いを浮かべながらも愛する妻の腰を優しく抱き締めた…。

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