あたしだって女の子なんだから、敬愛する姫様のような完璧な貴婦人を目指してるの!
精一杯お洒落をして、いつもいつも綺麗でいて、愛する人の為にお料理をして、お裁縫をして…。
時にはお琴を爪弾いて、執務に疲れたあの人の心を癒やしてあげたい。
そして夜になったら、あたしの全てを捧げて彼の全てを蕩けさせてあげる…。
お莫迦な尚隆に接する、大好きな姫様のように…。
桃猫姿の桃箒は、正寝の執務室からとぼとぼといつもの場所に向かって歩いていた。
『いつも色々手伝って貰ってとても有り難いのですが…、今日は少し慌ただしいのでまたの機会にして貰えませんか?』
白皙の秋官長のにこやかな拒否は胸に痛い。
そういう時は、あっけらかんとした尚隆の叱り方の方が気持ちが軽くなる。
悪気はないのだろうが、恋をしている者にしてみれば冷静な拒否ほど心が傷つく事はない。
〔どんなに頑張ったってあの人はあたしの事を神獣として扱い、そして妹の様な目でしか見てくれない。恋の対象には見てもらえないんだわ!〕
深々と溜息をついた桃箒は、仁重殿の院子に辿り着くやお気に入りの四阿の近くでごろりと寝そべった。
桃箒はいじけると必ずここへやって来て、ごろごろと日向ぼっこをする。
とはいえ、切り替えの早い性格が長々といじけ続けるわけではないのだが…。
「なぁ〜に、いじけてんだよ?」
不意に耳元で聞きなれた声がして、桃箒は瞑っていた眼を片方だけ開け、気怠そうにまた閉じた。
「あんたには関係ないでしょ!」
ぷんぷんしている桃箒には慣れっこだ。
六太はくつくつ笑いながら寝そべっている桃猫の傍に、胡坐をかいて座った。
「また朱衡に振られたのか?」
「人聞きの悪いこと、云わないで頂戴! このあたしが振られるとでも思ってんの?」
「いやまあ、相手はあの朱衡だかんなぁ〜」
冗談交じりの声に云い返せないのが悔しい。
振った振られたなどという関係ではない事を知られているのもまた悔しい。
「今日は執務が立て込んでいて、お忙しいからよ! 本当ならあたしがお手伝いして差し上げる方が捗るんだろうけど…」
「それなのに、手伝いいらねぇーって云われたのか?」
見透かされている様な紫の双眸が腹立たしい。
「……。いやな奴ね! 消えてよ! ここあたしのお気に入りの場所なんだから!」
「んな事云ったって、ここ俺の宮殿の一部だぜ? 俺も休憩に来たとこなんだけど?」
そう云われては分が悪い。
「うっ…。い、いいわよ! それじゃ鴛鴦殿のお院子にでも場所替えするわよ! 休息の邪魔して悪かったわね!」
渋々起き上がった桃箒に、六太は笑いながら声をかけた。
「おいお〜い! そう怒るなよ。気分転換に関弓に降りねぇ?」
可愛い桃猫はつーんとそっぽを向いた。
「いやよ! あんたなんかと遊んだって楽しくもなんともないもの!」
「ひどい云われ様だなー。そう云うなよ! 今日は小遣い貰ったばっかだから、お前の欲しいもん何でも買ってやるし…」
「見くびらないで頂戴! あたしは買収なんかで落ちる女じゃないわよ!」
六太は額をぽりぽりと掻いた。
「なんでそういう方向へ話がいくかなぁ〜 まあいいけどよ。それよかさ、尚隆からすんげぇ美味い白湯麺(ぱいたんめん)食わしてくれる店、教えて貰ったんだぜ〜 今度美凰を連れて行くって云ってたぞ! お前、麺好きだろ」
白湯麺と聞かされて、桃箒の耳がぴくぴく動く。
「……」
「それにさ、炸豆腐(ちゃとうふ)と薩?瑪(さちま)の美味い屋台も目星つけてんだ! お前と一緒に行こうと思ってさ、ずっと我慢してたんだぜ」
『お前と一緒に行こうと思ってさ、ずっと我慢してたんだぜ』
〔いやだ…、なによ! 六太の誘い方ってば、ちょっといい感じじゃない?〕
傷ついた心にぽっと温かい灯がともるような言葉。
憧れの朱衡ならば、絶対そんな言葉を口にしないだろう。
誘われたとしても気軽な屋台ではなく、器を扱うことさえ気遣うような優雅なお茶会に違いない。
ふと見上げると、六太の金髪が陽の光りに煌いて眩しかった。
そしてその輝く髪の中心にある、綺麗な麒麟の屈託ない笑顔…。
〔えっ? 嘘っ! なんか今、胸がきゅぅんってなった! あたし一瞬、ときめいて、いた?〕
心臓がどきどきしている。
それは、二人の間に細く長く繋がれた小さな恋心。
齢を重ねてなお、清純な心を持つ少年と少女が気づかぬままに胸に秘めている小さな小さな恋心…。
桃猫桃箒はぶるぶる頸を振り、しなやかに伸びをするやぽわんと人形(じんけい)に変化した。
「……、い、いいわね…。丁度お腹も空いてきたことだし…、食いしん坊のあんたがそこまでお願いしてるんだし…、付き合ってあげてもいいわよ…」
艶やかな桃色の髪と翡翠色の美しい双眸に向かい、六太はにっこり微笑んだ。
「そうこなくっちゃな! んじゃ乗れよ」
「へっ?」
一瞬の閃光が走り、桃猫の前に見事な白麒麟が現われた。
六太の麒麟姿には、流石の桃箒もいつもうっとりと視線を這わせる。
「なに? おれさま様の美しさに見惚れてんの?」
桃箒は可愛い顔を真っ赤にして噛みつくように吼えた。
「な、ななな、何云ってんのよ! この馬鹿麒麟!」
「へいへ〜い! んじゃ出発すっから早く乗れよ!」
「なんで悧角じゃないのよ!」
「この世で一番早いのはおれさま! むしゃくしゃしてんならおれの疾走のが今のお前にゃ気晴らしにいいだろ。んでもって早く街に降りなきゃ、目当てのもん、食いそびれるかもしんないってこと!」
「……」
なおもその場を動かない桃箒に、六太は声をかけた。
「なに躊躇ってんだよ。早くしろよ!」
「だ、だだだって、い、一応、あんた神獣だし、そ、それに尚隆と姫様しか乗っけないんでしょ?」
六太はぶるんと鬣を揺らし、美しい瞳を瞬いた。
「何云ってんだよ…、神獣ってのはお前も一緒だろうが!」
「……」
「それに…、お前は特別だよ」
「!!!」
さらりと云われた言葉が妙に羞かしい。
桃箒はおずおずと麒麟の背中に飛び乗った。
「お前、相変わらず軽いな! 朱衡の好みはも少し肉付きのいい女だぞ」
何気ない六太の言葉に桃箒の顔はかっと赫くなる。
それは怒りからなのか、羞恥からなのか、それとももっと違う深い意味があるのか。
今の桃箒には解らない。
「う、煩いわね! さ、さっさと出発なさいよ! お腹空いてるんだから!」
「へいへ〜い! んじゃ行くぞぉ〜!」
桃箒を載せた六太はふわりと空中に舞い上がり、ご機嫌宜しく閃光を煌かせながら関弓の街を目指して一気に駆け抜けた…。
屋台での会話のおまけ…。
「あんた、お小遣い入ったばっかだって云ってたわよね?」
「おうっ!」
「じゃ、可愛い花簪も買って貰おうかしら?」
「おう! いいぜぇ〜!」
「それから範の工芸品に負けないような玉の耳墜! やっぱり翡翠がいいかしらね?」
「…。お前な…」
「あっ! 紫水晶でもいいかも…」
「俺の小遣いの額、解ってて云ってんだよな?」
「あら、いいじゃない! 男として、女の子のおねだりはちゃんと叶えなきゃ!」
「だから! なんでおれがお前のおねだりを叶えなきゃなんねぇんだよ!」
「いいから! いいから!」
「……」
ぶつぶつ云いながらも、最終的にはいつでも自分の我侭を聞いてくれる優しい麒麟。
すっかり機嫌の直った桃箒は、美味しそうに白湯麺を頬張った…。
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