立ち昇ってゆく薔薇の香りと柔らかさに心を乱された。
君は幾度、俺の心を乱せば気が済む?
尚隆は狂ったように美凰の唇を奪った。
神という存在が、彼に与えたありとあらゆる理性や知性が今、彼の手で崩れ落ちた。
彼女が欲しい。
それしかない。
5年もの月日、脳を侵し続けた少女はいつの間にか白い身体を持つ女になっていて、それは彼をとことん追いつめた。
彼女の泣いてる顔は、さながら美しい蝶が断末魔の羽ばたきを見せている情景に似ている。
「お願い…、待って…、今は、赦して…」
「待たないし赦さない…。今、君が必要なんだ!」
『奥歯をかみ締めて、前を見据えればやがて真実が見える…』
誰かが囁いた。
「美凰…、拒否は聞かんぞ…。君は俺の奴隷なのだからな…」
その双眸を掌で隠しながら、薔薇の花びらにも似た彼女の唇を強く噛む。
「あぁ…」
〔逃れようなんて…、赦さない!〕
初めて彼女の身体を知り、日毎夜毎彼女を弄ぶ程に何故か尚隆は痛みを覚えた。
とうとう自分にも、弱さを体現する生き物が現れてしまった。
掻き乱される。
本当にこれでいいのかと、過去の自分が彼を責め立てる。
ただ、どうしてもこの感情に抗えない自分が存在したのだ。
彼がふと顔をあげると、窓はぼんやりと明るくなり、朝が来ている事を告げていた。
白っぽい靄に縁取られた窓はどこか神聖な空気でもって、室内に唯一物の様な存在感を齎していた。
忘却の眠りにうずくまる彼女の白い肌が浮かび上がる。
朝だ。
だが、別に良いことではない。
尚隆は考えた。
昨晩までの焦燥感は、乳白色の霧に包まれてもなお鋭さを鈍らせようとしない。
むしろその色味は寝不足の頭をもって強みを増した様に思える。
彼は溜息を吐き出した。
何もかも自分の望み通りに計画は進んでいる筈なのに、なぜこんなにも虚しいと感じるのだろう?
激しい情事が終わり、隣で死んだ様に身じろぎもしないでいる美凰の、遠い虚空を見つめている顔を眺めると何故か針に刺されたように胸が痛んだ。
自分はいつから、こんなにも弱くなったのだ?
毛布を引っ張り寄せて繊肩を覆う。
ぐったりとしている美凰が冷えることを懸念した?
そんな事は勿論、認めない。
この5年に亘る己のの虚しさを思えば、決して認められないのだ。
彼女が目覚める前に、寝入ってしまおう。
その時、彼女が小さく…、聞き取れぬ程に小さく嗚咽を漏らした。
泣いている。
また泣いている。
〔一体俺を何だと思っているんだ? お前は…。鬼か? 悪魔か? それとも…〕
泣いてばかりの女にはほとほとうんざりだ。
それでも、手放せない…。
尚隆はただ眼を細め、苛々を抑えきれずに顫える美凰を乱暴に抱き寄せた。
そうされた途端により一層、裸身を強張らせている柔らかな女。
嘗て愛したと錯覚し、怨嗟し、それでも渇望し続け、そして漸く手に入れた俺の女…。
「飽きるまで…、君は俺の奴隷だ」
「……」
そう呟いて、尚隆は戸惑いながらも美凰の目蓋にくちづけを落とすと、彼女が逃れられない様にがっちりと抱き締めて静かに目蓋を閉じた。
愛しいなんて、認めるわけにはいかない。
再び罠に落ちるわけにはいかない。
自らの感情の縺れを、今は…、今はどうすることも出来ないから…。
仕方がないから。
そうだ、仕方がないから彼女を手元に置いておくのだ。
仕方がない。
手放そうとは思えないのだから。
仕方がない。
再び、あの感情が芽生え始めてしまっているのだから…。
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