おつかい (十二國記)
「帷湍! 小遣いくれ!」

 午前中に同じ言葉を聞くのはこれで二度目である。
 書面から眼を放さないまま、帷湍はこめかみに青筋を立てつつも努めて平静を装った。

「今月分は十日前にお渡ししたと記憶いたしますが?!」
「もう遣っちゃったんだよな〜 これが! だからも少し!」

 眺めていた書簡の前に白い手がにゅっと差し出され、文字が遮られる。
 癇癪玉破裂寸前の帷湍が顔をあげると、悪意のない少年の笑顔がこちらを向いていた。

「台輔!」

 小遣い催促の手を差し出す六太に向かい、立ち上がった帷湍は突然、がばりとその小さな身体を抱き締めた。

「ぐえっ!」

 帷湍の事が嫌いなわけではないが、男に抱き締められても気持ちいいものではない。
 ぎゅうむとされた六太はじたばた暴れた。

「な、なんだよ? お前!」
「この雁国において最も尊貴なお方をこの帷湍、心より敬愛申し上げておりまする!」

 帷湍の声は怒りを押さえつける為なのか、些か震えている。

「い、いや、あのさ! あ、愛はいいから銀子(かね)くれよ!」

 身もがく六太をぽんっと突き放し、帷湍は元の席へ着座するや淡々と云った。

「いけません! 愛情に銀子が絡むと拗れますゆえ…」

 そして地官長は何事もなかったかの様に侍官に次の書類を持ってくる様に告げ、職務に戻った。

「くっ! てめえっ! 死にたいらしいなっ!」

 地団駄を踏んで口汚く雁国の金庫番を罵る六太を、帷湍は眼光鋭く睨みつけた。

「慈愛の神獣がその様な乱暴なお言葉を発するとは! やれ情けなや…。後程美凰様にご拝謁を賜りますので、台輔のお行儀を些かご注意申し上げねばなりませんなぁ〜」

 美凰に告げ口されるとあっては、六太も黙らざるを得ない。

「くっ! お、覚えていろよ!」
「主従揃って、一昨日おいでなされませ!」

 ふんっとそっぽを向いて尊貴な麒麟の駄々を平然と無視する帷湍に、六太はすごすごと引き下がった。



〔しゃーねーなぁ〜 また美凰に頼むか〜 毎度毎度格好悪りぃんだけどなぁ〜〕

 返すつもりなど更々ない借金の申し込みに失敗し、北宮に足を向けた六太は鴛鴦殿の入口で、周囲に眼を配りながらそそくさと廊下を速歩している尚隆と遭遇した。

「おい尚隆! なにこそこそしてんだよ!」

 逞しい肩がびくりと震えた。

「なんだ、お前か! 脅かすな!」

 尚隆はほっとした顔をして半身に近づいた。

「あっ! その壺! 先月の『詩歌の会』ん時の範からの貰いもんじゃねえの?!」

 小脇に抱えている陶磁器の小さな壺を見咎められた尚隆は尊大に顎を強張らせ、こほんと咳払いをした。

「あの男女めが俺に断りもなく、美凰へ私的に進物したものだ!」
「んじゃ、それって美凰の私物じゃねぇか! なに勝手に持ち出してんだよ!」

 六太は綺麗な紫色の双眸を見開いた。

「あやつの進物が眼に入るだけでむかっ腹が立つ! それ故処分してくれようと思ってな!」
「処分ってどーすんのさ?」
「うっ! そ、それはだな…」

 毎度の事ながら不足している小遣いを用立てる為、古物商へでも売り飛ばすつもりなのであろう。

 流石の六太も、嫉妬深い主のやりたい放題には唖然とするばかりだ。

「相変わらず太い奴だな! お前も帷湍に泣きついて『愛情に金が絡むと拗れる』とか云われた口かよ?!」
「? なんだ、それは? 俺は『遊ぶ銀子が欲しけりゃ、関弓で肉体労働でもして来い。今は城壁の改修工事で人夫を募集しているからな!』と云われたのだが…」
「……」

 似たもの同士の主従ははぁーっと溜息をついて顔を見合わせた。
 その瞬間…。



「六太? 六太のお声が聞こえた様ですけれど? そちらにいらっしゃいますの?」

 回廊の彼方から甘く柔らかな声が少しずつ近づいてくる。

「うっ! まずい! 美凰だ!」

 値段のつけようのない高価な壺を持ったまま尚隆はあたふたと傍近くの小部屋に身を隠し、そんな主の無様な姿を尻目に六太は素知らぬふりをして、姿を現した美凰に対峙した。

「まあ、六太! こんな所でなにをしておいでですの?」
「い、いや! 別に…。い、今から街に降りようと思ってたから、美凰に挨拶してから出かけようかと思ってさ!」

 美凰は牡丹花の微笑を浮かべ、六太を見つめた。

「まあ! それは丁度よい所に遭遇いたしました。とても恐れ多い事ではございますが…、六太におつかいをお願いしとうございますの」

 そう云うと、美凰は手にしていた風呂敷包みに視線を落とした。

「なになに? なんでもやるぞ!」
「こちらの秋ものの上衣を、大学の楽俊へ届けて戴きとうございますの」
「なんだ! そんな事か! おう! いいぜ!」
「それから…、おそらく街中でご散策あそばされておいでの陛下にお召し替えの上衣を…」

 その言葉に、小部屋に隠れて愛妃の様子をこっそり眺めている尚隆はびくりとなった。

「…。尚隆、いねぇの?」

 解りきった事ながら怪しまれぬ様、六太は相槌を打つ。

「いつもの事でございますわ。程なくご帰城あそばしますでしょうけど…」

 美しい青菫の双眸が悪戯っぽく周囲を見廻し、花顔がくすくすと微笑む。
 柔らかで不思議な笑みが、何もかもを見透かしている様な気がするのは思い過ごしだろうか?

「無事にお目にかかられましたら、氾王君からの戴き物は元の場所にお戻し戴けます様、お伝えくださいませ。先般、崑崙のお母さまが是非にと仰せでいらっしゃいましたから、お譲りしようかと思っておりますの」

 そう云うと、美凰は風呂敷包を六太に手渡した。

「うわっ! お、重っ!」

 上衣だけにしては意外と重量感がある。
 そして包みの上に、美凰は自らの巾着をそっと乗せた。

「これはお駄賃ですわ。ほどほどにお遣いなさいませ。ご帰城の折にいつものお団子を求めていらしてくださいましたら、とても嬉しゅうございます」

 六太は呆然と美凰を見上げたまま、こくこくと頷いた。

「…、うん…。解った…」
「それでは宜しくお願いいたします。いっていらっしゃいませ…」

 美凰は六太と小部屋に向かって優雅に一礼すると、そのまま淑やかに回廊を歩み去った…。



 愛妃が立ち去った事を確認した尚隆が小部屋から姿を現すと、六太はがっくりと肩を落とした。

「お前…、ばればれ! その壺、かあちゃんに譲るから売り飛ばすなって釘刺されてっぞ!」
「…、うむ…。丈母上への譲渡ならば是非もないな…」

 そう呟くと、ばつの悪げな尚隆は小脇に抱えていた壺をそっと床に置いた。

「とにかく上衣、着替えろよ! すんげぇ重いぞ!」
「……」



 想像通り、尚隆の上衣にはずっしり重い巾着が添えられてあった。

「やれやれ! 流石は我が女房殿だ! やはり美凰に隠し事は出来んという事だな?!」

 重量感のある懐具合に王の顔がにんまりと微笑む。
 帷湍に泣きついたり、后妃の書房からこっそりと御物を持ち出してきたりと、大国の王とも思えないしみったれた行為を平然としてのけ、そのことに対して羞恥心すら抱かないおおらかな?性格には呆れて物も云えない。
 六太は肩を竦め、今一度主に向かって釘を刺した。

「とにかく、団子の土産はお前に頼んだからな! 忘れんなよ!」
「任せておけ! この銀子を元手に賭場で儲けたら、団子どころか美凰が好みそうな布もたんまり買ってきてやるさ!」
「その科白はおれも美凰も聞き飽きてっぞ!」

 街中を散策する風体に着替えを終えた尚隆は、六太と共にいそいそと秘密の通路を使って禁門を目指した。



 それから暫く後…。
 乱雑に脱ぎ捨てられた王の御衣と共に、置き去りにされた小さな壺に白い繊手が伸びる。

〔本当に、困ったお方たちであそばしますこと…〕

 楽しげに談笑しつつ遠ざかる王と麒麟を柔らかな眼差しで見送った美凰は、くすくす微笑みながら陶磁器の壺と愛する良人の衣類を大切そうに抱えるや、その場を立ち去った…。

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