〔またこんな所で転寝をして…、風邪をひくぞ…〕
リビングのソファーに寄りかかる様にして、美凰は静かな寝息を立てていた。
傍らには読みかけの文庫本が転がり落ちている。
小説を読んでいる内に眠ってしまったのだろう。
〔無理もない…〕
大掛かりなプロジェクトの進行がヤマ場な為、尚隆はここの所、毎晩午前様なのである。
申し訳ないと思いつつも、来月のまるまる一ヶ月間を美凰と二人っきりで過ごす為とあっては是非もなかった。
二人は新婚旅行で逗留したオーストリアの温泉保養地の城でのんびりと過ごす予定なのだ。
美凰が殊の外気に入ったという理由だけで、尚隆は大金を積んで中世の城を購入したのである。
〔寂しい思いをさせているのは解っているが…、一ヶ月まるまる保養地での子作りの為だ。辛抱してくれよ…〕
待っていなくてもいいから先に寝る様に何度も言っているのだが、美凰は決まってこのソファーで尚隆の帰りを待っていた。
大抵は眠い目を擦りながらも起きて待っている美凰であったが、どんなに遅い帰りとはいえ尚隆の要求はとどまることはない上、美凰も嬉々としてそれに応えるものだから、些か照れずにはいられない疲労が積み重なっている二人だったのである。
尚隆は美凰を起こさない様に、そっと抱き上げるとベッドへと移動させる。
ほんの少し、身じろぎした美凰は秘めやかな微笑を浮かべて、再び夢の世界へと引き込まれていった。
とても穏やかなその寝顔を見つめながら、尚隆は自然に口元が緩んでくるのを感じた。
こんなに幸せな気持ちで美凰の寝顔を見つめられる日が来るなんて…、と改めて思う。
ほんの数年前までは『俺の夢は一生叶わない』と何もかも諦めて、刹那の快楽に溺れる人生だったというのに…。
運命の再会、互いの心と身体を傷つけあう非道な日々…。
〔美凰の愛に…、俺は救われた…。美凰が俺を見放さなかったから…、俺は生きる事が出来る…〕
尚隆は思わず苦笑する。
自分の人生をいとも簡単に変えてしまうこの美しき花…。
天使の様に純粋な存在に限りなく優しい眼差しを向けつつ、尚隆は今の幸せをかみしめる。
〔俺の夢をみてくれよ…〕
心の中でそう呟きながら、その穏やかな寝顔に唇をそっと落とす。
不意に美凰の唇から言葉が零れた。
「ん? なんだ?」
その芙蓉花の美唇に耳を近づけた尚隆は、満足気にひくく笑った。
美凰の寝顔がひときわ嬉しそうに微笑んだかと思うと「尚隆さま…」と、望んでいた一言がその愛らしい唇から零れ落ちた。
「どうやら…、みてくれているようだな?」
〔相当重症だな…。俺も…〕
自分でも自覚しながら、それでも尚隆はくつくつ笑いつつ美凰を抱えて寝室へ向かった…。
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