目の前に繰り広げられた唐突な暴力行為…。
ほんの今しがたまで、和やかに会話をしていた何の罪もない草壁くんが、雲雀くんが振り回す例のトンファーとやらいう凶器によって吹っ飛ばされる姿を間近に目撃したわたしの身体は、次の瞬間、自分でも吃驚する程素早く、そして衝動的に動いていた。
「ほげっ!!!」
「!!!」
「?! 花總っ!」
ドガッという擬音で表現したらよいのだろうか、人の肉を打擲する鈍い音が鳴った後、一瞬の静寂が応接室内を包み込む…。
草壁くんを庇って凶器の前に身を曝したわたしは、咄嗟の寸止めが利かなかった雲雀くんの渾身の一撃必殺によって、丸い背中を瞬殺されていたのである。
「美凰?!」
「花總っ?!」
「(>_<。)○▲□●〜〜〜っ!!!」
三人三様にその場に固まっていたのは、数秒の事だったと記憶する。
そして眼から火が出るとか星が出るという形容は、まさしく本当のことなのだと、わたしはたった今思い知った…。
もう、なんと表現してよいのやら…。
そう。
自分がもし海亀ならば、甲羅を割られて即座にあの世逝きという感じ…。
太郎雲雀を竜宮城へ連れて行ってあげることも叶わず、恩知らずに昇天してしまった哀れな…、い、いやいや、それは違う!
虐めっ子は、亀の天敵は雲雀くんだ!
うう、もっといい形容はないものか…、痛さのあまり、流石のわたしも頭が廻らん…。
身体的な暴力というか加虐にはほぼ無縁に生きてきたわたしにとって、喧嘩の類のものに対する耐久性はまったくと言っていい程に優れていない軟弱な身体を走る激痛に、箪笥の角で足の小指をぶつけてひぃひぃ言うのが何十倍にもなった様な痛みに、眼から涙がぶわっと眼からはじけでる。
草壁くんの前に飛び出た身体がそのまま前のめりになり、車に轢かれた哀れな蛙の様な姿でその場にばったり倒れたわたしは、傍から見ればきっとギャグ漫画風に見えたに違いない。
「花總っ、し、しっかりしろっ!」
朦朧としているわたしを抱き起こす草壁くんの、慌てた声が遠くに聞こえる。
そしてそれ以上に、初めて耳にする狼狽した雲雀くんの声も…。
「さ、わんないでよ、哲!」
「恭さ…」
「僕の美凰に触らないでっ!!!」
「えっ?!」
「……」
はぁ?!
ひ、雲雀くんっ?!
今、貴方なんと仰しゃいましたっ?!
僕の…、僕のですってぇぇぇっ?!
他人にしがみついている自分の猫を引っぺがす様に、支えてくれていた草壁くんの身体から引き離されたわたしは雲雀くんの腕に抱き取られた。
目を見張る程に美麗な白皙の面が、ちょっぴり赤くなっているのが目端に捉えられる。
白いカッターシャツに押し当てられたわたしの耳に少し早くなっている雲雀くんの鼓動が伝わり、こっちが気恥ずかしくなる。
そして草壁さんは、呆然とした様子で雲雀くんとわたしを見つめていた…。
所謂お姫様抱っこというやつで、わたしは黒革張りの高級ソファーの上に寝かされた。
「哲」
「へ、へい…」
じんじんする背中の痛みをこらえながらぼんやりとしていたわたしの目に、雲雀くんがポケットから出した黒い携帯が映った。
「今すぐ僕の携帯、新規に変えてきて。不要の着信が入って困るんだ」
有無を言わせぬ雲雀くんの口調に、呆然としていた草壁くんはおずおずと差し出された携帯を受け取った。
「か、畏まりました…。ですが恭さん…」
「聞こえなかったの? 今すぐって言ったでしょ!」
「花總の具合を…」
わたしにも草壁くんにも背を向け、窓の外を見つめていた雲雀くんがどんな表情をしていたのかは解らない。
「…。美凰の面倒は僕が見る。君なんかに余計な心配、して貰いたくないんだけど!」
「…。か、畏まりました…。す、すいません…、恭さん…」
「……」
複雑な表情をした草壁くんが、申し訳ないといわんばかりにわたしの顔を見た後、雲雀くんに命じられた所用をこなす為にそそくさと応接室を出てゆき、暮れなずみ始めた室内には雲雀くんとわたしの二人だけになってしまった…。
警報を鳴らすべきシチュエーション。
二人っきりの、放課後の応接室は気まずい静寂に包まれた…。
窓の外を見たまま微動だにしない雲雀くんを気にしつつ、ほんの少しだけ痛みがましになった背中を庇いつつ、ゆっくりソファーから起き上がったわたしは、背もたれに背中を預けながら足を床に下ろして詰めていた息を小さく吐いた。
「君、莫迦?」
唐突に響いた雲雀くんの声は、怒りとも哀しみとも解らぬ韻に満ちていた。
「…、えっと…」
「よくも僕の邪魔をしてくれたね?」
「あ、ごめん…」
いや、殴られたのこっちなのに、なんで謝ってるの、わたし!
今更ながら太鼓持ち的性格の自分が恨めしい。
「で、でも…」
「なんで草壁の事なんか庇ったの?」
くるりとこちらを向いた雲雀くんの顔をまともに見る勇気がなかったわたしは俯いたまま、もごもごと口を動かした。
「い、いや、なんでって言われても…、草壁くんを殴る理由が解んな…」
「二人で何やってたの?」
「? 何って…」
「肩、触って…、抱き締められてたみたいじゃないのさ!」
刺々しい雲雀くんの言葉にきょとんとなってしまったわたしは、思わず顔を上げて彼の顔を見た。
「抱き締めるって? ち、違うよ! 肩凝りが酷くて…、肩揉んで貰ってただけだよ!」
わたしの言葉を聞いた途端、雲雀くんの顔が虚を突かれた様な色を刷いた。
「肩…、揉み?」
「うん。わたしも物書きのご多分に漏れず凝り性で…。最近、忙しいから鍼にも行けてなくて…。草壁くんとお喋りしてたら、按摩が凄く上手いって…、雲雀くんのお墨付きもあるって聞いたから…、それでちょっとだけってお願いして…」
「…、そう…、だったんだ…」
傍目にも解る程に大仰に、雲雀くんは吐息をつく。
何故だか悪いことをした様な気分になったわたしは、再び俯いて自分の上履きに視線を投げかけた。
「あの…、雲雀くんの補佐の草壁くんを私用で使ったことは謝ります。ほんとごめ…」
「美凰は草壁が好きなの?」
「は?」
唐突な、そして簡潔な質問に自分の上履きを見つめていたわたしの眼は文字通り“点”となった。
視界にもうひとつ、わたしの足よりずっと大きな上履きが入ってくる。
驚いて顔を上げると、いつの間にか頭上からわたしを見おろしていた雲雀くんと眼が合った。
「雲雀く…」
わたしの声は最後まで口にできなかった…。
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