並盛Romance 16
 後宮の夜はとても早く、長い。
 そして、その夜の闇は深い…。

 軽い足音をたてて、男が歩いてくる。
 後宮に足を踏み入れることを許される、たったひとりの男が。
 ローナは伏せた顔を思い切り歪めた。
「大勢に出迎られて何事かと思えば、なんだ、行商がおったのか」
 若く、張りのある美声だった。
 鷹揚な、けれども歌う様な滑らかな語り。
「皆の楽しみを邪魔してすまなかった。面を上げてくれ。ご老人も…、さあ」
 声をかけられた老婆は恐縮しきってしまったのか、なかなか動こうとしなかった。
 女達は次々と顔を上げ、熱っぽい眼差しを皇帝に送っている。
 ローナも膝をついたまま身を起こし、皇帝スレイマンを見上げた。
 スレイマンは黒檀の様な黒髪に、あまり日に焼けていない白磁の様な肌の持ち主だった。
 白い駿馬を思わせるしなやかな体躯に、整った甘い面立ちは本当に美しく、ハレムの女達の心を虜にしていた。
 齢は二十、即位してからはや六年。
 そして既に、二人の息子と三人の娘の父親だった。
 皇帝は“妻は公平に愛する”という理想を、若い時分から実践している。
 そう頻繁に訪れこそしないものの、来ると決めた日は早くから後宮に入り、妃達の部屋を順繰りに廻る。
 夜も深まってから最後にどこかの女の部屋に落ち着いて、朝までを過ごしていく。
 それも長くひとところに定まった試しはなかった。
 それゆえ、新しく皇帝の寵愛を受ける女というのはめったに増えることはなく、身分の低い大部屋住みの女は殆ど皇帝に会う機会に恵まれないのだった。
 スレイマンは小さくなってしまった老婆の向かいにしゃがみこんだ。
「ご老人。ここの者達には、外からの風が何よりの気晴らしだ。わたしもとても有難く思う」
 そう言って、皇帝は目を細めた。
「そうだ。皆にもいつも退屈な思いばかりさせている詫びだ。好きなものを選ぶがいい。わたしの払いにしてやろう」
 老婆は呻いて、耐え難いとでも言うかの様に平伏した。
「恐れ多うございます、皇帝陛下のお目に適う品ではございません」
「そうでもないぞ」
 と言って、スレイマンは老婆の膝の横に転がる反物を拾い上げた。
 ローナが気に入った布だった。
「ほら、この布帛なぞは物もいいし異国風の模様が面白い。この耳飾は硝子だろうか? こう澄んだ硝子は、技がなければ造れないな」
 実に楽しそうに、皇帝は老婆の商品をあれこれ検分した。
 そして、いいことを思いついたとでも言う様に、黒曜石の瞳を輝かせた。
「ふむ。ここに居ない者が可哀想だな。ご老人、差し支えなければ今あるものをわたしに譲ってはくれぬか? 無論、言い値でかまわぬし、城下での便宜もはかろう。どうだ?」
 老婆は叩頭したまま、くぐもった声で“恐れ多うございます”と繰り返した。
 ローナは、皇帝の膝上に広げられた反物から目を反らす。
 女達に取り囲まれて、皇帝は微笑みながらその相手している。
 まるで少年の様に無邪気な表情だった。
 ローナは再び唇を噛み、彼らから目を背けた。

 夕闇に紛れ、ローナはそっとその場を離れた。
 赤く翻る滅国の衣装の裾を、皇帝が目で追っているのには気づかなかった…。

 To be continued...



 ノートPCのメモ帳にここまで入力し終え、自宅のPCにメール転送をすませたわたしはふぅっと吐息をついた。

「はぁ…、今週はここまでかな〜」

 大きく伸びをし、こきこきと肩を鳴らしながら席を立ったわたしは窓辺に寄り、暮れなずみ始めた空をじっと見上げた。
 やっと金曜日がやってきた。
 明日は祝日、明後日は日曜日!
 所謂連休というやつにるんるんっと言いたい。
 今夜は春秋社編集の伊達さんに夕食を奢って貰う予定だ。
 依頼の短編は昨日仕上がり、データ転送済である。
 思ったより早く原稿が仕上がったこともあり、伊達さんはご満悦の様子で食事に誘ってくれた。

〔伊達さんのお薦めの店は美味しいからな〜 今日はなんだろ? 和食? 中華? それともフランス料理かな〜 ああ…、もう涎が…〕

 基本的にグルメなわたしは、食べるのも作るのも大好きだ。
 自分の食事はちゃんと自炊している。
 嫁に貰うには絶対お買い得だよ!
 まあ、そんなことはどーでもいいんだけど…。

 今夜の帰宅後は、今転送した文章をサイトにUPして、一週間溜めていた掲示板やメールのお返事を書く。
 その後はゆっくりとお風呂タイムを満喫してたくさん寝たら、明日と明後日は久しぶりに注文の来たウェディング用のビーズアクセ(ティアラ・ネックレス・イヤリングのセットで合計3万円の収入也。これは来月のお小遣いに充当予定!)をちまちまと作り続けるつもり。
 時間のある時にやっておかないと、風紀の仕事に最近浸食されているわたしの時間はなかなか割けない。
 週明けの火曜日には就職指導室から打診のあった、地元の優良企業への就職試験がわたしを待っている。
 いつ気が変わるかもしれないし、売れなくなるかもしれない作家活動は趣味程度にこなす。
 ネット小説でひっそりこっそりの活動を続けられれば充分だ。
 現実には普通にOLをし、御伽噺の王子さまとまではいかなくても、それなりに誠実で真面目なイイ男とロマンチックな恋に落ちて25歳くらいで結婚するのがわたしのライフプラン。
 人に笑われようが、何であろうがどうでもいいことである。
 25歳くらいまでには、わたしの男に対する苦手意識は克服できるだろうし。
 現に、地味に目立たないようにしていれば男子に眼を留められることもないし、草壁くんや笹川くんの様に対“女”という態度をとらない男子とは気さくに喋る事だってできる。
 トラウマの原因である雲雀くんとだって、ちゃんと喋れてるんだもの。
 大丈夫だ。
 雲雀くんに対しては、心のどこかが凍り付いているのかもしれないけれど、それでも普通に接する事が出来ている。
 大丈夫だ…。

 はぁ〜 雲雀くんのことは考えるだけ疲れる。
 やめよう…。
 それにしても肩凝ったなぁ…。
 つか、明日からの予定を考えると肩なんか凝ってる場合じゃないんだけど…。
 こきこき首をまわしていると重厚なノック音が響き、“失礼いたします”という声と共にドアが開いて草壁くんが入ってきた。

「おっ?! 花總、一人か?」
「うん。雲雀くん、じゃない、委員長なら昼からふいっとどっかに行っちゃいましたけど?」
「そうか…。なんだ? お前、肩凝ってるのか?」
「うん。凝り性なんだー。暫く“鍼”にも行けてないし…」

 ぷっと吹き出した草壁くんの顔が楽しそうに歪んだ。

「“鍼”ってお前…、凡そ高校生らしくないな? スポーツの部活をやってるわけでもないのに…」
「むーっ。草壁くんだって一見、高校生には見えないよ〜」
「むっ。老け顔と言いたいのか?」

 わたしはふふふっと笑った。

「いいわねぇ、老け顔! 歳をとった時に得するよ、きっと…」

 草壁くんはぼんのくぼを撫でつつ、こちらに歩み寄ってきた。

「やれやれ…。本当に、お前には敵わんなぁ〜」
「お茶淹れるから座ったら? もうそろそろ帰ってくる頃だろうし…」
「ああ…、すまんな」

 ほのぼのと温かい緑茶を飲みながら世間話をしている最中も、唸りながら辛そうに首を捻り続けているわたしを気の毒に思ってくれた草壁くんが「随分と酷そうだな? 俺、結構按摩巧いからちょっと解してやろうか?」と言ってくれた。

「えっ? い、いいよ! 悪いもん…」
「なあに。お前はいつも、委員長の為に頑張ってくれてるからな! ちょっとした礼だと思ってくれればいいぞ」
「そ、そう?」
「俺の按摩は委員長にもなかなか好評なんだぞ」
「へぇ〜 雲雀くんに好評なんだったら効きそう…。じゃ、悪いけどちょっとだけお願いしちゃおうかなぁ〜」

 これが墓穴だった…。
 本当に軽い…、兄妹の様なノリだった。
 だって草壁くんもわたしも、互いに対する恋愛対象的要素はまったくないのだから。
 だが、最初から説明もなく女の肩を男が揉んでいる光景を目の当たりにすれば、大いなる誤解を招く要因となることを、草壁くんもわたしもまったく危惧していなかった。
 それが…、歪んだトラウマを持ちつつも、わたしのことを密かに想い続けてくれている(後から知ったことだけど…)雲雀くんの眼に…、草壁くんとの間に何かあるのではないかと疑惑を抱いている雲雀くんの眼にはどう映るかを…。

「ワォ! 気持ちいいぃ〜 上手いねぇ〜 草壁く…」
「ねぇ…、二人で何イチャイチャしてるの? 咬み殺されたいわけ?!」
「「……」」



 セーラー服の肩の上を並盛商店街のロゴが入ったタオルで覆い、草壁くんの大きな手から伝わる心地よい刺激に眼を閉じながら、う〜んと心地よい唸り声を上げていたわたしは、今迄に聞いたこともない様な恐ろしく冷たい声のする応接室の入口にゆっくりと視線を向けた。
 気持ちよかった草壁くんの手が、わたしの肩からさっと離れる。
 この部屋の主にして、厳つい副委員長にとってはこの世で最も尊崇する人物である雲雀恭弥の超絶不機嫌な声音に、草壁くんは瞬時にして自分の非と僭越さを悟ったらしい。
 知らぬはわたし、花總美凰ばかりなり…、といった状況であった…。

_16/43
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