秋の陽光が眩しい。
応接室を後にして廊下を歩んでいた美凰は、賑やかな窓の外に眼を向けた。
グラウンドには体育の授業に勤しむ中学生が見渡せる。
ふと歩みをとめた美凰は“雲雀恭弥”と名乗った美貌の少年の事を思い出し、ほんのりと頬を染めた。
一週間前に町内の自治会費を集める為に店を訪れた草壁が、ご多聞に漏れず自分に対して仄かな想いを寄せていたことは気づいていた。
どんなに厳つい相手でも、美凰の年齢と経験から見れば卵の殻をつけたままのひよこ同然である。
妙な気を起こすならやんわり注意しなければと思いつつも、彼の口から聞かされる言葉は美凰に対する口説き文句のそれでなく『委員長が…』『委員長は…』の一辺倒であった。
『委員長はこの並盛の秩序を守る為、日夜精勤しておられるのです!』
『委員長はとても偉大な…、群れることを好まれぬ孤高のお方です』
『読書がお好きで…、きっと委員長はこの店を気に入られることでしょう!』
『紅茶がお好きで…、マダムに教わった淹れ方でお出ししましたら、委員長は非常に喜ばれました…。有難うございます!』
『今度、あのビスケットの作り方を教えて戴きたいのですが…。委員長が殊の外お気に召されましたので…』
毎日の様に姿を現しては量り売りの紅茶を数種類購入し『委員長』と呼んで崇拝する上司の事を訥々と聞かされる度、美凰の心はほのぼのとなっていった。
暫く滞在していた南フランスで知り合ったフィリップ・ド・ヴィヨーヌ伯爵のストーカー行為から逃れる為、旧知であったサルバトーレ・ボンゴレ\世を頼り、その保護を受けて日本へやってきた美凰にとって久しぶりに心を和ませる出来事であったのだ。
〔厳ついけれど、とっても優しい副委員長さんに愛される『委員長』さんって、一体どんな方なのかしら?〕
後見人という名目でイタリアから同行し、現在は同じマンションの下の階に住む並盛中学二年生の風花麗に尋ねてみれば『風紀委員って何してる人達かよく解んないけど、ツナ達に聞いといてあげるね! 委員長の名前は確か“ひなどり”なんとかって言ってたと思うよ!』と聞かされた。
麗が忘れ物をしたのと草壁が購入した紅茶を忘れていったのが、おそらく運命だったのだろう。
好奇心の赴くまま、美凰は並盛中学を訪れ、そして雲雀と運命の出逢いを果たしてしまったのだ。
〔“雲雀恭弥”…、なんて綺麗な少年なのかしら…。あんな美しい人間に会うのは久しぶり…〕
さらさらとした黒髪に白皙の美貌。
そして…、魂までも射抜く様な黒曜石の双眸。
10年も経てば、素晴らしい青年に成長するであろう。
ただ…。
彼の周囲からは、その美しさに似合わぬ血の匂いが漂っていた。
そして血の匂いに敏感な美凰は、ふうっと吐息をつきながら自分の身体をそっと腕に抱いた。
「本当に…、忌々しい身体…」
そろそろ誰かを見つけなければならない。
最後にエネルギーを採ってから、1ヶ月半程経つ。
最低1ヶ月に一度の割合で摂食しなければ、美凰の身体は弱まる一方なのだ。
「具合…、悪りぃのか?」
不意に足元から懐かしい声が聞こえ、美凰ははっと身じろぎをした。
「ちゃおっス、美凰」
「?! まあ…、リボーン! レオン!」
美しい双眸をぱちぱちと瞬かせ、美凰は突然開かれた消火栓の扉の中を見つめる。
粋なスーツを着た小さな伊達男は香り高いエスプレッソを口にしながら、扉の中から美凰に向かってにこりと微笑みかけた…。
「久しぶりだな?」
「本当に…、お元気でいらした?」
「ああ、俺はいつでも元気だぞ」
美凰はリボーンを肩に乗せながら廊下を進んでいた。
「…。ヒバリに会ったみてぇだな?」
「? ええ。ついさっき…。それがなにか?」
「いや。あいつは美凰好みの美形だろうと思ってな」
リボーンの拗ねた様な口調に美凰はくすくす笑った。
「まあ、いやだ! リボーンったら、久しぶりにお目にかかって仰る科白?」
「いい加減、俺の女房にならねぇか? お前一筋に大事にするぜ?」
「……」
“俺の愛人に”というのが、美人に対する彼の常からの科白だが、美凰に対しては初めて出逢った時から“俺の女房に”と言い続けている。
リボーンの真剣さが美凰には哀しかった。
「残念ですけれど…」
「前に逢った時には“レオン”をくれたらって言ってたよな?」
美凰は相好を崩した。
「駄目なんでしょう?」
リボーンはふっと微笑んだ。
「結婚すりゃ、俺とお前のもんになるぞ?」
「駄目! そんな手には乗りませんわ…。ね、レオン!」
可愛い顔をした緑のカメレオンは、嬉しそうに美凰の差し出した指先に絡みついた。
その瞬間…。
『ミホ、ダメ! ミホ、ヒバードノ! ミホ、ヒバリノ!』
先程応接室で仲良くなった黄色い小鳥がレオン目掛けて攻撃宜しくふぁさっと飛んできた様子に、美凰は瞬きをした。
レオンはレオンでヒバードの鉤爪を、楽しそうにするりとかわしている。
特殊な動物同士?のプンスカ状態に美凰は慌てた。
「まあ、ヒバードちゃん?! 駄目よ! レオンに意地悪しないで…」
『ヒバリ! ヒバリノ、ミホ!』
「? よく解らないんだけど? とにかく…、レオンと仲良くしてくださらないのなら、ヒバードちゃんとはお友達でいられませんわ…」
そう言った途端、ヒバードはおたおたとした様子で美凰の頭の上にぽふんととまった。
『トモダチ! ヒバードイイコ! イヂメナイ! ヒバリ、ヒバリ!』
「やぁ、赤ん坊…」
困惑した様子で振り返った美凰の前に、先程別れたばかりの雲雀恭弥が立っていた。
「まあ…、雲雀さん…」
「ちゃおっス、ヒバリ」
「……」
美凰の後を追って廊下を進んでいた雲雀は、目当ての彼女が非常警報機の前で立ち止まっているのを発見し、声をかけようとしてやめた。
警報機の中からリボーンが姿を現し、それに対して驚く風でもなく美凰がにこやかに挨拶をしている様子を見たからである。
〔やっぱり…、赤ん坊関係のようだね…。ということは彼女もマフィアなの?〕
自分がイタリア最大のマフィア“ボンゴレ”というファミリーの幹部候補であることは、リボーンから聞かされて知っている。
“雲の守護者”というタイトルロールを持つ、首領を取り巻く一員であるということを。
群れを嫌う自分がファミリーという団体に所属するなど、考えられないことである。
だが、生来の好戦的な性格が“抗争社会”に興味を覚えているのも事実なのだ。
『群れに加わらず、独自の立場でボスを守るのがお前の所持する“雲”の属性だ』
策略家であるリボーンの言葉は、確実に雲雀の興味を惹いていた。
雲雀は美凰の肩の乗っている赤ん坊、手の上で寛いでいるカメレオン、そして頭の上で欠伸をしている自分の鳥をまじまじと見つめた。
〔こんなに綺麗な女性なのに、なんて子供っぽい可愛さを兼ね備えているんだろうね…〕
大嫌いな“群れ”の状態であるにもかかわらず、美凰の姿に笑いがこみ上げてくる雲雀であったが、リボーンの行動は別であった。
不思議な赤ん坊ながら、雲雀はリボーンの事を知性ある扱い難い強い男として認めているのだ。
先程の“結婚”という言動からも、彼を警戒するに越したことはない。
「ねぇ赤ん坊、君どうして美凰の肩に乗ってるの? 降りないと咬み殺すよ」
「ちっ! 仕方ねぇな…」
雲雀の鋭い表情とトンファーを構えようとする仕草にリボーンはやれやれという風に肩を竦め、美凰の肩から飛び降りる。
レオンも主に続いて飛びおり、洒落たソフト帽の定位置にちょこんととまった。
それと同時にヒバードも美凰の頭から飛び立って、並盛校歌を口ずさみながらひょろひょろと窓から外へ飛び立っていった。
雲雀は満足げな様子で美凰を見つめた。
「ねぇ、美凰…」
「あ…、はい?」
美凰は先程からきょとんとしたままである。
雲雀の傍若無人ぶりに驚きを隠せないままであった。
親しげに名前を呼ばれる程の関係は築いていないと思うのだが…。
美凰の困惑などお構いなしに、雲雀はいつも通りのマイペースさで迫ってきた。
「今から貴女の店まで案内して貰える?」
「えっ? 今からですか?」
「うん。早速、自治の強化を図ろうと思ってね。周辺を見廻っておきたいんだ」
「はぁ…、それは…、とても有難いお申し出なのですけれど…。あのう…、どうしましょう、リボーン?」
美凰は困ったという風にリボーンを見つめると、彼はにやにやと妙な笑みを口許に浮かべながら雲雀を見上げた。
「悪りぃな、ヒバリ。俺達は今からランチデートなんだ」
「ランチデート?」
「もう昼飯時だぜ」
確かに、間もなく四時間目も終わる時刻である。
腕時計から眼をあげた雲雀は、リボーンの思惑ありげな視線と“デート”という言葉に不機嫌になった。
「赤ん坊…、並盛の秩序は僕だよ」
「…、困った奴だな。どうやらおめぇも美凰が気に入ったか?」
「…、悪い?」
にやりと不敵な笑みを口許に浮かべた雲雀は、挑戦的にリボーンを、そして美凰を見つめる。
一方の美凰は、解らないという顔をして雲雀とリボーンを交互に見つめていた。
とそこへ…、廊下の彼方から白衣を翻して騒々しくダッシュしてくる男の姿が三人の視界に捉えられた。
「ちっ! 厄介な奴に見つかっちまった…」
リボーンは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「ジュ・テーム! モナムール! 我が愛しの美凰ちゅわ〜ん!」
妙なフランス語のイントネーションで愛の言葉を叫びつつ美凰に向かって突進してきたDr.シャマルは、不機嫌なリボーンの跳び蹴りと超不機嫌な雲雀のトンファーをくらって廊下の壁に激突した。
「うげっ! がはっ!」
「気持ち悪い単語を並べるな!」
「廊下を走らないでくれる? 風紀が乱れるから!」
「くぅぅぅっ! ひっでぇなぁ〜 リボーンと暴れん坊主のタッグなんて、地上最強じゃねぇかよ…」
「おめぇが美凰に抱きつこうなんてするからだろ!」
「気安く美凰に触らないでくれる! 変な病気にでもなったら困るじゃない!」
「リボーンも雲雀さんも乱暴なさらないで!」
男達の思わぬ行動を、美凰は吃驚した様子で窘めたが二人ともどこ吹く風といった態度である。
「おめぇらなぁ…」
うむむっと呻きながらも、シャマルはよろよろと立ち上がった。
「ア、アントニオ…、大丈夫?」
小さく囁かれた柔らかな声に、痛む箇所をさすりながらもシャマルは粋にウインクしながら答えた。
「大したことねぇよ。美凰を巡る攻防戦なら痛い目も仕方ねぇってこった。それにしても久しぶりだな! Meu amor e!」
「本当に…、お久しぶりね…」
「来日するってぇ連絡は、ボンゴレ9代目と跳ね馬からも受けてたんだ! 会えて嬉しいぜ!」
「わたしもよ…」
「ん〜っ! 相変わらずイイ女だよな! 南仏暮らしにゃ飽きたのか?」
「……」
答えに窮している美凰に眼を細めたシャマルは乱れた黒髪をかきあげながら彼女の手を取り、恭しく白い繊手にキスを捧げた。
「ちょっと貴方、なにするの?! 気安く美凰に触れないでって言ったでしょ!」
雲雀の鋭い口調にシャマルは訝しげな表情を少年に向け、やがてにやりと口角を上げた。
「なんでぇ、暴れん坊主? いっちょまえに色気づいてんじゃね? 美凰に惚れたのか?」
その言葉に雲雀の胸は我知らずどきりとなった。
「……」
「なっ?! ア、アントニオったら、妙なことを仰らないでくださいな!」
「なんでぇ? ちっとも妙じゃねだろ! いっぱしの男なら美凰に惚れんのが普通じゃね?」
「や、やめて頂戴…」
美しい花顔がほんのりと染まっている様は妙になまめかしい。
苛々する。
彼女の手にキスしていたシャマルの親しげな態度も、彼にそれを許していた美凰の様子も…。
いつにないシャマルの真面目な態度に、雲雀はムカつきと同時に些かな困惑を抑えることが出来なかった。
常からおちゃらけて女にはセクハラな態度しか取らない男なのに、美凰の前では同じふざけるでも何かしら芯のあるものを瞬時に感じ取ったのだ。
「まあそうキレんな、ヒバリ」
「赤ん坊?」
いつの間にか雲雀の肩に乗っていたリボーンは、そっと耳元で呟いた。
「シャマルはな、マジで美凰に惚れてんだ。もう何年も前からプロポーズし続けてんだぜ」
「……」
「ま、ずーっとフラれっ放しなんだけどな…」
その言葉は、常に冷静沈着な性質であるにもかかわらず微かな動揺を雲雀に与えていた…。
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