皇帝円舞曲 6
 尚隆がテラスの階段を駆け下り、こじんまりとした薔薇園の温室にあるベンチに腰掛けている美凰を見つけたのは、リンダと別れて程なくのことである。
 俯いたまますすり上げ、涙を拭っている様子は痛々しいばかりだった。

「美凰…」

 声をかけられた美凰は肩を顫わせ、懸命に涙を堪えた。

「あの…、すみません。少し、き、気分が悪かっただけです…。もう大丈夫ですわ」
「……」

 尚隆は無言のまま、美凰の傍に近づいた。

「隣、座ってもいいか?」
「ど、どうぞ…。わ、わたくしはもう戻りますから。顔を直しませんと…」

 立ち上がろうとした美凰の肩に、尚隆は手をかけた。

「一緒に居てくれ…。話がある」
「……」

 美凰は仕方なしに、浮かせた腰を再び下ろした。

「何故、俺とお袋の事を庇ってくれた?」

 思いがけない尚隆の言葉に、美凰は眉根を寄せた。

「随分以前にも申し上げましたけれど、わ、わたくしは、家柄とか血筋とか出自で人を分け隔てなさる考え方が、き、嫌いなんです…」
「……」
「あなたのお義母さまには、ぶ、無礼な態度を取ってしまったかも知れませんが…。ど、どんな事情があるにせよ、あ、あなたと、そして亡くなったあなたのお母さまの事をあんな風に侮蔑する権利は、だ、誰にもない筈です。ひ、人は…、人ですわ。け、喧嘩や言い争いはしたくございませんけど、わ、わたくしと同じ考え方を持った方ならあの場合、だ、誰だって自分の意見は述べると思います…」

 人は人…。
 嘗てディズニーランドでプロポーズした時も、美凰はそう言っていたではないか。

『わたくしは、わたくしだけを心から愛してくださる方と、わたくしが愛する方と結婚したいの。お家の事とか、生まれの事とかは関係ありませんわ』

〔彼女は変わっていない…。あの時の彼女のまま、成長したんだ。どんなに苦しく辛い日々を過ごしてきても…〕

「そうか…」

 同じ考えを持つ者ならと美凰は言うが、だからといってあの衆目の中で誰でもがあれ程堂々と自分の意見を述べる事など皆無に等しい。
 尚隆は胸ポケットの小箱を確認しながら、自らを励ました。
 今こそ美凰に愛を告白する時なのだと…。



「わたくしは、あの方に…、亡くなった父を見ました…」
「……」

 美凰はゆっくりと立ち上り、眼の前で美しく咲いているピンクの薔薇にそっと手を寄せた。

「わたくしは、父が嫌いでした。亡くなった母は病弱でしたし、父に逆らうような強い意志も持っていらっしゃらなかった。父は自分の欲望の赴くままに、沢山の女性を泣かせていたそうです。芸術の為、総ては絵の為だけに。ご承知の通り、わたくしと要、そして文繍はそれぞれ母が違いますでしょう?」
「……」
「でも、わたくしたちはいがみ合った事など嘗て一度もありません。母が正妻であろうと、そうでなかろうと、わたくしたちには関係ありませんもの。悪いのは、女性や子供たちにいがみ合いの心を植えつけてしまう男性ですわ…」
「それを言われると耳が痛いな…。だが、君の様な女性は俺達の住む世界では稀少な存在だ」
「……」

 尚隆は立ち上がり、美凰の傍に近づいた。

「美凰…、俺とお袋を庇ってくれて有難う」
「……」

 美凰は双眸を見開き、驚いた様子で尚隆を見上げた。
 彼の声には温かな感情が溢れている。
 呆然と自分を見上げている美凰の唇に、尚隆はそっと唇を重ねた。
 酷い関係を強いられてから初めて受ける、優しいキスだった。
 尚隆は美凰の身体に優しく腕を廻し、壊れ物を扱うかの様にそっと抱き寄せた。

「誤解しないで欲しい。俺は俺の実力と俺を推薦する周囲の協力によって、あの叔父との後継者争いに勝った。あの女が言う様な事は一切していない」

 先程まで、美凰の心を苛んでいた事柄に触れられ、柔らかな身体が強張った。

「で、でも、い、以前、あなたのベッドに…、あ、あの女性が…」
「美凰…」
「お、お父さまの、つ、妻だった女性と…、か、関係なさったのでしょう?」
「違う…」

 美凰の双眸に再び涙が溢れだした。
 どうしても感情を抑える事が出来ない。

「美凰、落ち着け…。俺はそんな事はしていない。あれはあの女の妄想だ。俺はあの女と関係をした事など、一度もない!」
「……」

 美凰は尚隆の手を振り切り、彼の腕の中から逃れた。

「嘘よ! も、目的の為には、手段を選ばない、あ、あなたなのですもの…。わ、わたくしの事だって」
「信じてくれ! 俺は君を…、君だけを愛してる」
「……」
「心から…」

 愛している…。
 心から…。
 真摯な表情をして自分を見つめている尚隆を、美凰は呆然と見返した。
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