皇帝円舞曲 4
 ウィンナーワルツが優雅に流れる中、小松尚隆とゴージャスな金髪美女の目新しいダンスカップルは人々の注目の的であった。
 先程の騒動といい、『結婚披露のパーティーだというのに、またぞろ女好きの会長の悪癖が出てるのか? 花嫁もお気の毒に』などといった声があちこちで囁かれる。
 雀どもの想像とは程遠く、尚隆は逸る心を懸命に抑えつつ、硬い表情でリンダと踊っていた。

「北京では…、よくもあたしを騙したわね?」

 ふいに囁かれ、尚隆は眼下のリンダを見た。

「騙した?」
「ええ、そうよ! あたしとよりを戻す素振りを見せて、聞き出すことを聞き出したらドロンだなんて。あれから何度アポを取っても、貴方の優秀な秘書に邪魔されて、連絡すら取れなかったわ」
「……」

 どうやら、尚隆の知らない所で朱衡が巧く取り計らっていたらしい。

「五年前、あたしが貴方達の仲を邪魔したって事で誤解は解けて、晴れて仲良く万々歳ってわけ? 今は幸せの絶頂ってわけ? そんなの絶対に赦せないわ!」

 尚隆は深々と溜息をついた。
 ここにも自分の不始末が、自分が不幸にした女が居た…。

「リンダ…」
「あの女に言ってやるわ! 貴方との結婚がどんなに惨めな生活になるか! あたしを騙した罰…、そしてあたしとの結婚生活を虚仮にしてくれたお礼よ!」

 リンダの巧緻な美貌は、愛憎の情に歪んでいた。

「豪華なパーティーにダイヤの指輪…。嘗てあたしには与えられなかったものよ! どうしてあの女なの! あんな女! 貴方の事を愛していたなら、例えあたしの言葉に傷つけられてもニューヨークまで…、貴方の所まで来ればよかったんじゃない! 貴方を信じずに、真実を確かめる勇気すらなかった女なのよ!」
「美凰は約束を破ったわけじゃない…。事故で大怪我をして身動きできない状態で居たんだ」

 嘗て聞いたことのない、尚隆の沈んだ声音にリンダは青い瞳を瞬いた。

「君は忘れている…。俺が、電話に出た事を。俺が電話で、君との関係を彼女に認めた事を」
「……」
「あんな残酷な言葉を聞いて…、愛を信じる事が出来るのか? 男の許へ来る女が居るのか? リンダ、君なら来れるのか?」
「……」
「詳しくは聞いていないが…、美凰は俺との電話の後、未遂で済んだが自殺を図った…」

 サファイヤの双眸が揺らめいた。

「俺にこそ、真実を確かめる勇気がなかったばかりに、彼女を追いつめて苦労をさせた…」
「尚…」
「俺は…、美凰をレイプしたんだ…」

 リンダは信じられない思いで、驚愕に息を呑んだ。



〔尚隆が…、この尚隆がレイプですって? 信じられないわ!〕

 思いがけない尚隆の言葉に、リンダは自らの怒りも忘れ、しげしげと嘗ての夫の顔を見入った。

「…、レイプ? あ、貴方が!」

 尚隆は静かに頷いた。
 そのハンサムな面差しは、後悔と自己嫌悪の色を刷いている。
 リンダの見知らぬ、真摯な人間の表情だった。

「俺は、俺を捨てた美凰への復讐の為に、父親の残した多額の借金で生活に苦しんでいる彼女を脅迫して、情婦になる事を強要した。SEXの道具、俺の意のままになる奴隷にする為に…。散々遊んでボロボロにして捨ててやろうと思っていたんだ。冷静になって考えると自分自身に心底ぞっとする」
「……」
「他の男と居た姿に嫉妬した俺は、見境なく美凰に襲いかかった。以前結婚していたのだから、想像もしなかった…。彼女は、バージンだったんだ」
「尚隆…」

 尚隆はリンダの視線を避けるように眼を閉じた。

「俺は…、泣き叫ぶ彼女を犯し、そして…、喜んだ…。喜びの余り、何度も何度も彼女を味わい続けた…。彼女の苦痛と恐怖にすら、喜びを感じていたんだ…」
「もういいわ…。それ以上はやめて…」
「……」

 リンダは形のよい小さな頤をぐっとそらした。

「でも、誤解は解けて今は仲良く愛し合っているんでしょう? だったら…」

 尚隆はくくっと、自嘲の笑いを洩らした。

「壊れたガラスは壊れたままさ。俺は、自分が心に持ち続けていた美凰への愛に気づくのが遅すぎた。諦めるつもりはないから、再び彼女を脅して結婚したものの、彼女の心は遠い…」
「……」
「俺は…、美凰が今まで俺に対して持ち続けてくれていた愛の心を殺してしまったんだ…」

 華麗なワルツの曲が終わり、拍手が鳴り響く中で尚隆とリンダはその場に立ち止まった。

「じゃあ彼女は、貴方やあたしの言葉を聞いて、傷ついても尚、貴方を愛し続けていたというの?」

 尚隆はリンダの身体に廻していた手を静かに外すと、胸に手を当てて軽く会釈をした。
 ダンスのお相手に対して、礼儀正しい姿勢を取ったのである。

「この世には、金で買えないものがある事に俺は初めて気づいた…。今更なんだろうがな…」
「彼女の様な愛の形が『東洋人の愛』なのね?」
「? どういうことだ?」

 リンダは俯き、深々と吐息をつくとふっと笑った。

「人にもよるんだろうけど、あたしたち西洋の人間には『心に秘め続ける愛』なんて理解できないわ。欲しいものは欲しいとはっきり言い、どんな事をしてでも勝ち取るのがあたしの愛だもの…」
「…、リンダ…」
「でもね尚隆、洋の東西を問わず、『愛の心』はそう簡単には死なないわ。相手を深く愛していれば愛している程ね…」
「……」
「貴方、まだちゃんと彼女に思いを告げていないんでしょ?」

 ふいと顔を背けた尚隆に、リンダは肩を竦めた。

「態度で表わそうとしても駄目。女はね、ちゃんと言葉にして伝えないと駄目な生き物なの。貴方自身が傷つく事を恐れて、いつまでもうじうじしていると話は余計にこじれてよ?」
「……」
「彼女、さっきの女の言葉にかなり動揺していたわ。多分、貴方があの女とベッドを共にしたからこの財閥の跡取りになれたのだと思い込んでいるわね。いくら女好きな貴方でも、流石にそこまで堕ちる事はしてないと思うけど?! ある程度のライン以上の女の好みを持ってるんだし…」
「……」

 尚隆はリンダのあからさまな言葉に顔を顰めた。





 急ぎ足で自分から遠ざかってゆく尚隆を見送ったリンダは、周囲の人々の好奇の眼を毅然と無視したまま、こみ上げてくる涙を堪えつつ豪華なパウダールームに駆け込んだ。
 豪華な彫刻の間仕切りとスイングドアで個別に仕切られた小部屋のスツールに、美しい肢体をがっくりと投げ出して腰掛けたリンダは、化粧前の大理石をだんっと拳で叩いた。
 尚隆を愛している…。
『愛の心』はそう簡単には死なない。
 先程の言葉は、自分自身の心の叫びでもあったのだ。
 だが、美凰というあの女にはどんな事をしても敵わない。
 自分と結婚する以前から、そして離婚してから今までの日々、尚隆は心を偽りながら生きて来た。
 今日初めて、リンダは尚隆の心からの言葉を、人間らしい一面をみせつけられた様な気がした。
 結婚していた三ヶ月の間、一度も聞かされた事のなかった心からの叫び…。
 自分には曝け出してやれなかった、彼の苦しい想い…。
 尚隆は美凰の事だけを、心の底から望み、愛し続けてきたのだ。

「まだ諦めきれないけど…、でもあたしの負けね」

 美しい頬に滂沱の涙が流れ落ちる。
 リンダはあまりの切なさに、誰も居ない化粧室で哀しい想いに咽び泣いた…。
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