皇帝円舞曲 2
『孔雀の間』でのパーティーは盛況なものであった。
 マスコミは一切、シャットアウト。
 小松財閥の一族や、最重要関係者だけの列席との事だったが、広々とした披露宴会場には人がひしめき合い、一月だというのに熱気でむんむんしている。
 そんな中、タキシード姿の堂々たる総帥、小松尚隆がしっかりと腕を絡め、片時も傍から離さずに連れ廻している美貌の佳人に、人々の眼は釘付けであった。

「なんて美しい! あんな美人は今まで見たことがないぞ!」
「聞く所によると、皇族の流れを汲む日本画の大家の令嬢らしい!」
「見ろ! 容貌の美しさも然る事ながらあの腰、あの胸。会長が実に羨ましい!」
「確かに、女好きの会長をして充分満足させる身体つきだな! 一度でいいからあんな女を抱いてみたいものだ。ああ、まったく羨ましい…」

 そう囁くのは男達。

「奥様! あのダイヤをご覧になって! なんて素敵なんでしょう!」
「お聞きになった? 会長とは昔からの恋仲だったとか? 先方のご両親の反対で泣く泣く別れたらしいけど、再会して想いが再燃したんですって!」
「会長のお顔、もう蕩けそうじゃありませんこと? 羨ましいわぁ。あの逞しい身体を独り占めだなんて!」
「でもなんですか、あたくし…、小耳に挟んだんですけど…」
「ええっ! 会長の子供を?!」

 そう囁くのは女達。



 ドレスはヨーロッパでも有数の、王室御用達デザイナーが縫製した清楚で露出度を極力抑えた白のローブデコルテ、アップに結われた髪は煌くティアラとピンクの薔薇で飾られており、まるで、映画『ローマの休日』のプリンセスの様な装いに、豪華なカルティエのダイヤが、頸に、耳元に、そして白い長手袋を嵌めた左手の薬指に、小松尚隆の愛を勝ち取った女の証として燦然と光り輝いている。
 そして何より、プレイボーイの会長が年貢を納めざるを得ないと納得できる程の類稀な美貌、華麗な薔薇の女王然とした美凰の姿に、その場に居た総ての人達の賞賛と羨望の眼が二人に集中するのだった。

「お願い…。もう少しゆっくり…、歩いてくださらない?」
「……」

 あらゆる人達に新妻を紹介し、にこやかに談笑する間も、尚隆は片時として腕に絡めた美凰の手を外そうとせず、人から人へ足早に移動を重ねては挨拶をする。
 なんとか二十分遅れで支度を整わせ、尚隆と共にぎこちない作り笑いを続ける事一時間。
 美凰の緊張と疲労は最高潮に達しかけていた。

「そんなに引っ張らなくても…。お願い…、少し力を緩めて…」

 美凰の哀願の囁きを無視したまま、尚隆は真正面の上座に顔を向けた。

「…。静かにしろ。あの連中に挨拶をすれば、終了だ…」
「……」

 尚隆の視線の先には、威張り散らした態度で豪華なソファーにふんぞり返っている初老の男性と、美々しいオートクチュールのドレス姿に、眼が眩みそうな宝石で自らを埋め尽くした美貌の女性がいた。
 仲良く腰掛けている二人の表情はにこやかな反面、滾る焦燥と憎悪を覆い隠しきれずにいるといった風でもあった。特に美貌の婦人は、恐ろしい眼差しで美凰を睨みつけている。視線で相手を殺してしまいかねない様にも見えた…。

「あ、あのお方たちは?」

 直感的な恐怖に背筋をぞくりとさせ、美凰はか細く問いかけた。

「俺の親父の最後の女房と、親父の腹違いの弟」

 尚隆の声音は、美凰が驚く程に淡々として冷たい。

「あ、あなたのお義母さまと…、叔父さま?」
「まあ、世間的にはそういうことだな。女狐は四十歳を過ぎた所だから、義母上もなにもあったものではないが…」
「……」

 尚隆は歩みを止め、怯えている美凰の頤をしゃくると艶やかな珊瑚色の唇に熱いキスをした。
 まるで、周囲に見せびらかすように…。



「まあぁぁぁ! なんてお熱いんでしょう!」

 背後で耳障りな甲高い声が響くにも係わらず、尚隆はキスをやめようとしない。
 それどころかますます愛撫を深めてきて、柔らかな美凰の舌を吸い取る。
 美凰は羞恥に震えつつも、尚隆の情熱的な唇に蕩けてしまいそうな心地であった。

「いい加減になさったら! あたくし達にご挨拶もなく。衆目があってよ!」

 嫉妬心露わに声を上げる小松夏蓮の声に、尚隆はキスをやめて美凰を抱き締めながら悠然と振り返った。

「やあ、これは義母上! お久しぶりですな? 相も変わらず、毒々しい程お美しい…」
「……」

 美凰は尚隆の腕の中で身もがきした。
 その仕草に、尚隆が力を込めて護っているといった様子を認識した夏蓮は憎々しげに美凰を見下した。

〔なんて、なんて美しい女なのっ! 嘗てライバル視していた女優の中にだって、これ程の美貌はいなかったわ。先代が生きていたら…〕

 美貌に自信のある女は、自分以上の美に対し極端に嫉妬に走る。
 真っ赤に塗られた血の色の様な唇が、見え隠れする女の怨嗟を感じ取らせ、美凰の恐怖心を煽った。

「その方なの? 貴方が結婚したという、噂のお嬢さんは…」
「そうですよ。嘗て日本画の大家だった花總蒼璽氏の令嬢、美凰です。昨年末、役所に届け出も提出しました。小松の正式な総帥夫人です…」

 夏蓮はふくれっ面になって、にこやかに自分を見下している尚隆を見上げ、そして小松の総帥夫人と紹介された美凰を再び睨みつけた。

「まあ! 先代夫人のあたくしに挨拶もなし! 皇族の末裔のおひいさまとか聞いたけど、礼儀がなっていないのねぇぇぇ!」

 その意地悪剥き出しの言葉に美凰は顔面蒼白になりながらも、きちんと正面を向き、夏蓮に向かって丁寧にお辞儀をした。

「初めまして…。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。美凰と申します。以後宜しく、お見知りおきくださいませ…」

 尚隆が美凰の肩に背後から手をかけ、大切そうに護るようにして嫌味っぽく義理の母に笑いかけると、夏蓮は美しい顔を歪め、ふんとそっぽを向いた。

「あたくしは小松夏連、尚隆さんの義母よ。あちらは亡くなった主人の弟で、小松直人さん…」

 けばけばしい色が塗られた長い爪の指す先には、太った小男がふんぞり返って座っている。
 叔父と呼ばれた小男に会釈をし、挨拶の為に近寄ろうとした美凰の腕を尚隆はぐっと押しとどめた。

「君が出向く必要はない。小松の総帥はこの俺だ。向こうが挨拶に来るのが筋というものだろう」
「でも…」

 尚隆の深い憎しみが露わになった力強い口調に美凰は戸惑い、そんな彼女の様子に夏蓮が侮蔑の笑い声をあげた。

「なんにも解っちゃいないのねぇ。まあいいわ。それよりも貴女、再婚だそうね。尚隆さんったらよくまあ、中古品と結婚するだなんて…。避妊にしくじって孕ませちゃったとか聞いたわ。お莫迦さんね! 今までそんな失敗、した事なかったでしょうに…。本当に貴方の子供なのかも解ったもんじゃないわ。とにかく、今からでも遅くなくってよ! 二ヶ月ならまだ間に合うし、さっさと処分して手切れ金を渡したらどうなの! 白いウエディングドレスも着れない様な女と、小松の総帥が結婚するなんて、あたくしは認めないわっ!」

 夜叉の様な形相で失礼な言葉を並べ立てて詰め寄ってくる夏蓮に、美凰は澄んだ双眸を見開き、呆然と立ち竦んでいた。
 そんな美凰を庇って夏蓮の侮蔑を巻き返したのは、怒りも露わな尚隆だった。

「それ以上の侮辱は許さんぞ! いいか、よく聞け! 美凰の以前の結婚は白い結婚だ! 彼女は無垢なまま俺の妻になった。後にも先にも、男は俺だけだ! 中古品なんてものの言い方は許さん!」

 尚隆のあからさまな言葉に、美凰は羞かしさに耳まで赤く染めながらも、彼の言葉に不思議な響きを感じ取っていた。
 それは、ひび割れていた心に軟らかな水が注がれた様な心地をもたらした。
 一方、夏蓮はといえば、怒りでこれまた真っ赤になっている。

「なっ!…」
「子供も間違いなく俺の子だ! 失敗だと! 俺が望んで作った俺達の子だ! 俺は自分の子供の誕生を心から喜んでいるぞ! この小松財閥の跡取りの誕生をな! 認めんだと! 何をたわけた寝言を言っている! あんたに認めてもらう云々を言われる筋合いはないっ!」
「尚…」
「尚隆さま、もうおやめになって…」

 いくら失礼な態度を取られたとはいえ、義母に対する尚隆の常軌を逸した言葉遣いを美凰は恐々窘めた。
 しかし尚隆の次の言葉に、美凰は愕然となってしまった。

「以前にも言ったな! 俺のベッドにあんたの入る余地はないと! お手許金を減らして欲しくなかったら、鎌倉の邸でおとなしくやってろよ。ゴシップにならん程度に若い男と遊ぶぐらい、大目に見てやるさ」
「……」

 美凰の腰に手を廻し、尚隆は美貌の面差しを醜く歪めてわなわな震えている夏蓮に、くるりと背を向けた。

「挨拶は終了だ。いくぞ!」

 尚隆の態度に、夏蓮の理性は完全に吹っ飛んだ。

「な、なによっ! ち、ちょっといい顔しててSEXが巧いからって、生意気言うんじゃないわよ! 誰のお陰で小松の跡取りになれたと思ってんの! あたくしが後押ししてあげたからじゃない! なによっ! 先代の妻になったこの美しいあたくしの事を妬んで、秘書なんかと駆け落ちした性悪妾の子の分際で! やっぱりあんたはあの女の息子よ! 恨みがましくて、妬み屋のお莫迦なあばずれ! 貧乏して落ちぶれて無様に死ぬなんて、惨めだこと! あの女に相応しい末路だわ!」

 あまりの悪口雑言に、流石の尚隆も無視する事が出来ず、怒りを露わに拳を握りると、夏蓮に向かってくるりと振り返った。
 その刹那…。
_73/95
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