結婚 2
 美凰が客間に顔を出すと、尚隆は初老の紳士と談笑していた。

「い、いらっしゃいませ…」

 緊張した面持ちで丁寧に会釈する美凰に、品のよさげな紳士は立ち上がって丁寧にお辞儀をした。

「これはこれは! なんとお美しい奥様でいらっしゃる…」
「……」
「そこは足許が冷える。ここへ座れ…」

 促された美凰は、尚隆の隣に腰を下ろした。
 紳士は、花の様な美貌の面差しに瞠目しながら美凰を見つめ、やがて感嘆の吐息をついた。

「小松様は本当にお目の高いお方でいらっしゃいます…。奥様がコンクパールのお方でいらっしゃいますね?」
「コンクパール?」

 訝しげな美凰の表情に、紳士はにこやかに微笑した。

「ああ、申し遅れました。わたくし、銀座で宝石商を営んでおります田中と申します。この度はご結婚あそばされたそうで…。まことにおめでとうございます…」
「あ、有難う…、ございます…」
「突然の事でいらっしゃいますので、驚きましたが…。小松様がコンクパールを一式お買い求められた時から、なんとなく…、予感はしておりましたよ。こんなにお美しい奥様をお迎えになられて…、本当に果報者でございますよ。小松様!」
「……」

 無言のままコーヒーを口にしている尚隆へにこにこ語りかけると、田中は傍に居た従業員に持参したアタッシュケースの鍵を開けさせ、てきぱきと準備を進めた。
 どれも逸品の品物である事は言うまでもない、豪華に煌く宝石が並べられたビロードケースが次々と応接テーブルに並べられ、美凰は尚隆の意図を悟った。

「あ、あの…」
「どれでも好きな物を選べ。慌ただしい入籍だったから、エンゲージリングもマリッジリングも準備してなかっただろう? 程なく、ウェディングドレスの準備に唐媛が大阪から到着する」

 驚愕に、美凰の美しい双眸が見開かれた。

「ウ、ウェディングドレスですって?」
「腹が目立たない内に挙式と披露宴がしたいだろう? 綺麗なドレスに夢の様に贅沢なパーティー…。女はそういう儀式が大好きだからな…」
「……」

 書類上の入籍を済ませれば、それで終わりだと思っていたのに…。
 流石に美凰の家族に黙り通す事は出来ないが、結婚式となれば話は違ってくる。
 尚隆ははっきりと、子供の為の結婚である事を美凰に宣言していた。
 妻を娶った事を世間に公開することは、彼にとって決してメリットのあることではない。
 美凰には尚隆の心がまるで解らなかった…。
 無言のまま沈思している美凰に、田中が訝しげに声をかけた。

「如何なさいました、奥さま? ご気分でも…」
「い、いいえ…。あまりに美しい指輪ばかりで眼が眩んでますの…」

 美凰のうわずった声音に表情を曇らせた尚隆は、頤を強張らせて身を乗り出してずらりと並ぶ大粒のダイヤモンドのひとつを手に取ると、無造作に白い繊手の薬指に嵌めた。

「これなんかどうだ? 大きなダイヤだし、流行のブランドだぞ?」
「ええ…、とても綺麗…」

 左手の薬指に嵌められたブルガリのエンゲージを、美凰は虚ろな眸で眺めやる。

「でも…、大き過ぎてわたくしには合いませんわ…」
「……」

 二人を取り巻く不穏な空気にいち早く気づいた田中は、すかさず言った。

「小松様。宝石商のわたくしが申し上げるのもどうかと思いますが、奥様のお美しさは流行よりも古典的な名門店のお品の方が相応しいかと存じます…」

 睨みつけていた美凰からはっと視線を戻し、尚隆は田中を見た。

「…。そうなのか?」
「はい…」

 尚隆はふうっと息を吐くと、ソファーにふんぞり返った。

「宝石の事は俺にはよく解らん。店長が良い物を見繕ってやってくれ。金に糸目はつけんでいい」
「まあまあ。そうご機嫌をお損ねになられずに…。ダイヤも大きければよいというものではございません。勿論、小さいよりも大きいに越したことはございませんが…。僭越ではございますが奥様の雰囲気でございましたら、然様でございますね…。こちらなどは如何でございましょう?」

 そう言いながら、田中が慎重な扱いで取り出した指輪は燦然と輝くカルティエのエンゲージリング『ソリテール1895パヴェ』の2カラットものであった。

「まあ…、なんて美しい…」

 気乗りしていない美凰ですら、流石に目の前に置かれたラウンドブリリアントカットの大粒を、賞賛の眼で見つめている。
 尚隆は黙ったまま、美凰の表情を確認した。

「マリッジリングはこのエンゲージに合わせて、こちらのエタニティを…」

 田中はエンゲージの隣に、計3カラットからなる華やかなエタニティリングを添えた。

「失礼ですが、奥様、お手を…」

 言われるままに差し出した美凰の手からブルガリの指輪が外され、エタニティリングが嵌められる。
 その上から煌くエンゲージリングが重ねづけられ、白魚の様な美しい指は燦然と光り輝いた。

「如何でございますか? ダイヤのクラス、プラチナの質は最高級、デザインは老舗のカルティエでございますから上品でいて豪華なこの輝き…。美貌の奥様には自信を持ってお奨めできる逸品かと…」
「…、あっ、あのう…」

 断ろうとした美凰の言葉を遮ったのは尚隆であった。

「では、それに決めよう。…、妻も…、気に入った様子だ…」
「尚隆さま! いけませんわ! こんな贅沢なものを…」
「構わん。君が気に入ったのならそれでいいし…、よく似合う…」
「……」
「店長、揃いで俺の指輪も準備してくれ。頼んだぞ…」
「畏まりました…。では採寸をさせて戴きますので…」

 田中が従業員を指示し、尚隆と美凰の指の寸法を確認する。
 美凰は驚きに呆然としたままであった。

〔尚隆さまが…、結婚指輪をつけると仰るの?! 指輪を…〕

 美凰には尚隆の心がますます解らなかった…。

〔また、何かの意地悪なのかしら? わたくしを傷つける為の…〕

 そっと隣の席を流し見て、夫と呼ぶべき男の様子を美凰は窺う。
 尚隆は神妙な面持ちで採寸を繰り返していた。





「小松様が15号、奥様が7号ですね…。ではエンゲージは8号サイズにしておきます。左手にマリッジ、右手にエンゲージをお付けになられるのが正式使いでございますから…」
「……」
「秘書に小切手を準備させる。いくらだ?」
「はい。エンゲージが880万円、マリッジが136万円と小松様の『デクラレーション・ウェディングリング』が16万円でございますから…、しめて1032万円に消費税を併せまして、1083万6千円となります…」

 気が遠くなりかけている美凰を尻目に尚隆は立ち上がり、朱衡に電話をして新年早々に小切手を個人口座から準備して置くように命じた。

「大至急、お直しに入らせて戴きます。新年早々にはご納品可能かと…」
「頼んだぞ。結婚式は簡素なものにするつもりだが、小松の肩書きを背負っている以上、披露宴は大々的にしなければならんからな…。新年の10日にはパーティーを開く予定だから、それまでには完璧に仕上げてくれ」
「畏まりました…。奥様、宜しゅうございましたね?! 気前のよい旦那様で…」
「え、…、ええ…。ほ、本当に…」

 強張った微笑を浮かべたまま、美凰は無意識に腹部を庇うように何度も撫でさする。
 結婚して三日たつが、バリ島での緊急入院と妊娠が発覚してから後の美凰は一度も笑わない。
 尚隆からの投げつけられた一方的な諍いの言葉に対して、美凰は何一つ反論しようとせず、彼の言うまま黙って現在の状況を受け容れている。
 心を完全に閉ざしてしまったかの様に見える、その哀しげな仕草を黙って見つめていた尚隆は、ますます不機嫌になって口許を引き結んだ。
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