「ナイスショット!!」
流暢な日本語の賛辞に、物思いに耽っていた美凰ははっとなって顔をあげた。
尚隆の見事なショットにより弾丸となったボールは、青々としたフェアウェイに落ちた。
「320ヤードは飛んでおりますよっ! トワンは本当に素晴らしいっ!」
キャディーのタムロンは賞賛の眼で尚隆を見上げた後、ショットをする為に慌ててドライバーを振り始めた美凰に向かって、にっこりと微笑んだ。
「ではレディースに移動して…。ニョニャ、今度こそ勝てると宜しいですね!!!」
興奮して鼻息荒いタムロンに、美凰は顔を赤らめた。
昨日の今日で尚隆の指導を受けた美凰は、短時間で基本スタンスとルールを学び、ヴィラに隣接するゴルフコースに引っ張り出されてしまったのだ。
お揃いのバーバーリーのウェアに身を固めた二人がロビーに現れただけで、殆どがセレブばかりの周囲だというのに、憧憬と溜息があちこちから漏れ聞こえる。
豪華な特別ヴィラに1週間近く滞在している美男美女の存在は、羨望の的であった。
尚隆愛用のテーラーメイドは持参していたが、美凰には道具がない。
色々試させた挙句、尚隆は美凰の為にキャロウェイのフルセットを購入した。
午前中だけのハーフゴルフ、そして各ホールごとに負けた者が勝った者にキスをするという罰ゲームまで課せられた美凰は、初めてのゴルフに四苦八苦していた。
当然、ここまでの5ホールは総て尚隆の勝ちで進み、美凰はタムロンの眼前で情熱的なキスを尚隆に奉げなければならず、羞恥の思いで一杯だった。
だが、初心者にしては美凰のスコアはなかなかコンパクトにまとまっていた。
非力なのが幸いしているのか、飛距離は出ないものの曲がらずに真っ直ぐフェアウェイに落ちるし、パットも天性の感なのか巧みなものだった。
「なにせニョニャのボールは威力はございませんが、真っ直ぐ進みますものですから安心です。グリーン廻りもお上手で2パット以上はございませんからねぇ〜 トワン、ご油断なさっていらっしゃると、このホールはニョニャの熱いキスを戴けそうにありませんぞ〜」
「まったくだ。では、手抜きせずに真面目に攻略するとしよう…」
尚隆は苦笑しながら、美凰のスタンスの一挙手一投足に手を加えてやった。
指導と称して背後から腰に手をかけられ、耳元に熱い息がかかる。
その度に美凰の心臓は、爆発しそうなほどにドキドキしていた。
高価なウェアに包まれた逞しい身体から仄かに漂う汗の香りを鼻孔に感じると、それだけでベッドで日毎夜毎自分を翻弄する尚隆の姿を妄想してしまい、美凰はボールに集中出来なくなってしまう。
真っ赤になった美凰が混乱したままショットしたボールはすいっと舞い上がり、100ヤードのフェアウェイにほんわりと落ちた。
「…、やれやれ…。ドライバーで100ヤードとは…」
尚隆は呆れた様子でくつくつ笑っている。
タムロンは笑いを堪えながら大仰に叫んだ。
「ナイスショット! ニョニャは本当に外されませんねぇ〜 飛んでませんが、真ん中です…」
「だっ、だって…、あの…、つっ、続きを打って参りますわ…」
セクシーな尚隆を妄想した自分が情けなくも羞かしく、美凰はそそくさとボールの落下地点まで歩みを進めた。
尚隆のボールの地点までは、少なくとも後2打はショットしなければならない。
〔また、キスしないといけないのかしら…〕
「ニョニャ〜!!! アイアンに持ち替えてくださいませ〜!!!」
どこまでも青い空の下、茹蛸のように耳まで真っ赤になって歩む速度を進めている美凰の後ろを、5番アイアン片手にタムロンが追いかける。
〔このホールも俺の勝ちだな…〕
にんまりとした笑みが、自然に口角に浮かび上がってくる。
美凰をサポートしているタムロンの後方を、電動カートをゆっくり進ませながら、尚隆は楽しげに二人のやり取りを見つめていた。
結果、スコアは尚隆が35 美凰が70だった。
人の指導をしながらこのスコアで上がってくるなど尋常ではないし、明らかに手抜きをしている風でもあった。
尚隆はプロを目指しても、充分成功していたに違いない。
人前で尚隆に9度も情熱的なキスを奉げた美凰は、ご褒美として尚隆から熱いキスを与えられた。
身体が蕩けてしまいそうに巧みなキス…。
美凰の瞳に彼を欲する光が宿り始め、尚隆は敏感にその欲望を察知する。
「よく頑張ったな? 今夜は早めにベッドに入ろう…。キスの続きはその時に…」
耳元でセクシーに囁く尚隆の声は、美凰の胸を激しく焦がした。
ヴィラに戻ってきた二人は遅い昼食を摂った。
美凰の筋肉痛と肌の事を考えた尚隆はスパでゆっくりする様に勧めてくれ、美凰は贅沢なスパトリートメントを心ゆくまで楽しんだ。
ここ3日ばかり、二人の間に流れている穏やかな空気を壊さないように尚隆は努力を重ねてくれていたし、美凰も出来るだけ彼の努力に応えたいと思っていた。
休戦初日、尚隆はプライベートビーチに美凰を誘ったが、体調のことを考えた美凰はどうしても泳がないと言いきった。
「荷物に水着は入ってなかったのか?」
「入っていましたけれど、この背中の傷であんな水着は着られませんわ…。そっ、それにわたくし泳げませんもの…」
「ならプライベートプールで俺が教えてやる。水着も他のものを買ってやるから…」
「…、いいえっ! とっ、とにかく…。それに、他にしたい事が沢山ございますの!」
焦った口調の美凰を、尚隆は訝しげに見つめた。
「何がしたいんだ?」
「せっ、折角ここまできたのですから、あの、ボロブドゥールを見学したり、民族舞踊を鑑賞したり、釣とか、イルカウォッチングとか…、それに象にも乗りたいわ…」
尚隆は、ふうっと息をついた。
アクティブな行事は殆どと言っていい程にない。
その上、バリ島に来たのに折角の美しい海に入らないとはおかしな事だ。
だが少なくとも、彼女は自分はこうしたいと希望している。
尚隆はその事が嬉しかったのだ。
背中の傷の事を気にしているだけだと考えた尚隆は、美凰のビキニ姿を見ることを断念した。
そうして、今日までの日々を美凰の望む通りに行動し、夕暮れともなると浜辺を静かに散歩した。
美しい水平線の彼方に消えてゆく夕日をうっとりと眺める黒曜石の双眸。
宵の明星を指差す白い指。
太平洋の星々が振りそそぐ中に立ち尽くす美凰は眼が離せない程に美しく、ますます尚隆を虜にしていた…。
日差しは既に暮れかかっている。
いつもなら浜辺の散歩の時間だったが、スパから戻ってきた美凰を抱き上げると尚隆は彼女をベッドに運んだ。
シャワーを浴びた尚隆の胸からは、南国特有の甘い石鹸の香りがする。
「これを君に…」
ベッドに下ろされた美凰の眼前に、宝石箱が差し出された。
「まあ…」
箱の中身は南洋産の豪華なゴールデンパール、大粒の逸品であった。
淡い黄金色の輝きは月明かりに似ている。
「美しいこと…」
まろやかな照りを見つめ、美凰は感嘆の声を上げた。
「嬉しいか?」
尚隆の不安げな声に美凰は、はっと彼の顔を見つめなおした。
今まで、尚隆から色々なものを与えられていたが、美凰はそれらを自分のものだと思った事は一度もない。
心からの喜びの表情を現すこともなかった。
それらのものは総て、ステイタスな彼の傍に居る時の制服の様なものだと感じていたからだ。
いずれ別れるときには返却するべき物だと思い、大切に扱っても愛着を持とうとは思わなかった。
薔薇色の真珠も嬉しかったが、指輪だった事は美凰の心を複雑にした。
現に、金庫に仕舞ってきたと尚隆には言ったが、指輪は小さな絹綿のポーチに入れて持ってきている。
愛を込めて貰えた指輪なら…、そう考えるたびに女心は血を流し続けているのだ。
だが、美凰はにっこり微笑んだ。
「とても嬉しいわ…。本当に、有難うございます…」
いつもとは明らかに違う美凰の反応に、尚隆はほっと息をついた。
傷ついた心が、少しだけ癒された様な気がしたのだ。
「つけてやろう…」
尚隆は、薔薇の香りがする美凰の頸にネックレスを着けてやった。
象牙色にうっすら日焼けしている美凰の肌に、照り輝く黄金色のパールはよく似合った。
「あっ、有難うございます…」
美凰の心臓がドキドキ波打っている。
尚隆が欲しい…。
身体を労わらなくてはならない時期なのに、美凰の欲望ははしたない程に燃え上がっていた。
その欲望の色を認め、尚隆はセクシーに微笑みながらバティック染めのサンドレスの肩紐を解いてゆく。
上半身が露わになり、胸の膨らみに尚隆の手が触れる。
妊娠した事を自覚したせいか、乳首は普段以上に敏感になっていた。
「あっ…」
興奮に屹立した美しいピンク色の乳首に尚隆の熱い舌を感じ、美凰は身悶えて喘いだ。
愛欲の情が、美凰の理性を奪い去ってゆく。
舌先での愛撫の範囲を少しずつ広げながら、尚隆は美凰をベッドに押し倒した。
「…、君が欲しい…」
「…。わっ、わたくしも…」
じっと見つめ合う二人は、そのまま熱いキスを何度も交わした…。
漣に交じって熱い民族楽器の音色が柔らかく聞こえてくる。
「ガムランの音色ですわね…」
美しい天蓋つきのベッドの中で尚隆に抱かれ、快楽の余韻に浸っていた美凰がそっと呟いた。
「そういえばオースマンが音楽会をやると言っていたな? 観に行くか?」
背後から美凰を抱き締め、流れ落ちる髪を優しく撫でていた尚隆が耳元で囁いた。
今夜はパブリックプールに特設ステージを設けて、民族楽器の夕べを催しているのだ。
尚隆と美凰にもオースマンから声がかかっていたが、早々とベッドに入ってSEXに溺れ、陶酔していた二人はイベントの事をすっかり忘れていた。
「いいえ…。ここでも充分聞こえて参りますわ…」
尚隆の離れ難い様子は美凰にも充分伝わっていたし、彼女も同じ思いだったのだ。
今はただ、静かにこうしていたい…。
抱き締めている美凰の背中の傷をそっと撫で、尚隆は静かに呟いた。
「君の…、背中の傷…」
「……」
「美容整形しよう。良い医者を月梅に探させる。リハビリにもこまめに通うんだ」
「……」
〔距離が縮まっていく…。どんどん、どんどん…〕
5年前に戻る事は出来なくても、新しい地点からスタート出来るかもしれないのだ。
美凰は頸にかかったままの真珠をそっとまさぐる。
ここ暫くの尚隆の態度に、そしてこの真珠を贈ってくれた彼の様子に、美凰の胸は小さな希望の灯を灯さずにはいられなかった。
〔愛していると…、あなたを心から愛していると…。赤ちゃんが出来た事も、今なら話せるかもしれない…。そして…〕
「美凰?…、眠ったのか?」
慣れないゴルフのせいで疲れが出たのか、美凰はことりと眠りに落ちていた。
尚隆は死んだように眠る美凰を、ただじっと抱き締めていた。
_64/95