12月に入ると、巷はクリスマスムード一色になる。
美凰との関係を始めてから、初めて迎えるクリスマス…。
彼女は家族と、弟と共に過ごしたいと言うに違いないが、尚隆はそれを許すつもりはなかった。
美凰を知る程に手離し難く、心を閉ざした彼女に囚われているのは尚隆の方であったのだ。
今までのクリスマスといえば、その都度違う愛人達と豪華なパーティーに徹夜で興じていたものであったが、今年は…、美凰と二人きりで過ごしたかった。
一緒に居たい…。
ただ、傍にいて欲しかったのだ。
尚隆は考えあぐねた挙句、銀座の老舗の宝石商に足を向けた。
美凰へのクリスマスプレゼントを買い求める為であった。
初老の店長に恭しく出迎えられ、特別室に招かれた尚隆の眼前には様々の美しい宝石が披露されていた。
ダイヤにエメラルド、ルビーにサファイヤと、ノーマルな女性なら目移りする程に豪華なジュエリーたちが美を競い合って煌いている。
〔普通の女ならな…。だが、美凰はそうじゃない…〕
尚隆は心のもやもやを口に出すまいと、並べられた宝石を無言で見つめていた。
VIPな上客の眼が乗り気でない様子に、店長は店員になにやら耳打ちをし、奥の部屋の金庫から特別な商品を取り出させた。
「こちらは昨日届きました自慢の逸品でございます。如何でございましょう?」
ふいにデジャウを感じる。
黒いビロード張りのトレーに置かれた、鮮やかなピンク色の珍しい宝石を尚隆はじっと見つめた。
どこかで見たことのある、そう遠い昔ではない…。
なにかの記憶の中に引っかかっている…。
そんな気がしてならない、それは美しい宝石だった。
「これは…、なんという宝石だ?」
店長は尚隆の眼の輝きを見逃さなかった。
「流石は小松様! お眼が高うございますな。こちらは天然の稀少な真珠でございますよ!」
尚隆の双眸が驚きに見開かれた。
「真珠?! 俺には珊瑚の様に見えるが…」
セレブ御用達の宝石店店長は、にっこり微笑んで首を振った。
「こちらは国際保護を受けておりますカリブ海原産の美しいピンク色の巻貝『クイーンコンク』から採れる天然真珠でございまして、『コンクパール』と呼ばれ、宝石にご興味のない女性でも溜息をついてうっとりとご覧になられる極上品でございます。宝石好きにとっては憧れの逸品と申し上げて宜しいかと…。養殖が出来ませんので、現在、市場で売買されております『コンクパール』は、すべて天然ものの真珠でございます。『コンクパール』の発見は1万個に1個、その中でも宝飾価値として認められるものは、1/5でございますね。つまりは5万分1の確立でしか手に入らない、まことに稀少性の高い真珠でございます…」
「……」
土台は上質のプラチナ、総てが1カラット以上ある美しい『コンクパール』は特上クラスのダイヤと色鮮やかなルビーで縁取られ、華やかな仕上がりになっている。
店長は美しい宝石を我が子を見るように愛しげにうっとりと見つめ、吐息をついた。
「なにせ 幻のレアジュエリーの上、デザインは清楚に仕上げられることが多く、このような主張のあるデザインはとても新鮮でございます。特有の魅力的なピンク色と果物のように瑞々しく艶やかな輝き…。この透明感のある表面には『火焔模様』あるいは『フレーム』と呼ばれる独特の曲線模様が見られ、『コンクパール』の中でもさらに高い評価が付けられます」
「……」
「『コンクパール』は、カリブ海の自然が大切に育んだ愛を、そのまま結晶にした様な優しい表情が魅力の真珠でございます。如何せん、どうしても養殖が叶いませんので奇跡的な誕生と運命の出会いを待つしかない、とても希少価値の高いものなのでございますよ」
「成程、店長が熱弁するだけの事はある。美しい宝石だ…。デザインも群を抜いているな?!」
「フランス在住のわたくしの知己が著名なファッションデザイナーでございまして、まだ若い…、小松様と同じくらいの年頃ですか…、この宝石がジュエリーデザインとしては初めての品物となりますもので…」
「宝石の類は俺にはよく解らんが、確かに美しい…。いいセンスをしている」
「恐れ入ります…」
〔奇跡的な誕生と、運命の出会いの真珠か…〕
尚隆は美しいピンクの薔薇にも似た色つやの宝石に、美凰の身体中の薔薇を想像した。
柔らかな朱唇と甘い舌先…、ぷっくり膨らんだ芳醇な乳首…、そして、広げられた白い腿の中心、花弁の奥に熱く熟れている濡れた花園…。
〔真珠は美凰の宝石だな…〕
ダイヤも似合うが、彼女の繊細な美しさにはやはり真珠の様な気がした。
だが…。
〔俺は指輪は贈らないと言ったんだ…〕
眼前で煌いてるカリブ海が生み出した天然の美しいジュエリーは、ネックレスと指輪、それにイヤリングが総てセットとしてデザインされている。
美凰の為に、金がどんなにかかかろうと惜しくはない。
現に今まで与えた物の金額を考えたとするなら、美凰を縛り付けている借金など大海の一滴に過ぎないのだから。
だが肝心の、与えられている側が心からの喜びを見せてくれた事がないのだ。
勿論、丁寧に礼は言うし、与えた物をこの上もなく大切に扱っている。
そう…。
まるで貸与された制服に染み一つ綻び一つなく、返却の日まで慎重に取り扱いながら身につけているかの様に…。
〔美凰は別れの日を心待ちにしている…〕
どんなに隙間なく肌を合わせても、愛欲の限界まで追いつめても、彼女の美しい身体は自分に縛り付ける事は出来るが、あの美しい心を得る事は出来ないのだ。
初めはそれでもいいと思った。
美凰とずっと居られるのなら、それでもいいと…。
だが、どんなに強く見せかけようとも自分は唯の人間であり、唯の男なのだといつしか気づかされた尚隆は、どんなに取り繕っても、心を偽り続けていられなくなってきている。
その為、ついつい彼女を傷つけてしまうような言葉ばかり、口にしてしまうのだった。
どこかで見た事がある、珊瑚の様な真珠…。
尚隆は清楚な中にも炎の情熱が秘められた美しい指輪を手に取り、ためつすがめつ眺めながら嘆息を吐いた…。
「会長、失礼致します…」
ノックの後、会長室に入った朱衡は、尚隆が慌しく帰り支度をしている姿に首を傾げた。
「如何なさいました? 定時にはまだお時間がございますよ?」
「すまんが今日は帰る。緊急の時だけマンションに連絡をくれ」
尚隆の焦っている様子に、朱衡は訝しげに声をかけた。
「美凰様が大阪から到着なさったと伺いましたが、お具合でも?」
朱衡の問いかけに、ビジネスバッグを片手に尚隆は深々と吐息をついた。
「まったく…、恐ろしい程に身体の弱い女だ。折角東京に呼び寄せたのに、熱で寝込んでしまったから何の役にもたたん!」
「医者のお手配は…」
「もう月梅を向かわせている。先程連絡があったが、唯の風邪みたいだからと言っていた。まったく…、基本的に自己管理がなっていないのだな…」
主の嘯いた物の言い方に、朱衡は眉を顰めた。
「美凰様は何事にも我慢なさり、無理をなさり過ぎるのです。病に対する自覚症状を無視なさっておいでなのは、どなたかのせいではないのですか?」
責めるような朱衡の口調に、尚隆は怜悧な第一秘書をぎろりと睨みつけた。
「なんだ?! 俺のせいだとでも言いたいのか?!」
朱衡は睨まれても平気な様子で肩を竦めた。
「さて…。わたくしはその様な事は申し上げておりませんが…」
「…、とにかく帰る。お前で出来る決裁なら大阪の白沢と連絡を取ってやっておけ! それから、あの女の事をとやかく言うのはやめろ。何も知らない者が聞いたような口をきくな!」
「……」
不機嫌そうに肩をいからせて出て行く尚隆を、朱衡は溜息をついて見送った。
〔会長、貴方のその意固地さが…、いつか恐ろしい程の絶望と後悔に変わらぬ様、わたくしは祈るだけです…。美凰様は神様ではないんですよ?! いつか…、貴方を赦さない日がやってくる…〕
どんなに彼女の事を批判しても、結局は心配の余り仕事も手につかずに帰宅する有様ではないか。
朱衡は美凰の為、そして尚隆自身の為にも、早く彼が自分の愛情を素直に形にして認める日が来る事を切実に願った。
その頃、ベッドに横になっていた美凰は、海外から帰国したばかりの六太に見舞われていた。
「まあ! なんて美しい…」
六太がお土産だといって無造作に渡してくれたオーバル型のカボションを美凰は掌に乗せ、ためつすがめつ見つめていた。
熱い掌に美しいマリンブルーの石がひんやりと冷たく、心地良かった。
「宝石とかってプレゼントするとあいつが煩そうだかんな〜 だけどこれは本当に綺麗だったからつい買っちまったんだ〜」
「……」
カリブ海に浮かぶイスパニオラ島(エスパニョーラ島)の東、青い空と青い海に包まれているドミニカ共和国から帰国したばかりの六太は、少し日焼けした頬を紅潮させて美凰を見つめながら、土産に持参した宝石『ラリマール』の事について得た知識を彼女に披露してた。
ドミニカ共和国のバオルコ地区にある鉱山で採掘され、一般市場に出ていても採掘権は外資系企業が殆ど買占めている為、高品質の『ラリマール』はなかなか手に入らないというのが世界的実情だという。
このブルーペクトライトという名の鉱物は、現地では愛と平和を表す鉱物とされている。
鮮やかな青と眩い南国の太陽の光、カリブ海に差し込んだ時に見えるような海をイメージさせる模様は、近年、その美しさと希少性の高さからとても人気の高い石となっているらしく、一つ一つ個性溢れる美しい色味と模様をしている石を見た途端、眼にも鮮やかな世界唯一の美しき石に六太は大好きな美凰の事を連想したのだ。
「心の奥に隠された怒りの感情を鎮め、自己の間違った観念の束縛から解放される様に力を与えてくれるといわれ、持つ人に変わらぬ平穏と友情を授け、労わりの気持ちを持って物事に対処出来る様に導く力があるといわれるんだってさ…」
「まあ…。素敵ですわね。まるで魔法の玉を手に入れた心地ですわ。本当に有難うございます。とても嬉しい…」
心からの喜びを表す様に美凰は蕩けそうな笑顔で礼を言い、
『ラリマール』をそっと握り締めた。
六太は美凰の心からの感謝の言葉が嬉しく、その美しい笑顔に陶然と見惚れていた。
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