世界の光 1
 巷のショーウィンドウがオレンジ色に染まっている10月初頭。
 経団連との夕食を含めた会合を終え、いつも通りの冥い顔色で帰宅した尚隆は、真剣な表情をした美凰がオレンジ色のかぼちゃに向かって懸命に手を動かしている姿に遭遇した。
 どうやら小刀を使ってかぼちゃを彫っているらしい。
 美凰が何かに没頭している姿を見るのは初めてだった。

〔莫迦莫迦しい! この部屋でハロウィン行事を気取るつもりか?!〕

 胸裡で毒舌を吐くものの、心の中に妙な灯りがぽつんと点る。

〔まあ…、ガキの行事も悪くはないが…〕

 尚隆は暫しの間、食い入る様に美しい彼女の横顔を見つめていた。



「つっ!」

 小さな悲鳴が尚隆を我に返らせる。
 見ると美凰は白い指先に唇をあて、痛そうに顔を顰めていた。

「美凰!」
「あっ! お、お帰りなさいませ…」

 慌てて小刀を置き、細工をしていたと思しきかぼちゃにさっと布を掛けて男を出迎える為に椅子から立ち上がった美凰につかつかと歩み寄った尚隆は、怪我をしたと思しき左手をぐっと掴んだ。

「手を見せてみろ!」
「あっ!」

 白い指に、赤い血がぷっくりと滲んでいる。
 たった今、つけてしまったばかりの真新しい傷以外にもいくつかの切傷を発見した尚隆はむっとした表情で美凰を見おろした。

「何をしていた?」

 その不機嫌な声に、美凰はぴくりと身体を強張らせた。

「…。ハ、ハロウィンが近いものですから、か、要の為にかぼちゃのランタンを…、作っていたのですわ」



 弟の為?!
 この細工は弟の為だったのだ…。
 彼女が可愛い弟を溺愛している事は周知の事実。
 自分の為かとうっかり莫迦な事を考えてしまった尚隆は、余計怒りに煽られた。
 それは嫉妬という名の哀しい怒り…。



「…。それで?」

 おどおどと手を離そうとしても、掴まれた手頸に力が込められて振り放すことが出来ない。

「け、怪我は、た、大した事はありませんわ。今日はもう終りましたし…、ほ、ほんの少し、切っただけですら…。あっ!」

 鮮血の滲む指を尚隆は口に含んだ。
 傷口を舐める尚隆と舐められている美凰の間に、性的な空気が立ち込め始める。

「……」
「あ、あのう…」
「君は俺の所有物だ。弟の為に傷など作ってもらっては困る!」
「!」

 尚隆の冷たい声音に、美しい双眸が瞬かれた。
『所有物』という言葉に胸が痛み、小さく灯された欲望の火に水が浴びせられかける。
 美凰は哀しげに項垂れた。

「欧米の様に本格的な年中行事というわけでもあるまいに。それに…」

 沈んだ表情をしている美凰が尚隆は気に入らない。
 美しい手を傷だらけにして、弟の為に一生懸命物を作っている美凰が何よりも忌々しい。

〔お前は俺の為だけに存在していればいいんだ! 弟の事なんか考えるな!〕

「10月31日は君にも東京出張に同行してもらう予定だぞ。子どもの遊びに付き合っている暇などない!」

 傲慢にそう言い放つと、美凰の手を離した尚隆は布が掛けられていたかぼちゃを手に取り、憂鬱そうな表情をした猫顔のかぼちゃを無情にもごみ箱へどさりと投げ捨てた。

「あっ…」

 美凰が止める間もない、あっという間の出来事であった。

「莫迦莫迦しい子どもの行事だが、ランタンが欲しければきちんとしたものを買ってやる。君がわざわざ手作りしてやる必要はない」
「……」
「その綺麗な手を傷つけてまでな…」

 尚隆はショックの余り固まってしまった美凰を抱き上げると、そのままベッドルームに向かった…。





 二時間後…。
 ひんやりした夜風に吹かれながらベランダに一人佇んでいた半裸の尚隆は、ぼんやりと煙草を吸っていた。
 遥か眼下で、硬い表情をした美凰を乗せたメルセデスが遠ざかってゆく様子が手に取るように解る。
 彼女の膝には、ゴミ箱に捨てた筈のかぼちゃが抱えられている事も。





 いつもは巧みなテクニックに身も世もなく溺れてしまう美凰だというのに、今夜は違った。
 まったくと言っていい程に反応しなかったのだ。
 無反応というわけではなかったものの、気もそぞろに懸命に自身を抑制し、早くこの行為を終わらせたいと言わんばかりに頑なになっていた。
 こんな美凰を抱くのは初めてであった。
 そして彼女の乾いた態度の原因がゴミ箱に捨てたかぼちゃにある事を、尚隆は気づいていた。
 小さな子どもにまで嫉妬する自分が不意に情けなくなった尚隆はしつこく美凰を責めるのをやめ、身体を離した。
 途端に彼女は無言のまま起き上がり『申し訳ありませんがランタンはわたくしが拵えますので、わざわざ買って戴く必要はございませんわ…』と哀しげに言い残すと、帰り支度の為にそそくさとバスルームに消えたのだ。
 普段なら荒々しい態度を持って美凰を調教している筈なのに、今夜はそれ以上手出しする事は出来なかった。

〔気分が悪い…。酒でも飲もう…〕

 冥い表情でベッドルームからリビングへ出て来た尚隆は、高価な酒瓶が並べられた豪華なキャビネットを開けようとした途端、ダイニングテーブルの上にさりげなく置かれた黄色いかぼちゃを眼にした。
 黒いとんがり帽子を被り、とうもろこしのひげを束ねた箒を抱えた様子のかぼちゃには可愛らしい猫の顔が彫られてある。

〔いつからこんなものが?〕

 無言でかぼちゃを手に取った尚隆の背後で小さな声が聞こえた。

「どうぞお捨てくださいまし。この部屋には必要のないものでございますから…」
「!」

 振り返ると、帰り支度を整えた美凰が哀しげな微笑を浮かべていた。
 その手にはバッグ以外に、自分が捨てたかぼちゃを拾い上げたのであろう風呂敷包みが抱えられている。

「それでは…、おやすみなさいませ。明日もいつも通りに参りますから…」
「…、美凰…」
「……」

 尚隆の声に振り返ることなく、美凰は静かにドアを閉めて出て行った。



〔莫迦莫迦しい! この俺がなんで子どもの行事に翻弄されねばならん?!〕

 広々としたベランダに設えられたベンチに腰掛けた尚隆は、テーブルに置いた愛らしいかぼちゃのランタンを眺め見る。
 美凰が手作りしたハロウィンのオブジェ…。
 特殊な愛人生活を送るこのマンションで、美凰が唯一自らの手を加えるものはキッチンに飾る一輪挿しの素朴な花と料理に使う為の数種類のハーブの鉢だけだった。
 彼女が自分の痕跡を出来るだけ残さないようにしている事を知っている尚隆は面白くなかった。
 どれほど権力と財力を見せつけても、そして性的魅力で虜にしようとしても美凰が心から自分に屈服する事はないのだ。
 美凰を乗せたメルセデスが遠のいてゆく。
 追いかけたいという思いを懸命に打ち消した尚隆は、火傷するのも構わずに指先で煙草を揉み消した。
 一瞬の熱さと共に指先がじんわりと痛み出す。
 だが指先より、なぜか胸が痛い…。

〔俺は、お前のことを…〕

 それ以上は考えない。
 考えてはならないのだ。
 尚隆は軽く舌打ちをすると小さなかぼちゃを手に取って室内に戻ると、窓の鍵を掛けてカーテンを閉めた。
 その表情は美凰が彫っていたかぼちゃの表情と同じく、憂鬱そうであった。

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