男心女心 6
 久しぶりに眼にする美凰のあまりの美しい姿に、驍宗はしばし呆然と見惚れていた。

「まさか…、ここで貴女と逢えるとは…」

 対する美凰は偶然の再会に驚愕し、何を言っていいのか判らない程に動転していた。

「ええ…。本当に…」

 周囲で咲き乱れる華やかな薔薇にも劣らぬ美しい花顔の青ざめた様子を気遣い、驍宗は美凰をすぐ近くにある中庭のベンチへと誘った。
 遠く、パーティー会場からはダンスナンバーと人々のざわめく声が聞こえてくる。
 美しい夜景が見渡せるテラス付近のベンチに、美凰と驍宗は並んで腰を下ろした。
 薔薇の甘酸っぱい香りが二人を包み込んだ…。



「パーティーの主催者が知人で…、どうしても来いと言われて、あまり気乗りはしなかったんだが…、まさかここで貴女に逢えるとは…」

 美凰は膝の上に置いた両手を握り締め、哀しげに俯いた。

「……」
「美凰さん、一体どうしていたんです? ずっと連絡を待っていたんだが…」
「すみません…。本当にすみません…、わたくし…」

 美凰のおどおどした様子をいぶかしみ、驍宗は溜息をついた。

「…。肺炎を患ったと聞きましたが、もう大丈夫なんですか? パーティーなどに出席しても…」

 一瞬嗅ぎなれた煙草の香りが漂ったような気がし、美凰は怯えた眼を周囲に廻らせたが、誰もいないのを確認し、ほっとした様子でか細く囁いた。

「あの、仕事で…。上司のお供なんですの…」
「確か…、小松さんでしたね?」
「ええ…」
「驚きました。あの人は、あの小松財閥の会長だったんですね?」
「……」
「今、うちの外科病棟新築工事を小松財閥の子会社がやっているんですよ。どこかで聞いた名前だと思ったら…」
「そっ、そうなんですの…」
 
 なんとか優しい驍宗を傷つけずに、穏やかに求婚を断る事はできないものか…。
 だが、なんと言葉を紡いでいいものか、美凰には解らなかった。

「美凰さん…」
「先生…、わたくし、のっ、喉が渇きましたわ…。お、お水を戴いて参りますね」

 慌てて立ち上がろうとした美凰は立ちくらみを起こし、驍宗の腕の中に倒れこんだ。
 驍宗は美凰をそっとベンチに座らせてくれ、嫋々とした肩にいたわる様に手をかけた。

「気分が悪そうだ。水はわたしが貰ってきましょう。貴女はここで休んでいなさい」
「でも…」

 驍宗は静かに首を振った。

「小松さんに先に帰ると伝言なさい。家まで送りましょう。話はその時にでも…、すぐ戻ります」
「さっ、乍先生…」

 パーティー会場に向かう驍宗に、美凰は思わず声をかけた。
 振り返った驍宗は、優しい笑顔をその秀麗な面に刷いた。

「驍宗と呼んで欲しい…。愛する貴女には是非…」

 驍宗は美凰の表情を知る由もなく、大股に歩き去った。





 美凰は胸の痛みに、腰掛けていたベンチに突っ伏した。

〔ああ! なんてこと! 赦して…! わたくしを赦してください! 驍宗さま…〕

 愛していると…、心からの想いを告白されているというのに…。
 美凰には、その真心に泥を投げつける様な言葉しか返せないのだ。
 涙が頬を伝い、嗚咽がこみ上げる。
 靴音が聞こえ、驍宗が戻ってきたのだと思った美凰は涙を拭いながら顔を上げた。

「驍宗と呼んで欲しい? 愛する貴女には是非?…。随分嬉しそうじゃないか?! えっ?!」
「!」

 驚愕に見開いた双眸に写ったのは、尚隆であった。
 先程微かに感じた煙草の香は、やはり彼だったのだ。

「尚隆…、さま…」

 ハンサムな面は、にこやかな微笑みを浮かべて美凰を見おろしている。
 だが、その切れ長の涼しい双眸は笑ってはいなかった。

「気分が悪い様子だが…。俺に伝言があるそうだな? どうしたんだ? 今からドクターとその辺のホテルにでもしけこむ気か?」
「……」 

 穏やかな言葉の裏にあるどす黒い感情を感じ取り、美凰は恐怖に声も出せずにいた。
 尚隆はゆっくりと美凰に近づいてくると、嫋やかな肩に手をかけた。
 ぐっと肩を掴まれ、骨まで砕けそうな痛みに美凰は息を呑んだ。

「名前、呼んでやれよ! 俺に抱かれて浪る時と同じ様に淫らな声でな…。そうすりゃあの家柄のいい、満点優等生ドクターも一発でノックアウトだろうさ!」
「やめて…! なんてひどい…、痛いわ…。手を離して…、あっ!」

 尚隆は弱々しく身もがきする美凰を抱き締め、くつくつ笑いながら白い頤に手をかけた。

「今日は昼間から随分威勢がよかったからな…。どうやら俺は君を甘やかし過ぎたようだ。まさかこんな所で逢引の約束をしていたとは…。これからは携帯電話だけでなく、社の電話回線の通話記録も調べねばならんなぁ…」

 尚隆の声が、ざらざらとした不快音となって美凰の耳に響く。
 凄まじく怒っている…。
 尚隆の誤解を解こうと、美凰は怯えながらも必死で声を出した。

「ちっ、違います! ごっ、誤解ですわ…。乍先生とは偶然ここで…」
「偶然? 莫迦莫迦しい! 俺がそんな嘘を信じるとでも思っているのか?!」
「あっ!」

 尚隆の唇が罰するように柔らかな唇に触れ、美凰は痛みすら伴う激しいディープキスに呻き声を上げた。



 ガラスが地面で砕ける音がし、慌しい靴音が気遠くなった美凰の耳に響いた。

「なにをしているっ!!! 美凰さんを離せっ!!!」

 轟くような声とともに、美凰は尚隆の腕の中から引き剥がされた。

「大丈夫ですか?! 美凰さん!」
「! 驍宗さま…」

 美凰がパーティー参加者に不埒な振る舞いをされていたと勘違いした驍宗は、彼女を庇って尚隆に対峙した。

「…、おやおや…。これからがいい処だというのに、邪魔が入った…」

 尚隆は悪びれた様子もなく、髪を撫でつけ、タイの曲がりを気にするように喉許に手をやった。
 雲が流れ、月明かりが輝いて相手の顔を照らす。
 尚隆を一瞥した驍宗は、驚きに怜悧な眼元を見開いた。

「あなたは、確か小松…」

 尚隆はくつくつと無礼な笑い声をあげた。

「これはこれは…。阪大病院の乍先生でしたかな? 邪魔されては困りますよ。わたしは自分の女と、今から野外で楽しもうと思っていた処なんですから…」
「なに?」

 美凰は絶望にがっくりと項垂れた。
 最悪の形で驍宗の心を傷つけてしまう事になったのだから…。



「ドクターこそ、わたしの女とここでこそこそ、何をやっていらしたんですかね?」
「わたしの…、女?」

 驍宗は信じられないとばかりに、背後に庇っていた美凰を見つめた。

「ええ。そうですよ…」

 尚隆は淡々とした口調で語り、肩を竦めた。

「尚隆さま、やめて…」

 美凰の哀願する声が虚しく聞こえる。

「美凰さん…、今の話は本当なんですか? 貴女は…、この小松氏の…」
「驍宗さま…」

 花顔は驍宗の直視に耐え切れず、背けられた。
 その態度を驍宗は肯定と受け取った。

「……」
「美凰から伺ってますよ。ドクターからプロポーズされたから別れて欲しいとね…。まあ、わたしとしてはつい最近、情婦の一人に加えたばかりだし、何より他の女と違って感度のいい身体なんで、簡単には手離したくないんです。で、まあ…、半年くらい後にはわたしも飽きて関係も自然消滅するだろうから、中古品になるがドクターのご都合が宜しければ、引き取って貰いなさいと言い聞かせていた処なんですよ…」



 聞くに堪えない言葉が意地悪く、尚隆の口から紡ぎだされ、蒼白になった驍宗は嘘で塗り固められた言葉を受け容れた…。
 この一ヶ月の間に、一段と美貌を深めたその姿。
 殆ど連絡も取れず、漸く会うことが出来たというのに、悪い事をして怯えたような様子でおどおどと自分を見つめてくる美しい瞳…。

「なんてことだ…」

 驍宗は呆然とした様子で首を振った。

「違います! 驍宗さま、そうではないのです! お願いっ! わたくしの話を聞いてください!」

 美凰の声を遮る様に、おどけた様子で尚隆がにやけながら最後のダメ出しをした。

「ああ、それからご心配なく。妊娠させるようなヘマはしませんから。しかし見かけによらず淫乱な女なんで、わたしも少々戸惑う時があるものですから…。果たして後塵を踏むドクターのお気に召すかどうか…」
「もう結構っ!!!」

 驍宗の恐ろしいまでの怒声に、美凰は身体中の力が抜けてしまいベンチにへたり込んだ。

〔駄目だわ…。先生は、尚隆さまの言葉を信じてしまった…〕

 驍宗は項垂れている美凰に、冷たく一瞥をくれた。

「わたしは貴女を誤解していたようだ。失望した…」
「……」
「プロポーズはなかった事にしてくれっ! 二度と、逢いたくないっ!」

 驍宗は精一杯冷ややかに言うと、そのまま踵を返した。

「先生…、待って! 驍宗さま!」

 美凰の哀しげな呼びかけに、驍宗の歩みは止まった。

「汚らわしいっ! わたしの名前をそんな風に呼ばないでくれっ!!!」
「あ…」

 逞しい肩が小刻みに震えている。
 怒りの持って行き場がないのであろう。

「わたしは…、中古品を引き取る気はないっ!!!」
「……」

 そして驍宗は、か細く嗚咽する美凰を振り返らずにそのままその場を立ち去った…。

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