男心女心 5
「何度も伺いますけれど、あなたは一体、わたくしに何を望んでいらっしゃるの? わたくしの身体はあなたのものとなりました。ご希望通りかどうかは定かではありませんが、あなたの言いなりです。まるで奴隷の様に扱われて、あなたの巧みなSEXの虜ですわ…。あなたに抱かれて心底快楽に溺れています…。わたくしはそんな自分が羞かしく、情けなく、心を裏切る身体が嫌で嫌でたまらない…」
「……」
「そしてあなたは、わたくしの中の葛藤を心から楽しんでいらっしゃるわ…。まだ足りませんの? どうして満足してくださらないの? これ以上、どうすればあなたの傷は癒せるの? そんなにわたくしが憎いのなら、痛めつけたいのなら…、妹に何かするなどと脅かさずに、わたくしをこそAV女優にでも風俗店にでも売り飛ばして稼げばいいじゃありませんか!」

 美凰のいつにない過激な口調に、尚隆は双眸を見開いた。
 こんな風に反抗されるとは、思ってもいなかったのだ。

「わたくしの身体は…、あなたに言わせればSEX向きの、男好きする身体だそうですから…、一生懸命働けば2千万円だって早々に返却できる事でしょう。そして毎日毎晩、違う男性の玩具にされて苦しむわたくしの姿を眺める事が出来て、あなたもより一層楽しめましてよ…」

 自嘲の笑いが、美凰の美しい朱唇から漏れた。
 尚隆は息を呑み、くすくす笑っている美凰を物凄い形相で睨みつけた。

「…。恥ずかしげもなく…、よくもそんな言葉を口に出来るな?!」

 そう言う声は少しだけ、震えを帯びていた。
 尚隆の脳裡に、あの日の悪夢が蘇る。
 恐ろしい程の悪夢…。
 夢の中で、美凰は神宮司阿選に放縦に犯されていた…。
 助けたくとも硬直して動けないまま、眼の前で美凰が無残に陵辱され続けている姿を見ている自分がそこにいたのだ。
 硬直したままの尚隆に気づかず、嘲笑を止めた美凰は項垂れ、やがて深い溜息を吐いた。

「…。あなたは常にご自分の事ばかりなのね…。5年前、傷ついたのはあなただけだとお思いなの? わたくしがどんなに傷つき、どんなに惨めな思いをしていたか…、少しも気づこうとなさらない。そして今…、あの頃以上に苦しんでいるわたくしを見て、あなたの自尊心は癒されまして?」
「……」

 美凰は掴まれていた腕を振り切った。
 諦観めいた笑いが花顔に寂しげに刷かれた。

「結局、あなたはわたくしの事など愛してはいなかったのですわ。わたくしが連絡を取らなかったとあなたはお怒りですけれど…、あなただって、わたくしを迎えに来てはくださらなかった…。ずっと待って待って…、待ち続けていたのに…」

 尚隆の肩がぴくりと揺れた。

「……」
「わたくしの心を疑い、わたくしの行動ばかり非難なさって、一人で勝手に答えをお出しになって…。あなたはご自分の足でわたくしを連れにはいらっしゃらなかった…。アメリカと日本の間は、それ程に遠いのでしょうか?! あなたはご自身の眼で状況を確かめようとはなさらず、わたくしが…、千秋の思いであなたを待ち続けていた時、自尊心を傷つけられたとばかりに他の女性を沢山お抱きになっていらっしゃったのでしょう? そしてその中のお一人と…、リンダさんとご結婚なさった…。違いまして?!」
「……」

 美しい双眸から涙が溢れて、止まらずに頬を伝う…。

「これ程までに惨めな思いをするくらいなら…、神宮司の…、本当の妻になっていればよかった! いいえっ! それよりもあの時…、死んでしまえればよかったんだわ…。そうすればあなたもわたくしも、こんな思いをする事などなかったでしょうに!」

 美凰は一度も尚隆を見ようとせず、そういい残すと静かに部屋を出て行った。
 尚隆は一言も発せず、出て行った美凰を追いかけようともしなかった…。





 その夜のパーティー会場は盛況なものであった。
 新聞を常に賑わせている有名な大物政治家や著名な財界人、そしてゴージャスに着飾った美しい女優や売れっ子タレントが溢れかえる中、立食形式の食材や飲物は一流品で揃えられ、眼を見張るばかりに豪華な宴であった。
 ダンスフロアーでは大勢のカップルが集い、軽快なステップで踊っている。
 黒いタキシードに身を包んだ小松尚隆が、大勢の美女に囲まれて楽しげに談笑している姿を遠目に、美凰は目立たぬように壁際に佇んで溜息をついていた。
 7時にここで尚隆を出迎えて以来、彼とは一言も言葉を交わしていない。
 尚隆は、まるで空気か霞かの様に美凰を無視し続けている。
 テレビでよく見かける美人女優の一人の手を取り、極上のシャンパンを片手に耳元で何事か囁いている姿を目の当たりにし、美凰は両手を握り締めて嫉妬の心を持て余していた。

〔やはり、言い過ぎたのかしら…〕

 これ以上直視に耐えられず、美凰は悄然と肩を落とし、薔薇が咲き乱れている中庭に視線を逸らしながら、唐媛の元へ向かう車の中で朱衡に言われた言葉を思い出していた。





「会長は…、ご自分のお気持ちを持て余しておいでなのです…。どうか、お気になさいません様に…」

 朱衡の優しい慰めの言葉も、美凰の心を癒してはくれなかった。

「……」

 これ程までに傷つけられなければならない事を、自分はしたのだろうか?
 では傷つけられた自分の心は、身体は一体どうやって癒せばいいのだろうか?

「朱衡さん…」
「はい…」
「わたくしは聖人ではありませんわ…。こんな事を続けていれば…、いずれ、我慢も尽きる時がくるでしょう…」

 美凰はハンカチで溢れ出る涙を拭い、声を詰まらせた。

「……」
「あの方が…、解らない…」

 朱衡はふうっと溜息をついた。

「…。会長は、物心ついた時から孤独で…」
「……」
「お亡くなりになったお母様が、幼い会長をそれは疎んじられて…。先代の秘書と駆け落ちなさって置き去りにされたのは、5歳頃だったかと…」
「…、置き去り?」
「ええ。会長はお母様の帰りを待って待って待ち続けて…、飲まず食わずのまま1週間過ごされ、衰弱死しかけた所をマンションに訪ねてきた先代の使いの者に発見されて、命を取り留められたと伺っております…」

 美凰の双眸が驚愕に見開かれた。

「そんな…、なんてひどい…」

 朱衡は静かに頷いた。

「お解り戴きたいのです。会長は愛した人に裏切られ、取り残される事に非常にトラウマをお持ちでいらっしゃるのです。愛して傷つくのなら愛すまい、囚われまいと必死になり、傷つく前に相手を傷つけてしまわれるのです…。美凰様、貴女は…」
「いいえ! …、愛してもいないし、愛されてもいませんわ…」

 美凰は朱衡が言わんとしている言葉を遮った。

「愛と憎しみは表裏一体のものでございますよ?」
「……」
「それとも…、会長を愛していらっしゃらないのなら…、このままわたしと二人、どこか遠くに…、雲隠れしてみますか?」

 朱衡の真摯な眼差しと声音に驚き、美凰は眼を見張って彼を見つめた。



 一瞬の緊張がメルセデスの後部座席を走りぬける…。
 緊張の糸を解したのは、朱衡の優しい微笑であった。

「冗談です…。そんな事をすれば、わたしは会長に八つ裂きにされてしまう事でしょう。そして貴女は生涯、檻の中から出られなくなる…」

 美凰は俯き、か細く囁いた。

「そんな…。あの人は…」
「幼い頃と違って、権力・財力・知性と行動力、そして男としての自尊心、現在は総てが兼ね備わった御方でいらっしゃいますから、お母様の時の様に待ち惚けを喰らったままではございませんよ。逃亡したとしても我々は地の果てまで追跡され、やがて囚われる事でしょう。会長は…、決して貴女を手離したりなさいません…」

 美凰の背中を微かな慄えが走った。

「…、そんな…。だってあの方は飽きるまでと仰っしゃったのですもの…。あの方の愛人関係は長くて3ヶ月と伺っておりますわ…」
「だが、妻にすると仰ったのは、美凰様にだけですよ…」
「そっ、それは…、愛ではありませんわ…。責任です…」
「美凰様…。今の世の中には責任を取って結婚を申し出る男性は意外と少ないものなのですよ。性的な事柄はそれ程、軽んじられているのです」
「……」
「お考え直し、戴けませんか? 今ならまだ間に合います。会長のプロポーズを…」

 美凰は微かに頸を振った。

「例え子供の様だと罵られましても、わたくしは…、愛や恋を戯言と仰る方の妻にはなれませんわ」
「しかし…」
「あの方にも申し上げましたの…。死ぬと解っていて戦える程、わたくしは強くないのです。そして…、今日はっきりと解りましたわ。あの方に愛の心を求める事が不可能で、希望を持ってはいけないのだという事が…」
「美凰様…」
「わたくし、疲れました…。どうか少しだけ、そっとしておいて戴けませんか?」

 美凰はそう言うと、流れ行く車窓の景色を見るともなくぼんやりと眺め、会話を打ち切った。
 朱衡はそんな美凰の美しい愁いの横顔を繁々と魅入り、深々と溜息をついた。





 美凰は唐媛の用意していたオートクチュールの、菫色のロングドレスを着ていた。
 トップはハイネック仕立てなので、背中の傷はまったく目立たないものの、総レース仕立ては身体のラインを惜しげもなく露わにしており、シルクとオーガンジーを使ったフレアー型のボトムは、歩く度に柔らかで滑らかな襞がさらさらと涼やかな音を立てる。
 ポンパドゥール風に柔らかく結い上げた髪は、金とダイヤとアメジストの櫛で纏められており、イヤリングも髪飾りに合わせた美しい雫形のダイヤとアメジストであった。
 さほど華美に装っているわけではないものの、まるで菫の精の様な高貴な姿でパーティー会場に現れた美凰は、のっけから大勢の男性の注目を浴び、壁の花でいようにもしつこく声をかけてくる者や、強引にダンスの相手をさせようとする者もいて、居たたまれぬ思いにうんざりしていた。
 朱衡が傍にいる間はまだましだったが、所要で席を外した瞬間から、美凰は自分に群がるハイエナの様な男達から逃れるのに必死だったのだ。
 それすら、尚隆は遠目に眺めてほくそえんでいる様子であった。
 美凰の反抗が余程、頭にきていたのであろう。
 俺の力を借りずに、男どもを撃退してみろと言わんばかりの態度だった。
 やがて、大物政治家の演説が始まり、人々の眼が一瞬そちらに向いた隙をついて、美凰はパーティー会場の熱気を避けるように、テラスに続く窓からそっと抜け出して庭に降り立った。





 月明かりが美しく、丹精こめて育てられている薔薇が甘酸っぱい香りを漂わせている。
 室内の喧騒に比べ、なんと静寂な事か…。

〔いつになったら、パーティーは終わって…、帰れるのかしら?!〕

 尚隆のあの様子なら、暫くは顔も見たくないと思ってくれている筈だ。
 美凰はそんな風に思い込んでいた。

〔明日、乍先生にお逢いできないものかしら…〕

 美しい紅薔薇に手をやりながら、ほうっと吐息をついた瞬間、眼前の茂みががさりと音を立て、美凰は吃驚して後じさった。

「あっ!」

 その拍子に触れていた薔薇の棘に触れてしまい、白い指に血が盛り上がった。

「失礼! 驚かせてしまった様で…。?! 美凰…、さん?!」
「まあっ! 乍、先生…」

 茂みから現れたのは、タキシード姿の乍驍宗であった。
 偶然の再会…。
 美凰は驚愕に双眸を見開いた…。

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