男心女心 3
 翌日の午前中、美凰は隙を見て部屋を抜け出し、かねてから思っていた亡夫、神宮司隼人の墓参りの為にタクシーで高輪の菩提所まで向かった。
 どんな行動にも絶対に香蘭を伴う様に言われていたが、敢えて無視してしまった。
 昨日の妹との対面は嬉しい限りだったが、尚隆が同伴していたという美女の話を思い出すたびに、暗澹たる思いに美凰の胸は塞がれた。
 嫉妬が我知らず、尚隆の言いつけを破らせたのである。

〔昨夜はとうとうお帰りにならなかったわ…。お仕事がお忙しいというお話だけど…、本当なのかしら?〕

 車窓を流れていく東京の街の風景をぼんやり眺めながら、美凰の双眸は苦悩の色を刷いていた。 





「やあ…。久しぶりじゃないか?! 義姉さん?!」

 亡夫の墓前を掃き清め、花と香華を手向けた後に静かに手を合わせていた美凰は、ねっとりとした嫌な声にはっと顔を上げた。
 振り返ると、ブランド物のスーツを着た亡夫の異母弟である神宮司阿選がにやにや笑いながら立っていた。
 舐めるようにこちらを見つめてくる、阿選の淫らな目つきに心底ぞっとなった美凰は慌てて立ち上がり、チャコールグレーのスーツのスカートを撫でつけた。

「阿選さん…。どうしてここに?」

 阿選は肩を竦めながら美凰に近づいてきた。

「どうしてって言われても、兄貴の墓参りさ。これでも殊勝にちょくちょく会いにきてやってるんだぜ! しかし凄い偶然じゃないか!」
「ほっ、本当に…」
「あの夜以来だね。義姉さん…。いや、美凰さん…」

 名前を呼ばれて猶一層ぞくりとなる。
 美凰は不快げに阿選の視線を避けた。
 夫と結婚している最中から美凰に邪恋の情を抱いていた阿選は、隼人が病死し、初七日も済ませていない喪服姿の美凰と無理矢理関係を結ぼうとした。
 強姦に等しい行為から必死に逃れた美凰は、阿選の異常な恋着に恐怖し、夫の財産を放棄した上で手許にあった多少の現金だけを手に、夜逃げ同然に弟妹や春と共に大阪に逃れてきたのだ。



 眼前で戦慄している美凰に、阿選は舌なめずりするように手を伸ばした。

「あっ! なにをするのですっ!」
「一段と女っぷりがあがったじゃないか? あちこち探してたんだよ。関西に行ったって聞いてさ、貧乏してないか、本当に心配してたんだよ…」
「はっ、離してください!」

 美凰は阿選に抱きすくめられ、逃れようと激しく見もがきした。

「ひゅーっ! 全身ブランド尽くめなんだな?! 一体どうやって手に入れたんだい? その色っぽい姿態から察するに、その身体で稼いでいるんだね?!」
「あっ、阿選さん、あなた! なんて事を!」

 美凰は真っ赤になって阿選を睨みつけた。
 阿選は猫が小鳥を弄ぶように、抱き締めた美凰の感触を楽しみながらくくっと笑った。

「君を抱ける日をこの5年ずっと夢見ていたんだよ…。なんて素晴らしい触り心地だ…。君のアソコの中は、奥の奥まで極上品なんだろうなぁ! 今度こそ逃がさないぜ。今すぐ犯らせてもらうとしよう!」

 淫らな言葉を口にしながら、阿選は美凰の唇にキスしようとした。

「いやっ! だっ、誰かっ! 誰か助けてっ!」





「何をしているっ!!!」

 轟くような怒号が響き、阿選の腕が緩んだ隙に、美凰は男の手を逃れた。
 まだ完治しきっていない弱っている美凰は、胸を押さえながら声の主を見つめた。

「なっ、尚隆さま?!」

 書置きを見て迎えに来たのだろうか?
 なぜここに居るのかは解らないが、思わぬ救いの手に美凰はほっと安堵した様子を隠せなかった。
 反対に、阿選は不機嫌そうに眼を瞬いた。

「誰だって?!」

 阿選は美凰の手を握り直し、訝しげに尚隆を見た。

「女から手を離せ…」

 ふんっと阿選は鼻を鳴らした。

「誰だか知らんが、唯の痴話喧嘩なんだ。放っておいてくれませんかね?!」

 尚隆は肩をいからせて、つかつかと二人の傍へ歩み寄ってきた。

「放っておくわけにはいくまい。美凰は俺の女だ!」
「なんだと…」
「やっ、おやめくださいませ…、尚隆さま…」

 阿選の形相が一瞬、鬼畜の様に醜くなり、そして再び穏やかになった。

「やれやれ。じゃ、貴方が美凰のパトロンってわけですか…。いやいや…。今も美凰を久しぶりに見て吃驚していたところなんですよ。極上品でしょ?! 彼女の割れ目の奥は?!」

 その淫らな言葉に尚隆の顔が嘗てない程に険悪な形相になり、切れ長の涼しい双眸がぎろりと阿選を睨みつけた。
 気の弱い者ならば、その視線だけで心臓が止まってしまったに違いない。

「貴様が誰だか知らんが、墓所に相応しくない話題はやめるがいい! 美凰、帰るぞ。婦長が心配している。帰ったら月梅の検診を受けるんだ。いいな?!」

 尚隆は静かに頷く美凰の白い繊手を阿選から乱暴に奪い取ると、阿選を無視したまま美凰を引きずるようにしてすたすたと歩き去った。

「これはこれは…。また連絡しますからね! 美凰!」

 段々小さくなってゆく美凰の背中にそう叫び、美凰を自分から取り上げた逞しい男の背中を憎悪の眼で激しく睨みつけた阿選は、再び舌なめずりをしつつにやりと哄笑した。

〔やっと見つけた…。俺の可愛い蝶々さん…〕

 阿選の眼は狂気の欲望に満ち満ちていた…。





「何度言ったら解るんだ?! 香蘭をまくなとあれ程言っていただろう!」

 リムジンの中で美凰は尚隆に怒鳴られ、竦んでいた。

「そんなつもりは…、ありませんでしたの…」
「君はまだ完治していないんだぞ! それなのにふらふらと出歩いて…。一体何を考えてるんだ!」
「で、でも…、あ、あなたに申し上げても、神宮司の墓参は赦して貰えなさそうな気がしましたから…、それで、つい…」

 尚隆は双眸を閉じた。
 美凰の感はあたっている。
 恐らく美凰から墓参したいと言われても、尚隆は許可していなかったろうから。
 死者に、しかも愛されずに死んだ男に嫉妬するなど莫迦げている。
 それは重々承知している。
 だが、死んだ男は1年余りとはいえ、肉体関係がなかったとはいえ、美凰が夫として敬い、仕えていた男だった。
 美凰が夫と呼ぶ唯一人の男…。
 そう考えるだけで、腸がよじれる程に悔しいのだ。
 そうして尚隆は、嫉妬する自分自身をもてあましていた…。

「あいつは何者だ?!」
「…、神宮司阿選…。亡くなった夫の異母弟ですの」
「君と随分親しげだったぞ?!」
「そうではありません。あの方の為に、わたくしは夜逃げ同然に東京を離れましたわ…」
「……」
「わたくしは何も悪い事はしておりませんのに…」
「……」

 恐怖に怯えた美凰のすすり泣きに、尚隆は詰めていた息を漸く吐いた。





 つかの間の休息にホテルに戻ってきた尚隆を出迎えたのは、美凰の行方を捜しておろおろしている山城婦長と香蘭だった。
『亡夫の墓参に参ります。すぐに戻ります』と記された置手紙を残して消えた美凰が心配で、そしてたまらなく不安だった。
 美凰が行方をくらましてしまうのではないか? 再び自分の許から消えてしまうのではないか?
 その事だけが恐ろしかった…。
 そして恐ろしいと感じる自分が、尚隆はたまらなく嫌だった。



 この二週間、何度となく他の女を抱こうとした。
 とっかえひっかえに美女をベッドに連れ込もうとした。
 だが、どうしてもSEXをする事が出来ずに、女達をお払い箱にしてしまったのだ。
 その度に、尚隆は美凰の眠っているベッドルームを覗いた。
 彼女の寝顔を見ていると、それだけで欲望に身体が熱くなった。
 先程まで、完璧な女の裸身を見てもどうにもならなかった身体は、忽ちの内に興奮状態に陥ったのである。
 だが、弱っている美凰にSEXを強要する事は出来なかった…。
 尚隆は急ぎ、美凰の夫だった神宮司隼人の菩提寺のある高輪まで車を廻し、美凰を迎えに来たのである。



 あの阿選という軽佻浮薄な男の腕の中に抱かれている美凰を見た瞬間、阿選を殺してやりたいと思った。

「あいつのせいで、夜逃げとはどういうことだ?」
「……」
「答えて貰うぞ!」

 尚隆の激しい語気に、美凰はすすり上げながら息をついた。

「あの人は、神宮司と結婚している最中から、わたくしの事を…」
「……」
「夫が亡くなって…、お通夜の夜…、真夜中に一人で夫に付き添っていたわたくしに、あの人は…、乱暴しようと…」

 尚隆の手がぐっと握り締められた。
 やはり殴っておくべきだった…。
 いや、殺してやってもよかったのだ…。

「遠方からお見えの方が偶然、いらっしゃって、なんとかその場は逃れる事が出来ましたけれど、もう恐くなって…、神宮司の財産とわたくしを手に入れると息巻いていらっしゃる姿に、恐ろしくなって、春と相談して財産を放棄し、夫がわたくし名義で貯金してしてくださっていたお金だけを持って、家族四人で大阪まで逃げてきましたの…」
「…、そうか…」

 再び涙を流し始め、ぶるぶる震えている美凰の繊手を、尚隆はそっと握ってやった。
 不意の優しい行為にぴくりと戦慄した美凰だったが、敢えて逃れようとはせずに手を預けたままであった。





「昨夜は…、お帰りになりませんでしたのね…」

 唐突に囁かれ、握り締めていた手を外した尚隆は苛々を沈めようと胸ポケットの煙草に伸ばしかけた。
 しかし美凰の体調を気遣った尚隆の手は煙草を諦めると、手持ち無沙汰の両手を頭の後ろで組み、豪華な革シートにふんぞり返って息をついた。

「いつまでも、ホテル住まいというのも何かと不便だから、成城にマンションを用意したんだ。もう3日程で大阪に戻るが、明日にもホテルを引き払ってマンションに移るぞ。内装はほぼ整えた。ハウスキーパーは置くが、基本的に宝塚のマンション同様、部屋の管理は君に任せる…」
「……」

 不機嫌極まりない尚隆は、美凰を睨みつけながら言い訳する様に呟いた。

「昨夜は、仕事が立て込んでいたんだ…。妹から何を聞いたのかは知らんが、余計な気を廻すな…」

 美凰はびくりと肩を慄わせた。

「…、わっ、わたくしは、別に…」
「なにせ二人といない最高の金持ちであるこの俺が、お詫びの印にプロポーズしてやったのに、君は俺の妻になれるチャンスを棒に振って、情婦のままでいいと宣言してくれたんだからな…。暫くは…、大人しく君だけと関係してやろうと思ってやってるんだぞ。だから早く身体を治せよ。まったく…、俺もヤキが廻ったもんだな!」

 尚隆はふんっと鼻を鳴らし、そして嘯くようにくつくつ笑った。
 その笑いは、美凰にではなく尚隆自身へ向けられている様な気がして、美しい花顔は戸惑いの表情を浮かべた。

_40/95
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