落花 4
 深窓の令嬢が、どれ程の思いをして医者に嘘をついたのだろう。
 正直で心優しい娘が、どれ程の思いをして家のものに嘘をついたのだろう。
 恋する男の為に必死になっている美凰の心を思うと、SEXの事だけで頭が一杯になっていた自分に腹が立つ。

〔俺は莫迦だ…。やっぱり莫迦だな…〕

 尚隆は立ち尽くしたまま泣きじゃくっている眼前の美凰をそっと抱き上げると、夜景が美しい窓辺のソファに座らせてやった。
 テーブルには美凰にプレゼントした雛人形が飾ってある。
 部屋に戻ってからも、美凰はためつすがめつ可愛い人形を眺めては喜んでいたのだ。
 愛しくて愛しくてならなかった。

「美凰、結婚しよう」

 美凰は驚愕して泣き濡れた顔を上げ、涙が転がり落ちる双眸で尚隆を見つめた。

「! けっ…、こん?」
「俺と結婚して欲しい…。嫌か?」
「そんなの無理ですわ!」

 激しく繊頸がふられ、即答の拒否に尚隆の心は沈んだ。

〔旧華族の家柄には例え財閥の息子とはいえ、妾腹の庶子は赦されないってわけか?〕

 金に不自由した事はなかったが、その尚隆は出生のせいで、今まで色々といやな目に逢ってきた。
 その為に性格が些か捻くれてしまっている節があるし、父親を始め血縁の者たちとも上手くいっていない。
 先般、逃げ出した見合いも小松財閥の版図を広げるだけが目的で、異母兄から持ちかけられたものなのだ。
 恋人ならいいが結婚は出来ない…。
 美凰も所詮は家柄や血筋を第一に考える女なのだろうか?

「だって、わたくしなんか…、あなたにお嫁さんに相応しくありませんもの…」

 がっくりと項垂れる美凰から発せられた思いがけない言葉に、尚隆は耳を疑った。

「なんだって?」

 頬は涙で汚れ、鼻は真っ赤になり、花弁の様な唇が顫えている。

「…、先日、あなたのお部屋の洗面所で…、とても素敵な紅い口紅を見つけましたの」
「!?」

〔そうか…、そうだったんだ…〕

 あの時、洗面所から戻ってきた時の、消沈した様子はそういう事だったのだ。
 初めて訪れた恋人の家の洗面所に、使い差しの女の口紅が無造作に転がっているのを発見した時、純情な美凰はどれ程困惑し、傷ついたのだろう。
 それでもなお、恋する男に清らかな身体を捧げようとしていたのだ。
 そんな想いを知らずに、尚隆はまったく見当違いの事を想像して…、愉しんでいた。

「あなたの奥さまには、シャネルの口紅がお似合いになる大人で、なんでも出来るしっかりとした女性でなければいけませんわ。嫉妬ばかりしてあなたを束縛しない、理解のある方でなければ…」
「美凰…」

 美凰は頸を振った。

「わたくしは駄目…。お家の事しか出来ませんし、あなたを楽しませて差し上げられる様なウイットにとんだ会話が出来るわけでも…、あの…、男女の事だって…、知らない事ばかりであなたをしょっちゅう困らせているし、現に今も…」
「もういい…」

 尚隆は美凰を強く抱き締めると、ソファに座っている美凰の前にひざまずき、その白い繊手をそっと握った。

「君を愛している…。俺こそ君に相応しくない男かもしれんが、俺と結婚してくれないか?」

 美凰は驚いた様にまじまじと尚隆を見つめた。

「相応しくないなんて! どうしてそんな奇妙な事を仰るの?」
「俺は小松財閥とは何の関係もない者だと思っている」
「……」

 彼が小松の姓を名乗ってはいるが、妾腹の庶子である事は聞かされていた。
 家族間、特に父親とは決定的な溝がある事も…。

「旧華族のお嬢様に、素行が悪く、平凡な生活しか望めない俺は相応しくないが…」
「わたくしは、お家と結婚したいとは思っておりません」

 美凰はきっぱりとした口調でそう言った。

「……」
「わたくしは、わたくしだけを心から愛してくださる方と…、わたくしが愛する方と結婚したいの。お家の事とか、生まれの事とかは関係ありませんわ」
「それなら結婚してくれ。今までの事は詫びても仕方ない事だが、謝れと言うなら何度でも謝る。もう二度と、他の女に眼を向けたりしない。俺は君だけを心から愛している…。君が俺を愛してくれているのなら…」
「……」

 美凰は顔を背けて尚隆の強い視線を避けた。

「駄目か?」
「…、わたくし、きっと嫉妬ばかりしてあなたを怒らせてしまうわ…」

 尚隆はくつくつ笑った。

「それは素晴らしい! 是非とも怒らせてくれ…。でも多分、俺のほうが嫉妬ばかりして君を困らせるだろうよ」
「そんな…。きっとあなたは退屈なさって、わたくしにすぐ飽きてしまわれるわ…」

 困惑した様子の美凰を尚隆は抱き寄せた。

「退屈なんぞするものか! 飽きる事もないだろうな…。君は逢うたびに新しい発見がある」

 美凰は尚隆の真摯な眼差しを受け止め、じっと彼を見つめた。

「……」

 尚隆は美凰の手を握りなおし、その白い手の甲に唇を寄せてキスをした。
 まるでお姫様に愛と忠誠を誓う中世の騎士の様なプロポーズの姿に、純情な美凰がうっとりとなったのは言うまでもない。

「君は俺を…、とてつもなく幸せにしてくれる女性だ。どうか生涯、傍にいてくれ…」
「…、嬉しい!」
「もう、こそこそ逢うのはやめよう。お父上には堂々と結婚の許可を貰いに行く。もし反対されたら…」
「……」

 美凰は、尚隆が今ほど小松財閥の正式な一員でない事を口惜しく思っている瞬間はないだろうと、強く感じていた。
 世界に名高い小松財閥の御曹司相手ならば、父は二つ返事で尚隆を認めるだろう。
 我が父ながら、美凰が一番嫌う性質であった。
 皇族の末裔である血筋を何よりも重んじる父、花總蒼璽の事は娘の美凰が一番よく知っている。
 だからこそ尚隆との恋もひたすら秘密にしていたのだ。
 知られれば引き裂かれ、二度と逢う事すら叶わぬ仕儀になっていただろうから…。
 美凰は知っている。
 先般の見合いの席で、小松の御曹司が逃亡したという話を静香から聞かされた蒼璽がなんと言ったか…。

〔小松の姓を名乗ってはおるが、聞けば卑しい妾腹だというではないか。家族の一員として認めてもらえんくせに、折角の見合いの席まで潰しにかかるとは余程のひねくれ者。その様な男を息子として遇してやらねばならんとは、小松氏もお気の毒な事だ…〕

 家族にすら認められておらん妾の子に娘はやれん! 父はきっとそう言って尚隆を辱めるだろう。
 美凰はいたたまれなくなり、尚隆に抱きついた。

「美凰?」
「反対されても、わたくしは尚隆さまについて参ります…。家も家族も捨てます。あなたとご一緒ならどこへでも…、どんなことでも…」
「……」
「あなたを愛しています…」
「美凰!」

 尚隆は天にも昇る心地で美凰の愛の告白を聞き、しがみついてくる柔らかな身体をしっかりと抱き締めて、熱いくちづけを何度も唇に落とす。
 甘く抱きあう恋人達を、桃の花に乗ったディズニーの恋人達が微笑む様に見つめていた…。

_29/95
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