落花 2
 尚隆に処女を奪われるのは避けられない運命だったのだろうか。
 引き裂かれるような苦痛と恐怖に美しい顔を歪ませながら、それでも気を失う事なく美凰は尚隆の動きを受け止めていた。
 花火がますます勢いよく夜空に舞い上がって人々の眼を楽しませていた中、やがて美凰の生まれて初めての行為は暴力と誤解のもとに終わった…。
 煙草の紫煙が漂う中、逞しい肌を晒したままの尚隆は窓越しに映る花火の合間合間に、フラッシュバックの様に窓に映る美凰の無残な姿を見つめていた。

「どうして…、どうして初めてだと、言わなかったんだ?」

 しどけない姿のままぼんやりと天井を見つめて仰臥していた美凰は、やがてそっと起き上がるとはだけられた着物の前をかき合わせた。
 暴力を受けた箇処から、身体中がばらばらになりそうな痛みが全身に伝わる。
 乱暴に扱われた腰から背中にかけて別の痛みが走りぬけ、美凰は唇を噛み締めて悲鳴を堪えた。
 蒼白の頬に涙の雫が伝った。
 泣いてはいけない。
 今、この人の前で泣きたくはない…。
 わたくしが処女だったと知ったその瞬間、この人は驚きと微かな後悔、そして同時に喜びの表情をその秀麗な顔に浮かべた。
 愛もなく誤解したままわたくしを自分のものにし、そしてわたくしの苦痛を喜んだのだ…。
 頭の芯が痺れて何も考えられない。
 考えたくもない。
 何故、こんな事になってしまったのだろう…。

「美凰…」
「言って…、あなたは信じてくださったの?」

 尚隆は振り返り、デスクの上にある灰皿で煙草を揉み消した。

「……」
「……」

 美凰はよろよろと立ち上がり、慄える手つきで着衣の乱れを直し始めた。
 機械仕掛けの人形の様な動きに、尚隆は美凰に近づき彼女の嫋々とした双肩に手をかけて揺すぶった。

「答えろ!」
「夫は…、癌で余命が幾許もございませんでした。こんな事がお出来になるお身体では…」
「そんな筈はない! 神宮司は君と結婚してから入院するまでの2ヶ月間を同居していた。君と同じ屋根の下に暮らして何もしないなんてどうかしている! 俺を愛していたから…、だから他の男を受け容れられなかったんじゃないのか?!」

 尚隆の言う通りだ。
 だが、こんな事をされた後でそれを認めろと言うのか。
 あまりにも酷い男の問いかけに美凰の心は冷え、猜疑心に囚われた。

〔わたくしが認めれば…、この人は笑って、またわたくしの愛を踏みにじる…〕

「……」
「答えろ!」

 美凰は顔を背けて尚隆の視線を避けた。

「…、愛してなんかいません…」
「嘘だ! あの夜、君は俺の事を愛していると…」

 美凰は尚隆の手を振り切った。

「愛してなんかいません! 例え愛していたとしても、もう二度と口には致しません! あなたはわたくしの心を殺したのよ! 5年前とそして今! あなたに何が解るというの?! わたくしはどうすればよかったの!」
「美凰…」

 もう限界だった。
 意識が遠のき、美凰は意識を失ってその場に崩れ落ちた。





 化粧室に行くと言い残した美凰が戻らないまま、既に1時間近くたつ。
 要たちの相手をしながら左腕のロレックスを何度も見遣り、驍宗は不安を募らせていた。
 辺りを探しても見当たらない。

〔また気分が悪くなって、どこかで休んでいるのでは?〕

 驍宗は携帯電話を取り出し、美凰の番号を発信した。



 意識を失った美凰をそっと抱き上げてソファーに横たわらせた尚隆の足許で、ふいに携帯の着信音が響いた。
 どうやら押し倒した拍子に美凰のバッグの中身が床に散らばった様子だった。

〔なにも覚えていない程、怒りに眼が眩んでいたらしい…〕

 尚隆は自嘲しつつ、機械的な動作で携帯電話を拾い上げた。
 発信は乍驍宗となっている。
 尚隆はじっと携帯を見つめ、それからぐったりと意識を失っている美凰を見つめ、再び携帯に視線を戻した。

「……」

 鳴り続ける携帯をデスクに置き、尚隆は無言のまま身づくろいを始めた…。



 電話を切り、もう一度美凰を探しに行こうとした驍宗の携帯が鳴った。

「美凰さん?!」

 慌てて通話ボタンを押した驍宗の耳に聞こえてきたのは、患者の急変を告げる宿直医師の慌てた声であった。

「解った。落ち着け! 今すぐ病院に戻るっ!」

 同僚達に事情を説明し、美凰が戻ってくるまで要の面倒を頼むと看護婦達に言い残し、驍宗は慌ててパーティー会場を飛び出していった。
 看護婦達は訝しげに首を傾げた。

「美凰さん、一体どこに行っちゃったんでしょうね?」
「ナンパされちゃってるとか?」
「ありえる〜! だってあんなに綺麗なんだもん。今日の先生ったらもう他の先生方から美凰さんをガードするのに必死だったんだから〜」
「でも、トイレで倒れたりしてたら大変よ!」

 要は黒々とした美しい瞳に不安げな色を浮かべ、口々に勝手なことを口走る看護婦達を見上げていた。





 あの日のディズニーランドのデートは、夢の様に幸せな1日だった。
 平日であるにもかかわらず、ドナルドダックの誕生日とあって場内は満員の様子である。

「ここは夢と魔法の国なんですから、そんな強張ったお顔をしていらしてはいけませんわ!」

 尚隆は遊園地で遊ぶという事が初めてだったらしく、最初はぎこちない様子だったが、美凰の楽しそうな姿に忽ち、ディズニーの世界に溶け込んでいった。
 ビッグサンダーマウンテンにスプラッシュマウンテン、それにスペースマウンテンと美凰は絶叫マシーンが苦手らしく、がくがく慄えながら上がったり下がったりする度に悲鳴を上げて尚隆にしがみつく。
 尚隆は嬉しそうに美凰を抱き締めて笑い、最初は行列に並ぶ事にぶつぶつ言っていたのに、乗り終わると夜になったらもう一度乗ろうと楽しそうに言い出して美凰を困らせた。
 その上、ガジェットのゴーコースターにまで引っ張っていかれ、大きな美男と人目を惹く美女がドナルドとデイジーのペアルックで子供達の間に挟まり、小さなどんぐりのコースターに乗っている姿を周囲に呆然と見つめられる始末であった。

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