落花 1
 暗い夜空が音もなく明るくなったかと思うと、巨大な花火が宙空高く舞い上がった。
 その一瞬、白光に照らされて淀川に浮かぶ船や、対岸の明かりが落とされた住宅の彼方までが見えた程、大きな花火であった。
 続いてずしんという音と、潮騒の様などよめきが伝わってくる。
 水の上には身動きできない程に船がひしめき合い、陸の上は黒山の人だかりで賑わっているのだろう。
 花火は歓声の消えない内にふっとしぼみ、夜空はまた暗黒に戻った。
 美凰は梅田の繁華街に近い超高層ビルの20階で、わざと照明を落とした特別な部屋から空に浮かぶ花火を見ていた。
 広々とした多目的ホールであるこの部屋は、阪大病院の第一・第二外科の人々により貸し切られており、驍宗に招かれた美凰と要は、空調のきいた涼しい室内で花火を見物しながらの立食形式のパーティーに参加させられていたのだ。
 手渡されたグラスを片手に、看護婦達と共にバルコニーに出て次々に夜空を輝かせる花火に歓声を上げてはしゃいでいる要を、美凰は微笑みながら見つめていた。
 彼女の傍らには、カジュアルだが明らかに高級品と判るスラックスとポロシャツに身を包んだ驍宗が守護するように佇み、花火についての説明や時折声をかけてくる同僚達を紹介してくれたりと、終始付きっきり状態であった。
 まるで美貌の美凰を狙う男達から護るかの様に…。

 美凰は薄い茶翠地に濃い淡紅色の撫子柄があしらわれた絽の単を涼やかに着こなし、ゆったりと団扇を使っていた。
 単から透けて見える、白い長襦袢地に散らしてある淡紅色撫子(ときいろなでしこ)の花がなまめかしい。
 今日は化粧もいくぶん華やかに凝らし、つややかな髪も柔らかなアップに結い上げ、母の数少ない形見の一つである鼈甲の笄でまとめてある。
 華やかな浴衣女性がひしめく中で、美凰の装いはしっとりと落ち着いた風情が際立ち、人目を惹く美貌が更に引き立って、周囲に居る男達の視線を一身に集めていた。
 会場に連れ立って現れた時から驍宗は片時も美凰の傍を離れずに彼女をエスコートし続け、周囲は驍宗と美凰の間柄について様々な憶測を囁き始めていた。
 パーティー会場は始まったばかりの花火に盛り上がり、人々は窓辺に入り乱れて大騒ぎであった。

「美凰さん…」

 一瞬、二人だけになった驍宗は、美凰に向かって声をかけた。

「先生…、後で大切なお話がございますの。お時間を戴けまして?」

 美凰の真剣な眼差しに驍宗は頷いた。
 恐らく先日の件の返事だろうと見当をつける。

「解りました。では帰りにゆっくり伺おう…」

 次の言葉を口にしかけた時、驍宗は要と看護婦達に囲まれた。

「先生! 姉さま! 早く早く!」
「乍センセ! 今から大掛かりなのが始まるんですって! 早く皆でバルコニーに出ましょうよ!」
「そうそう! ここでいちゃいちゃしてらっしゃりたいお気持ちも解りますけど、今は花火に集中してくださいな! 折角なんですから!」
「美凰さんも早く!」

 美凰は苦笑しながら頷いた。

「化粧室に行って参りますから先にいらしていてくださいませ。すぐに合流いたしますわ」

 驍宗は一瞬、離れがたい表情をその秀麗な顔に浮かべたが、花顔の微笑みに頷いた。



 なんだか、先程から襟足の辺りがちくちくする。
 化粧室の鏡で様子を見ようと思い、美凰は持っていたグラスをテーブルに置くとほうっと溜息をついた。
 顔をあげた時、また夜空を彩る花の様に音もなく大輪の花火が広がった。
 室内が一瞬白く浮かび上がり、美凰は何気なしに出入口付近を振り向いてはっとなった。
 尚隆と眼が合ったからである。

〔あっ!〕

 いつの間にパーティーに紛れ込んでいたのか、手に取ったグラスをゆっくりと口に運びながら尚隆は、花火ではなく美凰に視線を注いでいた。
 つややかな紅を刷いた唇や締められた帯の上に盛り上がっている乳房、豊かな腰の辺りに射抜く様な視線を這わせている。
 美凰は硬直した様に動けなくなった。
 尚隆はゆっくりとこちらに近づいてきた。

「お楽しみの様だな?」
「あ、あの…、お、お帰りなさいませ…。いつ?」
「2時間ほど前に此処に着いた。携帯を鳴らしたのだが?」
「きっ、気づきませんでしたわ…、あっ!」

 尚隆は突然、持っていたグラスを勢いよく床に叩きつけたので、美凰はひっと喉を詰まらせた声をあげ、恐ろしげに尚隆を見上げた。
 幸い誰もが花火に夢中で、尚隆の乱暴な行為を見咎めた者は居なかった。

「なっ?! 何てことをなさいますの? あっ!」

 美凰は手頸を掴まれた。
 骨が折れてしまいそうな乱暴な掴み方に、美凰は悲鳴を上げそうになった。

「ここで騒ぎを起こされたくなければついて来い!」

 そう言うと、尚隆は美凰を引きずるようにして室内を連れ出した。



「いっ、痛いわ! はっ、離して! いっ、一体何を怒っていらっしゃるの!?」

 尚隆は無言のままエレベーターに乗ると、専用のキーを差し込んでから最上階のボタンを押した。
 忽ちの内にエレベーターは上昇してゆく。

「尚隆さ…」
「煩い! よくもこの俺を虚仮(コケ)にしてくれたな! 俺はあの医者の二番煎じか?! それともどこぞのじじいに抱かれた後の、汚い残滓を払うのか! 殺してやりたいのは山々だが、お前の様な淫乱は殺すにも値せんぞ!」
「……」

 尚隆が何を言っているのかが解らない。
 解っているのは、彼が今までに見たこともない様子で怒っているという事であった。
 美凰は初めて、彼に対して恐怖を覚えた。

〔怖い…、尚隆さまが怖い…! 一体、わたくしが何をしたというの?!〕

 エレベーターは最上階に到着し、豪華な絨緞が敷き詰められた専用フロアーを美凰は踏みにじられた花の様に引き立てられた。
 結い上げていた髪が崩れ、鼈甲の笄が鮮やかな紅い絨緞の上の転がり落ちる。
 重厚な扉が開かれると、美凰の瞳にガラス張りの窓の向こうに舞い上がる華やかな花火が映った。
 途端に美凰は、乱暴に室内の床に突き倒された。
 左足首が妙な音を立てたが、恐怖のあまり気づかなかった。
 広々とした室内には深緑の柔らかな絨緞が敷き詰められ、重厚なデスクと革張りの椅子、それに豪華な応接セットがある。
 おそらく尚隆のオフィスなのだろう。
 扉に鍵がかけられる。
 身を起こそうとしている美凰に、尚隆はスーツの上着を脱ぎながら近づいてきた。

「言い訳を聞く気はないぞ! お前は俺の女になるという約束を破った。契約条項の中に他の男と寝る事は許可しておらん!」
「なにを仰っていらっしゃるの? わたくしは…、あっ!」

 頬に平手打ちをくらい、再び床に突っ伏した美凰の頭上からパラパラと何枚かの紙が落ちてくる。
 殴られた頬を抑えながら、落ちてきたものを見た美凰の双眸が驚愕に見開かれた。
 それは写真であった…。
 驍宗に肩を抱かれ、車の中でキスされている姿が写し出されている。
 他にも、楽しげに食事をしている姿や、男に身を寄せて親しげにマンションのエレベーターに乗る姿、そして昨日、自宅に招いた立浪老人を見送る姿…。
 尚隆が誤解しているという事が理解でき、また、自分には密かに調査員が張り付いていたのだという事実を美凰は知った。
 なんという事だろう…。

〔わたくしは…、見張られていたのね…。尚隆さまはわたくしの事をそこまで…〕

 驍宗のマンションを出たときの、あの嫌な気配はそういうことだったのだ。
 ショックに打ち震えている美凰の身体を仰向けにし、ネクタイを引きむしりながら尚隆はのしかかってくる。

「俺との中途半端な接触が男を欲しがらせたのか? 俺は他の男とお前を分け合って楽しむつもりはないぞ! 莫迦莫迦しい! この俺がおめおめと他の男の後塵を払う事になろうとはな! くそっ! あの時、意識があろうがなかろうが抱いておけばよかったんだ…」
「い…、今、なんと仰って?…」

 嘲る様な尚隆の高笑いが美凰の耳に響いた。

「この俺が意識のない女を抱く様なしみったれた真似をすると思うか? そんな面白くもないSEX、誰がするか! ああ、そうだ。お前はまだ俺に抱かれてないんだ! 誤解を招くような会話はしたかもしれんがな!」

 そう言いながら尚隆は美凰の着物の裾を捲くり上げ、帯を解きにかかった。
 思考が定まらない美凰だったが、一つの事だけは解った。

〔そんな! わたくしは…、この方に抱かれていないの?! それならわたくしは…、まだ、娘のまま…〕

 ふいに、乍驍宗の面影が脳裡に浮かんだ。
 あの優しい男性の心を傷つけずに、穏やかな幸せを掴めるかもしれない…。
 一筋の光明が美凰に力を振り絞らせた。

「いっ、いやっ! やめてっ! やめてくださいっ!!!」

 ぐったりとしていた美凰が急に激しく抵抗しだし、目茶目茶に暴れ出した姿を目の当たりにした尚隆は、その獣性に完全に火をつけた。

「あの医者や、じじいにさせた事を俺には拒むというのか! くそっ!」

 下腹部に男の手がかかり、下着が乱暴に引き裂かれる音がした。
 花火に照らされて輝く美凰の白い腿を押し広げると、尚隆はスラックスの前を開いてそそり立つものを可憐な女の秘処に押し当てた。
 汚される予感に少女の様に泣き咽び、両腕で必死にもがきながら身も世もなく美凰は尚隆に赦しを乞うた。

「やめて! 赦して、お願い! やめてぇ…、うっ! ああっ! やっ! いやぁぁぁ!!!」

 はかない抵抗も虚しく、オフィスに響いた美凰の悲痛な声は、夜空を彩る大輪の花火の音にかき消された…。

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