悪夢から目覚めても、柔らかな身体の顫えは静まらない。
また少しだけ、熱が上がり始めたようだった。
美凰の容態は六太ほど酷くはなかったが、誘拐と強姦未遂という二重のショックを与えられた上、阿選に惨たらしく蹴られ続けた背中の古傷の痛みが嵩じ、微熱・高熱を交互に発する症状は容易に治まらなかったのである。
この3日間、殆どの時を尚隆は美凰の傍にひたすら付き添っていてくれた。
長時間、席を外したのは今日の午後が初めてである。
彼は一体、どこへ行っていたのだろう?
美凰は正気に返ると同時に尚隆と同衾している事に激しく羞恥し、全身をこわばらせた。
「あの…、あのう…、わたくし、どうしてこのようなことに?」
「すまない…。もう大丈夫の様だな?!」
尚隆はそう言って、美凰から離れようとした。
しかし美凰は、そんな尚隆の胸に更にしがみついた。
「お願い! もう少し…、もう少しだけ傍にいらして…」
「美凰…」
「もう少しだけ…、このままで…」
「……」
尚隆は無言のまま、じっと元の姿勢に戻った。
美凰も静かに、逞しい胸にすがりついたままであった。
ワイシャツの隙間から漂う嗅ぎ慣れた男らしい体臭と、アフターシェープローションの香りが鼻孔に心地良い。
美凰の脳裡に残っていたエゴイストは霧散し、彼女は思わず甘える様に愛する男の胸の中で深呼吸を繰り返した。
「美凰…」
恐ろしい悪夢は嘘の様に、美凰の記憶から消え去ってゆく。
あるのは、全身に渡る快い温もりだけであった。
豊かな乳房が柔らかく弾み、尚隆は顔を顰めた。
「頼む! そんな風に動かないでくれ! 気違いになってしまう!」
「……」
尚隆は今の今まで純粋に美凰の身体を心配をして、看病し続けていたのである。
しかし美凰が目覚めて正気に返り、こんな風に身体を重ねていれば若い男の昂りが嵩じるのも無理はなかった。
腕の中に抱き締めているのは、只一人の愛しい女なのだから。
その心が判った美凰の双眸に、新たな涙が溢れた。
それは嬉し涙であった。
「そんなにも…、わたくしのことを?」
尚隆は、美凰を愛おしげにぐっと抱き締めた。
「愛している! 君だけを…、俺は…!」
「嬉しい…、尚隆さま…」
美凰は尚隆の胸に顔を埋めた。
「どうした? 苦しいのか?」
「……」
様子がおかしいので、尚隆は思わず美凰の額に手をあててみた。
燃えるような熱さである。
抱き寄せている女体も、足の先まで熱を帯びていた。
「ひどい熱だ!」
慌てた尚隆は看護士を呼ぼうとブザーに手を伸ばしかけた。
しかし、美凰はその手を押しとどめた。
「美凰?」
「あ、あなたが欲しいの…。お願い…、美凰を抱いて…」
「美凰…。駄目だ! 今の君は…、うっ!」
狼狽する尚隆の唇は、美凰の唇に塞がれた。
潤いを失った熱い唇だったにも係わらず、尚隆は天にも昇る心地で美凰の愛撫を受け止めた。
美凰から与えられた初めての甘いキス…。
尚隆の理性はもはや限界に達していた。
「どこへもお行きにならないで…。もう、他の女の方の所へ、行ってはいや…」
「美凰…」
「お願い! 傍にいて…。今、わたくしを抱いて…。あ、あの人に触れられた記憶を、消したいの! あ、あなたが欲しい…」
美凰は涙ぐみ、熱ぼったい眼差しで愛する男を見上げた。
尚隆は愛おしさに胸を打たれた。
「ああ! 美凰! 許してくれ…。君が欲しい!」
尚隆は美凰を抱きしめ、喘いでいる唇にキスを落とした。
美凰は、全てを男の意志に委ねたまま、じっと尚隆を見つめていた…。
尚隆は横たわったままの美凰の寝間着の帯を解き、襟から褄、裾前までそっとはだけさせた。
下着はつけておらず、即座に裸身が現れた。
「き、今日は、身体を拭える日だったの…。だから…」
羞恥の余り、美凰はそっと眼を閉じた。
幾日振りかに眼にする美しい肢体…。
白い身体は熱を帯びている為にうっすらと桃色に染まっていて、どきりとする程に美しい。
「痩せたな…」
「……」
「でもとても美しい…。真珠の様な肌だ…」
輝くばかりの白珠の素肌の隅々まで、尚隆は視線を彷徨わせる。
嫋々とした丸い肩、豊満な乳房、重く脹った腰や臀、すんなり伸びた弾力ある白い腿。
そして尚隆の眼は、まだ生々しい傷が残る足枷の痕へと向かった。
「二度と、こんな事はさせない!」
唇を噛み締めた尚隆は、足首に残る枷の擦り傷をそっと撫でた。
「美凰、眼を開けろ…」
優しくいたわる様な声である。
恐る恐る薄眼を開いて見ると仄かな月明かりの中、いつの間にか全裸になった転の逞しい体躯が、自分を見つめながら間近に覆いかぶさろうとしている姿が視野に入って来た。
「あっ!」
血塗れの阿選の幻が重なる…。
美凰は脅え、ぶるぶる身体を顫わせ始めた。
自ら抱いて欲しいと言い出したにもかかわらず、彼女は微かにいやいやと頸を左右に振った。
その頤を指でとらえ、尚隆は美凰の花顔を覗き込んだ。
「いいか。眼を開いて、俺の顔をじっと瞠めていろ。決してつむってはならんぞ!」
些か厳しい語気で言いつける尚隆に向かい、美凰はそっと頷いた。
「…、はい」
薄暗闇とはいえ、互いの顔や姿ははっきりと判る。
美凰にとって眼を開いていることは、この上もなく苦しいことであった。
だがこれに堪えねばならなかったのだ。
尚隆は美凰の唇に唇を重ねると、優しいキスを幾度となく繰り返した。
美凰の繊肩がぴくりと揺れる。
尚隆の怒張したもの柔らかな太腿に触れ、仰臥の形のままの美凰の恐怖と官能をくすぐった。
「胸に…、触れられたのか?」
そう問いかける尚隆のキスが、白い乳房の周囲を廻る。
「あ…、は、はい…」
優しい愛撫に埋もれていた乳首が忽ちの内に膨らみ、濃いピンク色に屹立する。
これまでの肉体関係でもう幾度となく見られている他愛もない興奮、だが優しい尚隆の眼に自身のそんな変化を晒した事が羞かしいと思うのと同時に、彼の掌に包まれたい、彼の唇に吸われたいという思いが切望となって頭を擡げてくることを、美凰は否定出来なかった。
「…。吸われたのか?」
問いかける声音は嫉妬に震えている。
冷静を装いながら、尚隆の舌が薔薇の蕾をとらえた。
優しく乳首を吸われ、女体の全身を快楽が駆け抜ける…。
美凰は涙ぐみ、そっと頷いた。
美凰の肯定は、尚隆の全身の血を逆流させた。
だが、興奮してはならない。
無体に弄ばれた美凰が、一番辛い記憶に苛まれているのだ。
〔焦ってはならない…〕
尚隆の愛撫が下へとずれてゆき、熱い唇が臍から下腹部へと移って行く。
やがて、固く閉じられた白い両脚を尚隆はゆっくり開くと、言いつけ通り美しい双眸を見開いたままの美凰とじっと見つめ合った。
「あっ!」
美凰の白い腹がぴくりと慄えた。
尚隆は艶やかな陰阜を優しく撫でつけ、そのまま女の秘処へと手を落とした。
巧みな指先の愛撫が花弁をたゆたい、美凰の熱い花園は忽ちの内にしっとりと潤ってゆく。
女体の中の羞恥と欲望が交錯した…。
「あっ…、な、尚隆、さま…」
「愛している…。まだ、眼を逸らしては駄目だぞ…」
「は、はい…」
尚隆は美凰の膝を優しく立てさせた。
美凰は慄えつつも、尚隆のなすままに動いた。
やがて尚隆は広げた美凰の股間に腰を落ち着かせ、そっと重なった…。
「ああっ!」
尚隆の熱いものが静かに徐々に押し入って、柔らかな女体の中をきっちりと盈たした時、美凰の双眸からどっと涙が溢れた。
言いつけ通りに瞼を塞がず、じっと愛する男を見上げている美凰の脳裡から血塗れのおぞましい男の顔は遠のいてゆく。
「大丈夫か?」
「はい…」
優しい問いかけに、美凰は羞かみながらもこくりと頷いた。
尚隆は大きく拡げて立てさせていた美凰の膝をそっと伸ばし、涙に濡れる美凰の頬に頬をすり寄せて、漸く自然な抱き方をした。
「もう、眼を閉じてもいいぞ」
優しく告げられて、美凰は初めて瞼を塞いだ。
そうしたままで…、二人とも動かずに、随分長い時刻が過ぎた…。
そうしている内に美凰の心からも、肌からも、無慚な記憶は少しずつ拭われていった。
やがて尚隆は、堪えきれぬ様に美凰の上でゆるやかに動き始めた。
戦慄は、美凰の身体の隅々から小刻みに足の指先まで伝わってゆく。
苦痛はなく、ただ愛する男に抱かれているという歓喜だけが女体を満たしていた。
美凰はただ尚隆にすがりつき、怒濤のように荒れ狂うものに総てを任せていた。
いつも冷静な男が息を乱し、遮二無二突き進んでは女体を愛撫する…。
「美凰…、俺の美凰!」
柔らかな唇を唇で塞ぎ、乳房の膨らみを愛しげに掌に包み込む。
美しい乳首に何度もキスされ、美凰は甘い高揚感に激しく喘いだ。
吐き気を催すざわめくような阿選の手弄の記憶は少しずつ薄れてゆく。
尚隆を抱きとめている美凰の全身を心地良く気怠い疼きが包み込み、女の花園からは溢れ出る甘泉がとめどなかった…。
「尚隆さま…、美凰は、美凰はあなただけのものよ…」
「美凰! 俺の美凰…」
「あなた…」
美凰の身体は男の愛の動きのなすままに揺れ続け、愛の悲鳴を密やかにあげ続けた…。
熱に浮かされながらも、美凰が初めて知る愛情のこもった行為だった。
やがて尚隆の律動が激しくなり、低い呻きとともに情愛の精が放たれた。
美凰は絶頂の訪れに女体をのけぞらせ、精を注ぎ込まれながら大きく胸を波打たせて息を喘がせた。
呼吸を整えてゆっくりと眼を開けると、優しく凛々しい尚隆の笑顔が美凰の双眸一杯に広がった。
「羞かしい…」
美凰はそう呟いて、尚隆の胸にしがみついた。
まだ重なったままで、尚隆の萎えたものは美凰の中に容れたままである。
「愛している…。美凰…」
「嬉しい…」
尚隆は美凰の熱い身体をそっと抱き締め、美凰は更に尚隆の胸の中にすり寄った。
「傍にいらしてね…。離れないで…」
「ああ…」
その返事に安心したのだろう。
美凰はそのまま、うつらうつらと眠り始めた。
うっすら汗ばんでいる額にそっと手をあてると、火の様に熱い。
重ねた肌がじんわりと熱を帯び始めている様子に、尚隆は離れ難い思いを堪えつつ静かに身をどけると、美凰の身づくろいを丁寧に整えてやった後、自らも衣服を着けるとナースステーションに向かってブザーを押した。
おそらく明け方まで高熱を出して辛い思いをするのだろう。
性の興奮がさめると、現実の思考が尚隆の中に擡げてくる。
〔俺は今日、再び人の命を奪った…。そしてその手で君を抱いてしまった…〕
『尚隆よ…。この人殺しめが…。血塗れのその両手で女房を抱くのか? 女は…、嫌がりはせんかのぅ…。見るからに、純情可憐げな…、潔癖な娘に見えたがのぅ…』
悪魔の様な叔父の断末魔は、尚隆の胸を抉った。
〔その通りだ。俺は…、俺は美凰には相応しくない。阿選を殺し、欲望の塊のけだもの達を殺した事は決して後悔していない! だが司法も自由も金で買える…、そんな汚い世界の男は、美凰には相応しくないんだ! 俺は…、俺は生涯、孤独でなければならない。幸せを求めてはいけない…。美凰は、美凰は美しい世界で、生きていくべき女なのだから…〕
尚隆は美凰の為に、彼女を抱いた事を後悔していた。
「許してくれ、美凰…。俺は…、俺は君の傍に居てはいけない。もう二度と、君を穢してはならないんだ…」
尚隆は高熱に喘ぎ始めた美凰の枕元に坐ると、熱く汗ばんだ白い繊手をそっと握って唇を寄せ、何度もキスを繰り返した。
それは、別れを告げる為のキスだった…。
_92/95