美しき脅迫者 1
 狂気の事件から3日が過ぎた…。
 中近東に端を発する人身売買組織は、組織の中心人物であった神宮司阿選の凄惨極まりない死亡により、東洋地域の統括を失った。
 事件の関係者は総て、青辛率いるインターポールからの派遣チームと警視庁特別捜査班により検挙逮捕され、誘拐、略取、暴行の被害にあった哀れな女性たちは救出されるや、次々に還るべき場所へと戻っていった。

「美貌というのも過ぎると哀しいものだな。美しいものは、幸せを招かねばならない筈なのに…。罪なことだ…」

 硬く口を噤んで身の上に起こった出来事を語らず、親兄弟に抱きかかえられる様にして悄然と警察病院の特別保護管轄区から立ち去ってゆく美貌の婦女子達の背姿を見ながら、煙草を咥えた青辛は周囲の部下達に向かって哀しそうにぽつりと呟く。

「……」

 それは、あの惨劇を目撃した男たちの誰もが思っていることであった。



 世界的に有名な財閥、小松家の総帥が激怒の血の雨を降らせたあの忌まわしい監禁部屋…。
 国内のあちこちから攫われてきた美貌の女性達は、中近東のオイルダラーに売却されるまでに、阿選を筆頭に彼の配下達に散々に弄ばれ、高額裏取引用としてアダルトDVDに収録されていたのだ。
 愛する妻を救出する途中、偶然に十数名の女性達の無残な姿を眼にした小松尚隆の怒りは凄まじかった。
 数人がかりで強姦を働いていた男達は次々に銃で撃ち抜かれ、武器を捨てて涙ながらに命乞いする男達も容赦なく射殺された。
 挙句の果ては、証拠品であるアダルトDVDの殆どを、警察が到着するまでにSPたちに命じて処分させてしまった。
 強姦というものは女性にとって命を奪い取る事に等しい行為であるにも係わらず、法律上死刑になる事などまずない。
 身体の傷は癒えても心の傷は癒えぬまま、女性たちは生涯、深い悩みを胸に抱えながら生きてゆかねばならないのだ。
 攫われた妻の身の上と哀れな女性達の姿が重なった瞬間、小松尚隆は即座に司法を無視して私刑を実行したのである。
 救い出された被害者達の誰もが自らの名誉を護り、そして恨みを晴らしてくれた小松尚隆に感謝しこそすれ、決して彼の不利になる様な発言を口にしなかった。

「女たちの誰もが口を揃えて、小松の総帥が奴らを殺した姿を目撃していないと言う。お偉方からは『神宮司阿選の死亡により、事件は解決。よってこれ以上の捜査追及には及ばず』という指示がきた…。一体いくら積んだんだろう?! まったく…。この画像を見りゃ、小松が殺人したくなる気持ちは判らんでもないが、殺人は殺人じゃないか! 結局、金持ちは得って事なんだろうなぁ! 人殺しをしても金が法と無罪を買ってくれる…」

 僅かばかり押収した証拠品である無修正ポルノを検閲していた捜査官の一人はそう呟いていたが、中に映っていた10歳ばかりの美少女の惨たらしい姿がいたたまれず、嘔吐感を催して眉を顰め、手洗いに立った。





 足早に出て行った同僚を尻目に、青辛は煙草を燻らせながらぼんやりと暮れなずんでゆく空を眺めつつ、小松尚隆が掌中の珠の如き扱いで抱えていた美貌の夫人の面影を思い起こしていた。
 監禁されていたどの女性よりも美しい…、美しすぎる一輪の薔薇の花。
 夫のジャケットを着せ掛けられた小松夫人は、ぐったりと愛する男の胸に縋りついていた。
 美貌に罪があるのか?
 いや、そうではない。
 美貌に生まれついた女に、執心する男の方に罪があるのだ。

〔参ったな…。一目惚れってやつか?!〕

 すっかり冷えて不味くなったコーヒーを口にしながら、青辛は複雑な思いに顔を顰めた。





 同じ頃…。
 葉山にある小松直人の大邸宅にある書斎で、傲然とした表情の尚隆が白沢と朱衡を従えて憔悴した小松直人と対峙していた。
 直人の配下はすべて、成笙を筆頭に大勢のSP達に粛清され、一人では何も出来ない彼はもはや丸裸の状態であった。
 3日間の軟禁状態、生まれて初めて受け続けた粗末でぞんざいな扱いに直人は血の気の引いた表情で、眼の前の机に置かれた水の入った小さなコップをぼんやりと眺めていた。

「俺の命を狙うだけなら放置しておいたものを…。言うに事欠いて人身売買組織の統括とは…。挙句の果ては俺の妻にまで毒牙にかけようとした…。これ以上、貴様を生かしておくわけにはゆかん!」
「……」
「夏蓮も、あの女に相応しい末路を迎えた。六太の事を思えば生かしてやろうとも思ったが…」

 救急車で病院に運ばれ、銃弾を取り出す手術が成功したにもかかわらず阿選に撃たれた腹部の傷が元で、夏蓮は3日間苦しみのた打ち回った挙句、絶命したのである。

「六太が可哀想だとは思わないのか?! 僅か13歳の餓鬼にあれ程の辛酸をなめさせて…。貴様と夏蓮にはまったく似ない、あんないい子に成長してくれた我が子に対してほんの少しでも親らしい、すまないと思う気持ちはないのか?!」
「……」

 然様。
 六太が直人と夏蓮の間の不義の子である事は、この場に居る者たちだけの秘密事項であった。
 無論、真実は六太に知らせていない。
 尚隆も5年前に小松の総帥の座を継いだ時に、直人を見限って自分の陣営に降ってきた白沢から聞かされて初めて知った事である。
 血縁の序列を極端に忌み嫌う尚隆は、哀れな六太を義弟として接し、彼なりの愛情を持って遇してきた。
 そして今度の事件では、六太は自分の命を省みずに美凰を救おうとしたのだ。
 自分の事を『家族』だと言い、身を挺して命を護ろうとしてくれた女の為に。
 肋骨を折る重傷と無数の打撲、そして考えまいとしている実母の死に僅かばかりの心の痛みを抱えた六太は現在、美凰と共に阪大病院の特別室に入院し、完全看護の許で治療を受けている。



 無言の室内に白沢の乾いたステッキの音が虚しく響いた。

「会長…。もうそれまでに…。直人様、迅くお召し上がりを…。苦しまず、せめて安らかなご最期を…」

 直人は憤慨したかの様に、凄まじい目つきで白沢を睨めつけた。

「白沢! 貴様! この裏切り者めが! 元々はわしに味方しておったくせに形勢不利となった途端、こんな妾腹の若造に寝返りおって!」

 顔を真っ赤にして喚き散らす直人に向かって、尚隆は恫喝した。

「黙れ! 貴様には白沢の思いやりが解らんのか! 事故に見せかけて俺の義兄達を次々に殺した貴様の手口に呆れ果てた白沢は、小松の傘下の者達の将来を考えて貴様の元から去ったのだ。俺が何故貴様を今日まで生かしていたと思う?! 白沢がどんな思いをして貴様に静かな死を与えようとしているか…。俺は貴様に死ぬより辛い思いを、俺の妻が味わった苦しみの半分なりとも味合わせてからじわじわと殺すつもりでいたんだぞ! それを…」

 脇の下に装着している拳銃に手を伸ばしかけた尚隆を、朱衡は慌てて押しとどめた。

「会長! なりません! ご納得戴いた筈です! 直人様のご処分は取締役とわたくしに一任くださると! これ以上会長自ら、手をおかけにならぬ事を!」

 それでなくとも今回の事件で、理性の箍が外れた尚隆は阿選を筆頭に何名もの人命を奪っている。
 自国の刑法に照らし合わせれば、例え相手が極悪非道な人物であったとしても私刑は許されない。
 司法の手が尚隆を始め小松財閥全体に及ばぬ様、また人身売買組織に傍流とはいえ現総帥の叔父と義母が関わっていた事は最重要機密事項として処理されなければならなかったのだ。

「くっ!」 

 悔しそうな尚隆の怒声を、直人は一切聞いてはいなかった。 

「くそう! わしだって妾腹だぞ! なのになぜ、兄貴を裏切った女の息子が小松を統べる! このわしではなく…」
「黙れ! 御託を並べずとっととその水を飲め!」

 もう逃げ道はないのだと悟った直人は、ぶるぶる震える手で眼の前のコップを手に取った。

「尚隆よ、よっく覚えておくがいい! 小松を統べる者が女に囚われるなぞ言語道断! 女は快楽と、そして跡継ぎを産むだけの道具だ! 貴様が妻だ、妻だと称している子供も産めん女など…」

 その冷たい言葉に、尚隆はかっと眼を剥いて叫んだ。

「黙れ! これ以上美凰を侮辱する事はこの俺が許さん! さっさとあの世に行って自分の不始末を同類の親父に詫びるがいい!」

 小松直人は水を一気飲みし、空になったコップを最期の悪あがきを示す様に尚隆の胸元に向かって投げつけた。
 尚隆の胸にあたったコップは床に落ち、儚い音を立てて砕け散った。

「女房を犯された腹いせに阿選の股間を打ち抜いたというその手が叔父を殺し、義母を殺すか?! 夏蓮もどうせ貴様達に毒を盛られたのじゃろう! そうじゃ! 総帥の座などというものは所詮、そういうものなのじゃ! 権力は血で血を洗い…。うっ!…」

 毒が効きだしたのか、直人の意識は朦朧となり始めていた。

「勘違いするなよ! 俺の妻は阿選なんぞに犯されてなどいない! 末期まで見苦しく俺を打ちのめしたいようだが、うまくいかなかったな。叔父貴よ…」

 直人の顔が悔しそうに歪んだ。

「尚隆よ…。この人殺しめが…。血塗れのその両手で女房を抱くのか? 女は…、嫌がりはせんかのぅ…。見るからに、純情可憐げな…、潔癖な娘に見えたがのぅ…」
「……」

 その言葉に尚隆の逞しい肩がぴくりと揺れる。
 悪党の断末魔の言葉は、尚隆の耳に、そしてその心に小さな棘をもって残された。
 そして小松直人という男は、最期の最後まで甥である尚隆を憎み、自らの死の直前まで彼に一矢でも報いようと嫌がらせの言葉を繰り返しつつ、静かに眼を閉じたのである。



 総ては終わった…。
 尚隆は有機物から無機物に化した叔父の姿に淡々とした表情で一瞥をくれ、深々と息をついた。

「後の始末はお前達に任せた…。俺はこのまま大阪に戻る…」

 無言のままに深々と頭を下げる白沢と朱衡に背を向けると尚隆はその場を立ち去り、屋上に待機していたヘリコプターに乗り込むと葉山を後にした…。





 その日の深夜…。
 阪大病院の特別室のベッドに横たわる美凰は、悪夢にうなされていた。
 背中の痛みは漸く落ち着き始めたものの、誘拐と強姦未遂、そして眼の前で繰り広げられた凄惨な殺人の光景が脳裡を蝕み、ショック状態から抜けきれない美凰は未だに微熱と高熱を交互に発する。
 そして今夜も、微熱が続いていた…。

「う…、ん…、さ、寒い…わ…」

 腫れあがっていた頬は漸く沈静し、青黒い痣が数箇所にうっすらと浮かび上がっている花顔。
 カーテンの隙間から差し込む月明かりが、悪夢にぴくぴくと揺れる長く濃い睫毛を照らす。
 救出されてから3日が経つが、もう何度も同じ夢を見続けているのだ。



 足首に嵌められた重たい枷、そしてそれに連なる鎖がじゃらじゃらと嫌な音を立てる。
 淫らにぎたついた恐ろしい形相で全裸の柔らかな肢体を抱きすくめ、欲望を遂げようとする阿選を美凰は懸命な抵抗を続けて拒んでいた。

『いやっ! 離してっ! 触らないでっ!』
『うっふふふ! 俺の可愛い蝶々だぁ!』

 阿選の肌から立ち昇るエゴイストの香りに、美凰は吐き気を覚えた。
 どんなに泣き叫んでも、男の欲情をそそるだけだった。
 尚隆の名を呼べば殴られ、舌を噛もうとすると猿轡をかまされ、両腕で抵抗を重ねると後ろ手にねじり上げられ、縛りつけられた。

『お前は俺のものだ! 小松なんかに誰が二度と抱かせるか!』
『……』

 涎でてらてらしている阿選の唇が白い喉を吸い、ざらざらした両手に乳房を揉まれて痛い程に乳首が吸われ続けた。
 絡み付いて離れない男から何とか逃れようと美凰は必死になって身もがく。
 白く隆起した豊かな胸元から顔をあげた阿選の眼から、口の端から、ふいにたらたらと血が吹き零れて美凰の乳房を真っ赤に染め上げた。

『きゃあぁぁぁ!!! いやあぁぁぁっ!!!』
『死んでもお前を離さないよ! さあ、俺のものを銜え込めっ! たっぷり可愛がってやるぞぉぉぉ!!!』

 阿選のものにまさに犯されようとしたその瞬間、美凰の双眸に新たな涙が溢れた…。



「いやあぁぁぁっ!!!」

 美凰は喉を押さえながら、悲痛な叫び声をあげて目覚めた。
 冷や汗で、全身がぐっしょりと濡れている。
 なにかに押し潰されているように五体が重く、夢と現実が混同して美凰は錯乱した。

「美凰! 夢だ!」
「いやっ! いやあっ!」

 がばっと跳ね起きようとして自分の身体の上に人が重なっているのに気づき、夢と現実が混同した美凰はますます狂気して暴れた。

「いやっ! いやあっ! 離して! 触らないで! 誰か助けて! 尚隆さま! 尚隆さまっ!」
「しっかりしろ! 夢だ!」

 尚も美凰は暴れ、自由になる両手を動かして涙を流しつつ救いを求める。

「いやぁ! 尚隆さま! 尚隆さま、助けてっ!」

 暴れる両手がしっかりと押さえ付けられた。

「俺だ! 尚隆だ!」
「!」

 聞きなれた声を耳にした美凰は身もがきをやめ、恐る恐る泣き濡れた眸をあげた。

「…、尚隆さま?」

 月明かりの中、美凰の瞳に尚隆の面差しがしっかりと映った。
 間違いない。
 尚隆だ。
 血塗れの阿選ではない。
 尚隆だ。
 そのハンサムな表情は心配の余り、食い入らんばかりに美凰を見つめている。
 美凰は唇を噛み締め、嗚咽しながら尚隆の首に両腕を搦めてしがみついた。
 尚隆はがたがたと慄える美凰をしっかりと抱き締めた。

「もう大丈夫だ! 君は助かったんだ! 落ち着け!」
「怖い! わたくし、わたくし死のうとしたのに…。あの、あの人が…、あのけだものが、わたくしを…」
「美凰…」

 尚隆は美凰を抱き締める腕に、更に力を込めた。

「む、胸に、触れられて…、あ、あの人の唇が…」
「よせ!」
「…、で、でも…」
「解っている…。だが、君は穢されていないぞ…。もう、君をあんな眼に合わす奴は居ない。安心するんだ!」
「……」

 美凰の嗚咽が胸に何本もの針を突き立てられたような苦痛を呼び起こす。
 尚隆の秀麗な顔は歪んだ。
 救出後、意識を失ったまま救急車で運ばれた美凰は病院に到着する途中で目覚め、治療を受ける前にどうしても身体を洗浄したいと訴え続けた。
 彼女が犯されていない事は解っている。
 だが、着ているものを総て剥ぎ取られ、赤裸にされた美凰の肌に阿選の淫らな欲望の手と唇が這いずり廻った事は確かなのだ。
 美凰はぶるぶると身体を顫わせ、肌を清める事が出来ないなら治療は決して受けないと、医師の診察を頑なに拒んだのである。
 自分の胸の中で嗚咽に歔欷く美凰の痛々しい背中をそっと撫でながら、尚隆は叫んだ。

「もう何も言わなくていい! 例えどんな事があっても、俺は君を愛している…。君の総てが好きだ!」

 逞しい胸にすがって泣きじゃくりながら、美凰はそっと顔をあげた。

「ほ、本当に?…」
「本当だとも! 俺は、君の総てを愛している…」

 尚隆は美凰を見つめ返し、そのまま激しく唇を重ねた。
 長いキスの後、やがてその唇が溢れる涙を吸い続ける。
 温かな手で静かに背中を撫でられている内に、美凰は少しずつ落ち着き始めた。

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