今すぐ尚隆のいる会社へ向かうべくマンションを後にした美凰は、地下駐車場に向かう直通エレベーターの中で六太の意外な告白を聞かされていた。
「おれさ、話してなかったと思うけど、実はあの夏蓮の子供なんだ…」
「六太…」
思わぬ衝撃の言葉に、美凰は双眸を見開いたが、当の六太は飄々としたものだった。
「へへ…。けど、尚隆と異母兄弟ってわけじゃない。おれの父親って誰だかわかんないんだ…」
「……」
六太はへらへら笑いつつ肩を竦めた。
「あいつ、あんな女だから先代が病気で長期入院中に、色んな男をとっかえひっかえ侍らしてさ…。ふらふら浮気した結果、誰ともわかんない男の子供を孕んだわけ。それがおれなんだ…。療養中の先代は外聞悪いからって、死産って事で届け出して、おれは世話係をつけられて幾許かの金と共に永の外国暮らし…。ま、ていのいい捨て子だわな。殺されなかっただけ有り難かったって感じかな?」
「……」
「尚隆だけがおれの事、本当の弟のように接してくれて…。あいつが総帥になった時、小松の世界の中に生きる場所を与えてくれたんだ。血なんか関係ないんだってさ…。幸い外国暮らしだったのが役立ってさ、この歳だけど色々苦労したから語学堪能なのよ、おれって。だから世界中の小松財閥関係各所をこっそり廻って反尚隆派のスパイして歩いてるってわけ…」
「……」
六太の表情が苦々しげに歪んだ。
「おれはあの女が嫌いだ! 母親だなんて思ってたこともないし…、?!」
ふわりと柔らかな腕が巻きついたかと思うと、六太は美凰の優しい抱擁を受けていた。
甘い薔薇の香りが鼻孔に漂い、六太は我知らず赤くなった。
「おっ! おいおいっ! 抱きつく相手が違うぞっ!」
「いいえ…」
六太に向かって顔を上げた美凰は、はにかむように微笑んだ。
眩しい笑顔は咲き誇る花の様に美しく、六太の切ない心を鷲掴みにする。
「尚隆さまにとって弟なら、わたくしにとっても六太は大切な弟ですもの…。これからは皆、家族として仲良く暮らせれば、とても嬉しいわ…」
「…。家族…、ね」
「ええ…」
六太は鼻を擦りつつ、ぷいとそっぽを向いた。
どうにも気恥ずかしかったからだ。
「美凰や要となら、家族って呼び合っても差し支えねぇけどよ、尚隆もってのはなぁ〜」
「まあ…」
くすくすと笑いあった二人の乗ったエレベーターが地下に到着し、扉が開いた瞬間…。
その頃、小松尚隆は月に一度、本社で開催される重役会議に出席して各セクションからの報告を聞かされていた。
この会議だけは、総帥としてどうにも欠席する事の出来ない重要なものだったので、半ば朱衡に引きずられるような状態で無理矢理出勤してきた尚隆だったのである。
ここ数週間を途切れる事のない酔いに身を任せている尚隆は、意識がぼんやりしたままうつらうつらしながら、各グループ会社の社長達が報告する内容を右から左に流していた。
『儀礼上、ご着席戴き、話を聞いているフリでもして戴かなくては総帥の体面が保たれません。それでなくとも近頃はまた直人様の勢力が色々と…。兎に角、ご出席戴ければまた暫くお休みくださっても結構でございますから!』
自分がまともに聞かなくとも、傍にいる朱衡と大阪本社の取締役社長である白沢が聞いていてくれれば、何の問題もない事柄なのだ。
フランスの建設部門の話に耳を傾けつつ、尚隆は自らの手をじっと眺めた。
扱い慣れない細かな陶器の欠片とボンドのせいで、指先は細かな傷をおび、ささくれ立って荒れている。
指先は一向に痛まないが、心は日々痛みを増し続けていた。
〔美凰…。今、どうしている?〕
僅かな休憩時間に入り、疲れた様子の尚隆が痛んだ指先で目元を揉みながらコーヒーを口にした瞬間、朱衡から密かに声を掛けられた。
「会長! 只今会長室のTV電話に直人様が…」
「なに?」
『やあ、尚隆…。一瞥以来じゃな?! 随分と憔悴した様子ではないか? その顔つきから見るに美貌の女房との性生活に力が入り過ぎて、腎虚となっているのではあるまいのう? いやいや、それとも女房に見放された上、他の女も抱けず、毎夜毎夜自慰行為に耽っておるからかのう…』
〔相変わらず嫌な狸だ! 虫唾が走る…〕
会長室の豪華な椅子にふんぞり返って座った尚隆は、眉を顰めた。
「煩いぞ! じじい! 一体何の用だ?! 俺は忙しいし、お前を会議に呼んだ覚えはない…。いや…、お前達と言うべきか?!」
直人の背後に写った女の影に向かって皮肉るように尚隆は嘲った。
『あら?! ご挨拶ね、尚隆さん…』
姿を現した夏蓮は、くすくす笑いながら直人の肩にマニキュアが美しく施された手を掛けた。
『尚隆。小松の総帥の座を辞するがいい。女房の命が惜しければな…』
「なにっ?!」
尚隆の眼が見開かれ、思わず椅子から身を乗り出す。
背後に控えていた白沢と朱衡は、思わず顔色を変えて互いを見交わした。
白沢は自宅に電話をかけて美凰の行き先を確認した後、会議を中止する旨を発表しに杖を鳴らしながら急ぎ足で会議室へ向かう。
朱衡は即座に香蘭の携帯ナンバーをダイアルした。
「…。どういう事だ?!」
『小松財閥の権利の総てを直人さんに渡して欲しいの。そうすれば生かしたままあの小娘を貴方に返してあげるわ。但し、まともな身体じゃなくなっている事だけは承知しておいてね!』
尚隆はぎりっと唇を噛み締めた。
「貴様ら…!」
『あたしを虚仮にしてくれたお礼よ! あの小娘はあたしの選りすぐりの男達に与える事にしたから、3日程たっぷり可愛がらせてから返してあげるわ。でもその間に死なれちゃったらごめんなさいね。男慣れしてないって話だったから、5人ものマッチョな男達に3日3晩輪姦(まわ)されちゃったらねぇ…』
けらけら笑いながら恐ろしい言葉を口にする女に、尚隆の激怒は頂点に達した。
「夏蓮っ!!! 貴様という女は!!!」
『あら?! 仮にも義母なんですから、夏蓮だなんて呼び捨てにしないで頂戴な! 気分の悪い…』
尚隆は背後の朱衡に目配せをした。
「美凰様は、六太様とご一緒に阪大病院へ…。途中で行き先を変更されたのか、まだ病院には到着なさっていないご様子です。香蘭は…、携帯に出ません…」
普段から冷静沈着な朱衡も、流石に顔面蒼白になってうろたえている。
尚隆は生まれて初めての、恐ろしい程の恐怖と喪失感を感じた。
いつかの悪夢が現実となって押し寄せる…。
受話器を持つ尚隆の手がぶるぶる震えた。
「か、会長! どうか落ち着いてくださいませ…」
「好きにするがいい!」
『何と言った?!』
「小松財閥なんぞ、糞喰らえ! 貴様が欲しいというなら熨斗をつけてくれてやる! 総帥を名乗り、思う通り好きにすればよかろう! だが、俺の女房に手出しする事だけは絶対に赦さん!!! 美凰に指一本触れてみろっ! 貴様達を「死んだ方がマシだ」と思う程の目に合わせてやるぞ! 覚悟しているがいい!」
電話の向こうの直人と夏蓮は、初めて見る尚隆の激怒の剣幕に唖然としていたが、やがて楽しそうに笑い出した。
『あらぁ〜 残念ねぇ〜 指一本どころか、今頃はどこもかしこもヤられちゃって大変なんじゃない? 悔しいけど、阿選ちゃんが最初につまみ食いするって言ってたし…』
「……」
『夏蓮、もうその位にせい。長電話が過ぎるぞ!』
『あら、ごめんなさい! じゃ、あたしはこれで。今から小娘が繰り広げる稚拙なレイプショーを覗きに行って来るから…。それじゃね、尚隆さん!』
そう言い残すと、悪魔の様な女の姿は視界から消えた。
『やれやれ。女の嫉妬とはかくも醜く陰湿なものかのう…』
『じじい、貴様…』
『まあ、仕方あるまいて。なあに、女の身体とは不思議なものよ。輪姦されようが、3日3晩を息も絶え絶えに抱かれようが、そう簡単に死にはせん。心配するな。とにかく生きて返して貰えるだけ有難いと思うがいいぞ。では3日後にこの電話にお前の女房を出させる。その時には新総帥発表の準備を整えておくがいい。解ったな、尚隆?』
『……』
そうしてTV電話は虚しく切れた。
尚隆はTV電話をじっと見つめていたが、次の瞬間、荒れ果てた拳を電話機に叩きつけた。
恐ろしい破砕の勢いに機械はものの見事に壊され、拳からは血が吹き零れた…。
「会長!」
しかし尚隆は、自分の事になどかまっていられなかった。
「朱衡、各方面への指示を! 全力をもって美凰と六太の行方を追え! 俺自ら指揮を取る! ヘリの準備も怠るなっ!」
「畏まりました!」
朱衡が慌てて出て行くと、会長室は瞬く間に静寂とした状態になった。
〔なんて事だ! 美凰っ! 美凰っ! なんとしても無事でいてくれ! 絶対に君を助けてみせる! 小松の事なんぞどうでもいい! 君の為なら、金も地位も要らない! 君だけが、俺の傍にあってくれれば! だから、どうか無事でいてくれ…。万が一…、万が一何かがあったとしても、絶対に死ぬな! 死ぬなよ…〕
尚隆は自らのデスクに突っ伏し、何度も両腕の拳で机の天板を殴り続けた。
「やあ…、義姉さん! 久しぶりだねぇ…」
扉の外に立っていた男の姿を見た途端、美凰は恐怖に硬直した。
「なんだぁ? お前は? ! うぐっ!」
神宮司阿選の顔を見知っていない六太は、エレベーターの中に侵入してきた二人の黒尽くめに羽交い絞めにされ、口を塞がれながら外へ引きずり出される。
「ろっ、六太っ! あっ!」
次の瞬間、美凰は卑猥な微笑を浮かべて目の前に迫ってきた阿選に抱きすくめられた。
「ああ! なんて素敵な抱き心地なんだろう! ずっとこの時を待っていたんだ、可愛い美凰! 今からたっぷり可愛がってあげるから、一緒に楽しもうね…」
耳元で囁く声にぞっとした美凰は、助けを求めるように必死に六太を見た。
「い、いやっ! 離してっ! 六太っ!」
六太はむぐむぐ唸り声を上げて懸命に暴れているが、黒尽くめにがっちりと押さえつけられて身動きが取れない。
扉の外にいる筈だった香蘭やSP達は?
美凰は周囲に救いを求めて視線を巡らせるが、香蘭を始め、頼りのSP達は誰一人現れない。
弱々しく逃れようとする女体の感触を楽しむ様に、阿選はけらけらと嬉しそうに笑い声を上げた。
「残念だなぁ…。細工は隆々、仕上げをご覧あれってとこで、君につけられてたSP、みーんな殺しちゃったんだ…。だって直人くんがいいって言ったし…。その子も騒がれると面倒だから、君たち、頼むよ…」
「そんな…」
美凰は美しい双眸を見開き、情欲と狂気の色を剥き出しにした阿選の顔を見つめた。
無言で頷く黒尽くめの男達は、呻いている六太を暗がりの隅の方へと引っ立ててゆく。
美凰は衝撃の余り、気違いの様になって暴れだした。
「いやっ!!! やめてっ!!! 六太っ!!!」
「やれやれ、煩いなぁ…。騒ぐんなら、僕とのお楽しみタイムの時だけにしてくれないか? 騒がしい女にはお仕置きが待ってるんだよ…」
不快そうに眉を顰めた阿選は、美凰の鼻孔にクロロホルムのハンカチがあてがった。
「誰か!!! 尚隆さまっ!!! 尚っ…!」
気を失うまいと必死だった美凰の身体がぐったりと崩れ、阿選の胸の中に納まった。
長年の夢を手にした喜びに、阿選はにやりと笑顔を浮かべて美凰の身体を抱き上げ、美凰と六太が乗り付けていた黒塗りのリムジンに乗り込む。
〔尚隆さま! 六太を助けてっ! 六太をっ…、尚隆さま…〕
完全に意識が途絶える直前の美凰の耳に、銃声が2発、聞こえた…。
そして美凰と阿選が乗ったリムジンは、何事もなかったかの様に何処ともなく出発したのである。
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