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  お年玉

 餅つきの声が威勢良く響く晦日の玄英宮内で、ただ一箇所の堂室のみが銀子(かね)勘定の最終段階に直面している。
 机上に並べられた三つの巾着袋…。
 群青色に銀色の『龍』の刺繍が施された巾着は、延王尚隆のもの。
 紫色に金色の『麒麟』の刺繍が施された巾着は、延麒六太のもの。
 そして、薄桃色に金銀の『鳳凰』の刺繍が施された巾着は、延后妃美凰のもの…。
 三つ並べると、袋の大きさが歴然としている。
 作りも寸法も同じであるにもかかわらず、明らかに后妃の巾着のみが絞り口が閉まらない程に膨れ上がり、王と麒麟の巾着は空に等しい状態なのだ。

〔う〜む、今年もきゃつらの年玉には悩む事だわいっ!〕

 腕組みをしながら唸り声を上げている帷湍の耳に、不意に廊下からざわめきの音が聞こえてきた。
 帷湍は扉を開けて、廊下に向かって怒鳴った。

「おいっ! なんだというのだっ! 人が悩んで頭痛がしてるというときに、喧しいぞっ!」

 帷湍の不機嫌な声に、彼方から地官の一人が慌ただしく駆け寄って来た。

「地官長様! 大変でございますっ! 后妃様がお運びでっ!」
「なにっ! 美凰様がっ!」

 慌てた帷湍は机上の巾着をそそくさと仕舞い、后妃を迎える為の最上の礼を執った。

「帷湍どの…。お邪魔致します…」

 にこやかに堂室に現れた美凰に、頭痛の吹っ飛んだ帷湍は深々と頭をさげた。

「これはこれは美凰様…。いらせられませ…」

 滅多に拝謁できない麗しの后妃の姿に、地官たちもうっとりと眼の保養をしている。

「お餅つきもそろそろ終盤ですし、帷湍どのも今日くらいはお早くお戻りでございましょう? 文園どのも待っていらっしゃいましてよ…」

 文園とは帷湍の妻で、正寝の女官として長年勤めていた優秀な美女であった。
 帷湍との婚姻を機に家庭に入り、今はよき妻として帷湍を支えてくれている。

「はは…。お気遣い戴きまして、恐縮でございます…」

 美凰に随従していた李花と北宮の侍官が、三段重ねの重箱と八寸の瓢、そして乱箱に収められた女物の上質の晴着を一揃え、帷湍の前に置いた。

「陛下が一番についたお餅をわたくしが丸めましたの。文園どのはお餅がお好きでございましょう。宜しければお土産にと思いまして。それとお酒は帷湍どの、お衣装は文園どのに…」
「なんと…」
「わたくしのお見立てでございますから…。奥方さまのお気に召されると良いのですけれど…」

 羞かみながらそう述べる美凰を眩しげに見つめ、帷湍はうっとりとなった。

〔ああ…、お美しい! やはり俺の麗しの女神でおいでだ…〕

 くりくりした帷湍の双眸に、地官たちは星を見た。
 そして思った。
 后妃様が地官府にお勤めくださったら、我らの苦労も半減以下になるだろうにと…。

「勿体無き有難きご下賜…。愚妻(ぐさい)もさぞかし喜ぶことでございましょう…」

 深々と頭を下げて礼を述べる美凰は瞳を見開いた。

「まあ、愚妻だなどと…。そのような事は仰ってはなりませぬ。文園どのは糟糠(そうこう)の妻でいらっしゃいましてよ」
「はは…。これは申し訳もなく…」
「お茶など如何でございますか? わたくしがお淹れいたしましょう…」

 そう云うと、美凰は李花と共にお茶の支度に取り掛かった。





「何か、ご職務の事でお悩み事でいらっしゃいますの?」

 ふうっと息を吐く帷湍に、美凰は気遣うように問いかけつつ、香り高い花茶を差し出した。

「いえ…、今年の職務は総て終了いたしました。後は恒例の…」

 美凰はふんわりと微笑んだ。
 牡丹花の微笑みに、その場に居た男達はうっとりとなる。

「帷湍どののお心のままになされればよろしいのです。わたくしは…」

 美しい后妃の花顔が、羞かむ様に赫く染まった。

「あの…、松の内に開かれる関弓の布市で、陛下と六太の布が買えるだけのお年玉を頂戴出来ますれば…」

 后妃のつましいおねだりに、帷湍はおろおろとなって美凰を見つめた。

「なんといじらしい事を仰せでいらっしゃいます! 普段から質素倹約を旨とされていらっしゃる美凰様が…。十二国一の富裕を誇る我が雁州国の后妃様のお年玉に、その様なちっぽけな額など、この帷湍の立場が赦しませぬ!」

 この時点で、ただでさえ膨らみきっている美凰の巾着の中身の増量が、帷湍の頭の中で計算されたのは云うまでもない事であった。

「しかし、『年玉』という蓬莱の風習は、なんともよく解りませぬなぁ…」

 美凰が淹れた花茶を恭しく喫しながら、常々疑問に思っていた事を帷湍は口にした。

「わたくしの生まれた崑崙では、今から千三百年ほど昔の『唐』という時代に、端を発するそうですけれど、皇帝がご自分の御子が誕生した時の妃へのご下賜金とでも申しましょうか、大人が生まれてきた子供に魔除けのお守りとして、お銀子を贈るという習慣があったそうで…」
「ふむふむ…」
「宮廷行事が巷間に流れ、わたくしの育った時代には、いつの間にか毎年大晦日の夜に大人が特製の偽のお銀子を赤い紙で包み、子や孫が眠っている時にこっそりと枕の下に入れるという風習になっておりましたわ。やはり魔除けとしてでございますけれど…」
「ほほう…。偽銀子でございますか…」

 美凰はくすくす笑って頷いた。

「お国が変われば風習も変わるというもので、陛下や六太の生まれ故郷であられます蓬莱では、古来の風習であった歳神様に奉納された『鏡餅』とやらを、神への参拝者に分け与えた神事から来ていると聞き及びます。『鏡餅』は元々、鏡を形どったものであり、魂を映すものと云われていたことから「魂、つまり玉」とも云われていたようで、歳神様の玉ということから『歳玉』、神様のお下がり物でございますから『御』をつけて『御歳玉』と称され、これを戴いた参拝者である家の主が、家族や使用人に砕いて懐紙に包み、分け与えたのが『お歳玉』の起源とも云われているそうですのよ」
「お供え餅を分け与える…。餅をね…」
「はい。『お年玉』が金品を贈る言葉として用いられた例は、陛下が胎果としてお生まれになられて程ない、室町時代から見え始めたそうで、当時はお茶碗やお扇子ど様々な物が贈物として用いられたそうですわ。陛下や六太が、お銀子をおねだりあそばしますのは、生まれ故郷の風習というものでございましょう。但し…、お二人とももう大人であらせられますから、あれほどに『お年玉』にご執心あそばされるのも、わたくしとしましてはどうかと…」

 羞恥に頬を染め、美凰は申し訳ないと云わんばかりにそっと俯いた。
 師走に入ると子供の様な態度で『お年玉』を待ちわび、常々煮え湯ばかり飲ませている帷湍に対してあからさまな気遣いを見せる尚隆と六太には、美凰も些か閉口している様子であった。
 しかし、后妃の詫びの言葉は帷湍の耳には届いていなかった。

「ふむ。成程! いや、流石は后妃様! 博学であらせられます。良い事をお聞かせくださりましたなぁ〜!」
「は?」
「むっふふふふっ!」

 美凰の無邪気な知識は、帷湍に要らぬ知恵をつけてしまった様である。
 口角を上げて嬉しそうに笑い続ける帷湍を、美凰は李花と顔を見合わせ小頸を傾げつつ、不思議そうに眺めていた。





 新年の真夜中、北宮鴛鴦殿では家族だけのささやかな宴が開かれていた。
 常ならば朔日(ついたち)の朝に汲むべき若水を、家長である尚隆自らが午前十二刻きっかりに井戸から汲み上げ、大晦日に井戸に吊るしておいた『屠蘇散』をその水に浸した後、酒で煎じる。
 そして家族揃って、年少者である美凰から屠蘇を飲み廻すのがもう何百年と続く、延王一家の正式な春節儀式であった。

「うへぇ! やっぱおれ、これ嫌い! なんで新年早々、こんな不味いもん口にすんのかなぁ?」

 六太は苦虫を噛み潰すが如き顔つきで、それでもお屠蘇を一気飲みし、盃を尚隆に廻した。

「屠は『ほふる』、蘇は『よみがえる』でございましょう? 邪気を振り払い、心身を目覚めさせて蘇らせるということで『屠蘇散』に含まれる生薬、白朮(びゃくじゅつ/おけらの根)・山椒(さんしょう)・桔梗根(ききょうこん)・肉桂皮(にっけいひ/シナモン)・防風(ぼうふう)等は胃の働きを活発にする作用や解熱発汗作用、鎮静作用のあるものが多いのですわ。これらの効能から考えると、胃腸の働きを整え、消化吸収を促進いたしますから、ほんの少しお口にあそばされるだけで、六太のお腹のご調子も、尚一層ご闊達になられるという事ですわね…」

 廻ってきた盃に微笑む美凰から屠蘇を注がれ、一気に飲み干した尚隆はぶつぶつ云っている六太を見つめ、くつくつ笑った。

「お前ががつがつ食わない麒麟なら、よかったのにな!」
「うるせーやいっ! う〜 桂英っ! 水、水っ!」
「はいはい…」

 六太は生薬だらけになった口腔を漱ぐように、桂英から手渡された水を慌てて口に含んだ。





 美凰から順番にお屠蘇を廻し飲みした後、豪華なおせち料理と美酒、そしてふんだんな菓子に賑わう延王一家の食卓を、帰宅直前の帷湍が訪なった。

「主上、台輔、后妃様、改めまして新年、おめでとうございます。言祝ぎを申し上げ奉ります」
「うむ。めでたいな…」
「帷湍どのもご一献、如何でございますか?」

 牡丹花の優しい声に帷湍は頬を赤らめ、平伏したまま首を振った。

「いえ、妻が待っておりますので拙はこれにて。『お年賀の儀』の折、改めましてご相伴させて戴きたく存じ上げ奉ります…」

 顔を上げてみると美凰はいつもの様に他愛なく、にこにこおっとりと帷湍を見つめているが、尚隆と六太は尻尾を振る犬の様に、うっとりとした眼で帷湍を見つめている。

〔一年に一度、この瞬間までだけだな。こいつらが俺のいう事をまともに訊くのは…〕

「うぉっほんっ!」

 帷湍は重々しく咳払いをし、おもむろに背後に控えている侍官三名を招きよせた。
 侍官が奉げ持つ螺鈿がはめ込まれた漆塗りの三つの折敷には、ぱんぱんに膨らんだ巾着袋がどんっと乗せてある。
 尚隆と六太の双眸が、ぱっと輝いたのは云うまでもない。

「今年は特別に弾ませて戴きましたから、特に主上と台輔におかせられましては大切にお使いなされますように…」
「うんうん…」
「いつもすまんな。帷湍…」

 この時ばかりは尚隆も六太も、殊勝な態度で帷湍に頭を下げる。
 雁州国とは不思議な国だと、帷湍がいつも思う一瞬であった。
 六太が並べられた折敷に駆け寄り、遠慮なく嬉しそうに巾着に手を出しかけた時、帷湍の手がぴしゃりと六太の手を叩く。

「いってぇ〜!」
「卑しくも一国の宰輔がその様な浅ましい事をなさいますな! 拙が御前を退出するまで待つことが出来ませぬか!『年玉』は逃げは致しませぬし、一旦、お渡ししたものを返せなどと、この帷湍、口が裂けても申しませぬぞっ!」
「わっ、解ったよ。そんなに怒らなくてもいいじゃんかっ! 帷湍の気前のよさにちょっと吃驚してんだよ!」

 帷湍はくりくり眼(まなこ)で小さな麒麟をぎろりと睨めつけた。

「ご入用でなければ、持ち帰らせて戴きますが…」

 六太は震え上がり、慌てて両手を合わせて拝むように帷湍を見上げた。

「だぁーっ! ごめんなさいっ! おれが悪かった! もうしません! 絶対さもしい事しねぇから…」

 そんな半身の無様な姿を横目で見つつ、尚隆も内心ではほくそえんでいた。

〔馬鹿六太めが…。浅ましい姿を見せおって…。しかし、本当に今年の帷湍は気前がいいぞ! 下手をしたら美凰の巾着より膨らんでないか?〕

 巾着はずっしりと重そうに膨れ上がっている。

〔睦月の間は裕福に…、いや、あの量なら下手をすれば弥生近くまで持つかもしれんぞ!〕

 尚隆はにこやかな美凰の酌を受けつつ、口許が緩みそうになるのを引き締めた。





「重い! 近年、稀にみる巾着袋のこの重み!」
「おれも! すんげぇ重い!」

 帷湍が北宮を後にし、美凰がお雑煮を準備しに席を外すのを待ちかねた王と麒麟は、顔を見合わせてにんまりと笑いつつ巾着の傍に駆け寄り、ずっしり重いお年玉に恍惚の表情となった。

「帷湍の奴、今年ははずんでくれたんだなぁ〜」
「師走に入ってからは奴のご機嫌を損ねぬ様、お互い必死だったからな…。これで正月から美凰に借金せずとも…、んっ?」
「どしたぁ〜? 尚隆?」

 尚隆は巾着袋の底を、掌の上で軽く弾ませた。
 銀子にしては非常に柔らかく、違和感を感じる触り心地である。

「はて? 気のせいか…、中身が柔らかいぞ?!」
「あんまり持ち慣れね〜から、銀子の触り心地も忘れたんじゃね〜の? あれっ?!」

 六太はげらげら笑いつつ、主を真似て掌の上で巾着袋の底を弾ませてみた。
 確かにごつごつした感触が一切ない、柔らかで滑らかな手触りである。
 尚隆と六太はまさかという思いに顔を見合わせ、慌てふためいて絞り口の紐をとき解くと、長椅子の上に一、ニの三で中身を一斉にぶちまけた。
 そして袋の中からぼたぼたごろごろと落ちてきた白く柔らかい物体に、二人はひっくり返りそうになった。

〔餅?! なんで年玉が餅なんだ? おのれぇぇぇぇっ! 帷湍の奴めぇぇぇっ!〕

 新年の夜更、玄英宮は北宮鴛鴦殿からこの国で最も貴い主従の雄叫びが響き渡った。
 そして…。
 女官長の桂英から耳打ちされて事情を知った心優しい延后妃美凰が、がっくり項垂れる王と麒麟の為に自らのお年玉をニ等分したのは云うまでもない。





 その頃、私邸に帰宅した帷湍は、夫婦の居間で美凰から下賜されたつきたての餅と極上酒、そして文園の手料理に舌鼓を打ちながら、お年玉の悪戯話を妻に聞かせていた。

「あなたったら…。相手は恐れ多くも主上と台輔であらせられるのですから、あんまり悪戯が過ぎますと…」

 文園は美しい柳眉を顰めつつ、良人に酌をした。

「案ずるには及ばん。お優しい后妃様がご自分が我慢なされて主上と台輔にご自分のお年玉を半額ずつお渡しなされたとて、別に美凰様の分として同じ額だけの年玉を桂英に預けておる。案ずるには及ばん! まあ、主上と台輔は、何事も麗しの后妃様の半分という事でご納得戴くしかあるまいて…」
「あなたったら…。本当に、仕方のない方ね…。『お年賀の儀』手ひどい仕返しをされてもあたくしは知りませんよ! あの方たちの悪戯は、真面目なあなたが足許にも及ばぬような奇抜な仕儀に及ぶのですから…」
「なあに、心配する事なんぞありゃせん! それよりご下賜戴いたご衣裳を着てみせてくれ! きっとそなたに似合うぞ!」
 
 上機嫌の帷湍はしてやったりとばかりに、嬉しそうに思い出し笑いばかりしている。
 そんな良人を尻目に、文園は隣の化粧室に向かうと美凰から下賜された美々しい衣装を嬉しそうに身体に当て、鏡台の前でためつすがめつ自分の姿をうっとりと眺め始めた。
 新たな一年の始まりである…。

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