ただ想うだけで 桜の花も散り、初夏を思わせる風が吹き始めた頃。 狡噛は昼食を終えると、いつものように図書館へと足を運んだ。公安局が所有する書物は膨大な量で、多くの案件を抱える刑事課にとって重宝している。 もちろん資料が豊富にあるという点で良く利用しているのは確かだが、それとは別に壁際に連なるステンドグラスを模した窓際に佇むと、狡噛は慎重に外を見下ろした。正面に位置する図書室からは、中庭の様子が良く見れる。想像通り今日も定位置となっているベンチにいつもの姿を見つけて、自然と口元が緩んだ。 (佐々山、光瑠) 同じ1係に所属する執行官で、狡噛の相棒とも言うべき相手。 そんな彼の隣には女性が数人集い楽しそうに昼食後の歓談をしていた。無類の女好きで、そのため潜在犯認定を受けたというが詳しいことは知らない。とにかく派手で無鉄砲な彼は刑事課では有名で、ブラックリストの常習犯。 その一方彼を慕う人間も少なくなく、一人でいる所を見たことがなかった。どこか他者を惹き付ける魅力があるのだろう。 狡噛もそうだった。初めて会った時から、目が離せなかった。破天荒な彼のやり方に反発した時もあるが誰よりも思いやりがあり、システムを重視して決まった働きしか出来ない狡噛とは逆に、常に未来を見据えていた。失敗やリスクは恐れない。最優先すべきは事件を未然に防ぎ、最低限の被害に留めること。刑事にとっては基本だ。システムに守られている狡噛が忘れかけていることを、佐々山がその身で証明することは少なくなかった。 それだけではない。明らかに監視官である狡噛の判断ミスを、自ら請け負ったこともある。なぜそんな事をしたのかと問い詰める狡噛に、笑って。 「そんなこと、どうでもいいだろ?」 大切なのはそこじゃないだろ、と諭されたこともあった。 そんな彼に惹かれ、気付いたらこうして隠れるようにして眺めるまでになった。 だが、決してこの気持ちは知られたくない。その姿を遠くから見るだけで、充分だった。 その時、背後に気配を感じ振り返ると、そこには驚いた様子の征陸がいた。声をかける前に狡噛が気付いたからびっくりしたのだろう。 「とっつぁんか…」 「悪い、邪魔したか」 「いや、ぼーっとしていただけだから大丈夫だ」 なんでもないように取り繕うが、征陸の視線は窓の向こうに移されている。何を見ていたかは一目瞭然だ。 「コウ、あまり口を挟みたくはないが、あまり深みに入るなよ」 「とっつぁん…」 「執行官とは一線置くことも必要だ」 彼の意図を知り、狡噛は視線を足元に落とした。 執行官と監視官。同じ人間で同じ職に就きながら、その差は歴然としている。執行官を人と見るな。上官からは口を酸っぱくして何度も言われた。 それがどれほど禁忌なのかは未だに理解出来ないが、征陸が言うくらいなのだから余程だろう。 「別にどうしたいとかない」 狡噛は再び窓の下を見やった。そう。望みなど何もない。ただ。 「ただ、見てるだけでいい」 「…あいつには健気過ぎる想いだな」 その言葉に、狡噛は緩く笑った。 「そうでもないさ。ただ臆病なだけだ」 「すまねぇな」 「え?」 「余計なお世話だったと思ってな」 先ほどの苦言を差しているのだろう。 詫びてくる征陸に、狡噛は小さく首を振った。 「いいや、戒めになる」 「戒め?」 「ああ。余計な事を考えないために、誰かの目があると分っていたほうが引き締まる」 「…おいおい、俺が言うのもなんだが、お前さんは自分に厳し過ぎやしねぇか」 「そうか?元々あいつは女好きだし、特に期待はしてない」 自嘲気味に笑う狡噛に、征陸は頭を掻いた。 「悟りを開くには若すぎるだろう。あいつだってどう思っているか――」 言葉の途中で、狡噛が小さく吹き出した。 「とっつぁん、絆されてるぞ」 「あ?ああ、まぁな。自覚はある」 止める立場でありながら、こうして想いを貫くことを促すなど矛盾以外のなにものでもない。だが、狡噛の純粋な想いを前にすると、黙っていられないのも確かだった。 「コウ。光瑠はあれで情深い男だ。お前さんの事は可愛がってるし、大事にしている。それだけは覚えててくれ」 「…ああ」 狡噛は小さく頷くと、そろそろ戻る、と踵を返した。 酷なことをしている。だが、このままだとつらいのは、狡噛自身だ。傷は浅いほうが良いに決まっている。 「そうだろ、光瑠」 「…気付いてたのかよ」 書棚の陰から現れた姿に、佐々山はばつが悪そうに口を尖らせた。 「安心しろ、コウは気付いてなかった」 途中から話を盗み見していると気付いたのは途中からだ。恐らく窓に映る狡噛と征陸の姿を見て慌ててやって来たのだろう。 「にしても、あいつわかりづれーな」 「顔が緩んでるぞ」 「…からかうなよ。けど、助かった」 今までそこにいた狡噛の残像を追いながら、佐々山は優しく笑った。 「あいつは絶対にこっちに来ちゃいけない人間だ。綺麗で、純粋で、一番監視官が似合う」 「…互いに想い合っているのに、もどかしいがな」 「だからとっつぁんにサポートしてくれって頼んだんだ」 狡噛の気持ちはどことなく気付いていた。佐々山も同じ気持ちを抱えていた。 だが、佐々山が踏みとどまらなければいけない。狡噛には執行官の感情に巻き込んではいけない。 「コウはそんな事望んじゃいがいがな」 「知ってるさ」 「2係の執行官が変な目で見てたのを知ってるか」 「…あいつはやたらと無自覚にフェロモンを垂れ流すんだよ」 「監視官には守るべきものがたくさんある。執行官には恐れるものはない。そう考えると、野獣の群れに放たれた兎だな」 気にしていることを次から次へと叩きつけられ、佐々山は征陸を軽く睨んだ。 「とっつぁんは、俺にどうさせたいんだ」 「何も言っちゃいねぇよ。ただ、コウの想いがあまりにも健気だと思ってな。いかんと分っていても成就させたくなる」 「やめろよ」 佐々山が思いっきり脱力する。征陸も狡噛を可愛がっていたことを思い出した。まさか、ここまで絆されているとは思わなかったが。 「俺が本気出したらそれこそとまらねーぜ」 「本気の相手には手も出せないんじゃなかったのか」 その言葉に、佐々山は肩を竦めた。 「そうだな。だから、狡噛には一生手が出せない」 大事すぎて。壊しそうで。 いつも軽く流す佐々山の本心を語る姿に、征陸は同じように頷いた。 「そういう恋愛も悪くないと思うがな」 「とっつぁんには負けるよ」 息を吐き、佐々山も背中を向けて図書室を後にした。 大事だから、手を出せない。軽々しく気持ちを吐露できない。高校生のような恋愛は、きらきら輝いていて繊細に映る。だからこそ、壊れやすい。 見ているだけで充分だと嬉しそうに告げた狡噛と。 大事すぎて壊すことを恐れる佐々山と。 征陸にしてみたら、どちらも純粋で守りたくなる。 いつかこの関係が崩れるときが来るかもしれない。来ないかもしれない。 せめて、誰にも邪魔されないように、穢されないように。 佐々山と狡噛の優しい想いがいつか実ることが出来たら良い。それこそ、ありもしない絵空事。だが、夢を見るくらいは良いだろうと二人の想いをそっと大事にしまった。 2013.05.05 オンリーの無配より。 |