凛として、繊細に


まるで彼女はひなげしのようだった。
儚げと思えば、凛々しく。気丈かと思えば、繊細。
初めて会った時から、変わらない意志の強さがそこに佇み、人を想いやる気持ちも、裁く剛直さも、心に抱える弱さも全て放り投げず、常に前だけを見据えていた。
誰の意見にも左右されず、決して染まる事のないまっさらなクリアカラー。
かといって、穢れを知らないわけではない。その手が血に染まっていないわけではない。
それでも彼女は、燦然と振る舞っていた。
その姿はまるでかつての相棒と見紛う程、清らかで潔かった。
だからかもしれない。
人と接することに苦手な自分が、少しずつでも彼女に惹かれ始め、いつしか特別な感情を抱くようになったのは。

気付いたのは、ほんの偶然だった。
まず入ってきて、いつもの元気な笑顔がないことに気付き、次いで発せられる声にはどことなく覇気がなかった。
そして、極めつけは毎朝欠かさずにしている机の掃除。とはいえ、自分のではない。かつての仲間達である狡噛や縢たちの私物を置いている棚の。自分の知る限り、彼女は一度もそれを忘れたことはない。

「常守監視官」
「あ、おはようございます。宜野座さん」

見上げてくる笑顔はいつもと変わらない。うまく取り繕う朱らしいが、宜野座は眉根を寄せた。

「具合でも悪いんじゃないのか」
「え?」
「顔色が悪い」
「そう見えますか?」
「ああ」

真っ直ぐ視線を合わせて強く頷くと、朱の眼差しがほんの少し揺れる。誠実な彼女はこうして真摯に挑めば同じように返してくる。現に、普通に振る舞っているようで宜野座には少しの変化が見て取れた。
だが、朱はそれを吹き飛ばすように笑みを浮かべる。

「宜野座さんの気のせいですよ。元気ですし、なんともないです」
「しかし…」

朱にきっぱりと言われ、宜野座は言葉に詰まった。
情けない話ではあるが言葉ではかなわず、いつもうまくはぐらかされる。どのように伝えればと言葉を選んでいると、突然朱が小さく吹きだした。

「…何がおかしいんだ」
「宜野座さん、変わりましたよね」
「俺が?」
「覚えていますか?私が監視官としてやってきて少し経ってからの時も、こういうことがありました」
「ああ」

あの時は、確か狡噛が先に気付いたのだ。そして征陸。縢。宜野座は全く気付かなくて、それが面白くなく無理やり朱を医務室に連行した。すると、縢に「ギノさんらしいけど、もてないよ」と茶化されたのだ。
その時は意味が分らなかったが、あの時の自分は確かに乱暴だったと思う。

「悪かったな、あの時は」
「いいえ。確かに本調子じゃないことは確かです」
「常守…」
「ただ、私にも譲れないことがあるんです」

どうしても頷かない朱に、宜野座は口元を緩めた。

「ああ、知っている。君の信念を曲げるつもりはないし、したくもないから、あの時みたいに無理強いはしない。だが、心配でもある。だからこそ、俺もどうして良いか分りかねている」
「すみません…でも、気にかけて頂いたことは、嬉しいです」
「ああ。君の事は信じているが、辛くなったらいつでも言うと良い。一人じゃないんだからな」
「ありがとうございます、宜野座さん」

ぺこりと頭を下げる朱に、宜野座は苦笑いを浮かべた。

「執行官に軽々しく頭をさげるんじゃない」
「すみません」
「謝る必要もない」

続く小言に、朱は叱られた子供のように笑った。
宜野座がフロアを出て行くと、書類を提出しにきた弥生が珍しく声をかけてきた。

「変わりましたね、宜野座さん」
「え?」
「監視官を心配しながらも信頼するなんて高等技術、出来るとは思いませんでした」
「そうですか?」

弥生の言葉に、朱はにっこり笑った。

「宜野座さんは最初から心配してくれてましたよ。ただ、不器用だっただけだと思います」
「不器用…?」
「ええ。狡噛さんや征陸さんのことで傷ついて、誰も同じ思いにならないようにっていう気持ちが人一倍強かったんだと思います」
「…そうかもしれませんね」

思えば、宜野座と朱は確かに衝突していたが、宜野座は常に朱を気遣っていた。それは弥生にも覚えがある。
二度と相棒をなくしたくない想いで、大事にするがあまりほんの少し意固地になっていたのだろう。だが、その根本にあるのは、優しい気持ち。それは今と変わらない気持ちだ。
朱もそんな宜野座の気持ちを汲んでいたのだろう。だからこそ、立場が違った今もこうして信頼を築けている。

「監視官もあまり無理なさらないで下さい」
「ありがとうございます」

弥生の言葉に強く頷くと、ふと机の上に置かれたジッポが目に止まる。狡噛の私物から、こっそり拝借したものだ。
他にも縢や征陸の私物である置物や酒瓶も引き出しにしまっている。

(狡噛さん)

宜野座さんは、少しずつ近づいていますよ。
朱と宜野座が憧れて、信頼していた狡噛に限りなく。
そう思うだけで、安心感に包まれる気がした。





本日の業務を終え閑散となったフロアで、朱が報告書でも作ろうかと立ち上がった時だった。
突然の眩暈が遅い、身体が揺らぐ。バランスを崩しその場に倒れそうになった所を、力強い腕がその身を支えた。

「…?」
「大丈夫か」
「ぎの、ざさ…」

どうして彼が、ここに。
かなり前に退勤したのを覚えていた朱は首を傾げる。

「まさか、ずっといてくれたんですか」
「…狡噛なら、もっとスマートにすると思う。だが、俺はこんなことしか出来ない」

身体を支える宜野座に、朱は軽く身じろいだ。

「宜野座さん、私平気です」
「倒れかけただろう」
「でも、もう…」

言いかけて朱ははっと息をのんだ。
いつもクールで冷静な宜野座が、ひどく憐れむような眼差しを浮かべていたからだ。

「確かに君を止める権限はない。執行官である俺にはな」
「宜野座さん…」
「だが、…なら」
「え?」

呟いた声があまりに小さく聞き取れなかった。

「…、だから、その」
「はい?」
「一人の、男としてなら権限はある」
「…宜野座、さん」
「おかしいか?俺がそう思うのは」
「いいえ」

朱は唇をきゅ、と結んだ。宜野座のあまりもの真剣な眼差しはその想いごと、心に深く染みる。軽々しく言葉を紡げないくらいに。
ゆったりとした空気が二人の間を穏やかにさせた。

「常守。監視官時代の言葉を覚えているか」
「…はい」

宜野座の下で学んだことは、今でもしっかりと朱の基盤になっている。
衝突することも多かったが、宜野座がいなければ今の自分はここにいなかった。それだけ彼からはたくさんのことを学んだ。

「執行官とは一線を置いて決して馴れ合うな。駒のように扱え…でしたよね」
「ああ。君は決してそれには同調しなかったが」
「宜野座さんもですよね」

あの時の宜野座の眼差しは、ひどく冷たく全てのものに対し心を閉ざしているようだった。今ではそれが分るから、そう発した彼の気持ちがよく分る。かつて馴れ合い傷を負った監視官を知っているから、朱のことを心配しての発言。そして自分への戒め。

「君にはかなわないな」
「いいえ、あの時は私だけが分ってなかったんです。狡噛さんや征陸さん、他の皆は気付いていました」

だからこそ、宜野座が執行官に対し厳しく当たるのを見て自分を追い詰めるのが分っていたから、皆心を痛めていた。執行官たちは宜野座の葛藤など全て分っていたのだ。

「…そうか」
「今思えば頼りない監視官でしたね」

二人して、執行官たちに守られていた。身体も心も、まるごと。

「そうだな。だが、これからは安心するといい。狡噛たちが残してくれたもので、シビュラシステムに何か変化が起き始めているのは確かだ。執行官も監視官も協力していくときだ。君が監視官である限り、それが違えることはない。だから、執行官達を信じて自分の道を進むと良い」
「宜野座さん」
「まだまだ狡噛のようにはいかんが…泥臭く行くさ。親父みたいにな」
「はい」

朱は満面の笑みを浮かべた。
そうしっかりと告げる宜野座の眼差しは不安げない強さを秘め、その光は朱にも覚えがあった。

(ずっと助けてくれた、征陸さんのと同じ…)

意思を受け継いだ宜野座に、もう迷いは見られない。
宜野座の中に征陸がいて、きっと他の皆もすぐ傍で見守ってくれているのだろう。
それは途轍もない力となるし、これほど力強いものはない。
朱は顔を上げると、ぺこりと頭を下げた。

「これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく頼む」

戦友にも似た握手を交わす。それは、二人だけに通じる内緒のしるし。

「さて、常守監視官。君が一番すべきことは?」
「…休むことです」
「ああ」

宜野座は深く頷き、朱の鞄を手にして自分のコートを肩にかけてやる。気付くと彼の反対側の手には、買い物袋があった。

「宜野座さん、それは…?」
「りんごとはちみつ。それに大根だ。俺がすべきことは、風邪に良いりんごを摩り下ろすことだな」
「…宜野座さんが、看病してくださるんですか」
「俺では、不服か?」
「いいえ。ありがとうございます」

くすりと笑む朱に、宜野座は促しながらフロアの明かりを消した。
そんな彼の数倍大きくなった背中を追い、朱はもう一度笑った。

(やっぱり、宜野座さんだ)

もしこの場に征陸がいたら、一人暮らしの女の子の部屋に行くなんて、とからかわれているだろう。それだけ宜野座が無頓着であることは知っているが、それが残念なようでそれでいて変わらない彼に安心する。

まだまだ急ぐ必要はない。いつか、変われることが出来るのなら、それで充分。
ほんの少しそんな事を思いながら、ゆっくりと彼の後に続いた。


2013.05.05

オンリーで配布した無配より。




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