薬漬け


狡噛監視官が、何者かの手に落ちた。
その連絡が同じ事件を追っていた執行官である佐々山と征陸の耳に入り、はや数時間。
唐之杜の分析データを元に二人が駆けつけた頃には、犯人グループの影はなく、廃墟と化した倉庫の一室で狡噛が倒れていた。

「コウ!」

佐々山が慌てて駆け寄ると、着崩れた服の裾から伸びる白い腕には明らかな注射痕が目に飛び込む。何度も打たれたのか、肌の色は変わってしまっていた。
征陸は辺りに散らばっている注射器を手に取ると、眉を顰める。

「…麻薬か」
「数十本か?」
「恐らく」

狡噛の顔色は青白く、名前を呼んでもぐったりしたまま動かない。

「くそ…」

佐々山は自分の上着をかけてやると、狡噛を優しく背負った。
連絡を受けて佐々山たちが駆けつけたのにそう時間は経っていない。ほんの数時間だ。
それなのに、この注射の痕。恐らく大量に打たれたのだろうが、そうなるとかなりの中毒が心配される。

「早く医者に見せねぇと、とんでもないことになるぞ」

征陸の珍しく切羽詰った声に、佐々山の背筋がひやりと凍る。
狡噛に限って、と高を括っていた。まさかこんなことが起きるなんて思いもしなかったのは佐々山と征陸の失態だ。
前にだらりと伸ばされた手を見やれば、両の手の爪は全て剥がされていた。

「…、」

一瞬敵にやられたのかと思うがすぐに否定する。
まず最初に使われたのは、自白剤。そのために自我を失わないように自ら爪を剥ぎ耐え抜いた。痺れを切らした連中は、拷問の末に麻薬を投与した。
どんな拷問かは狡噛の状態を見れば容易に想像がつく。恐らく狡噛にとって、尤も屈辱的な方法。
ただでさえ狡噛は繊細で、敏感だ。一見クールで冷血にも見えるが、実の所一番情に厚い。だからこそ、犯罪係数があがりやすく、佐々山や征陸が気を遣っている。
狡噛からは余計なお世話だと言われているが、佐々山にとっても征陸にとっても、狡噛は希望の星なのだ。潜在犯にするわけにはいかない。

「佐々山、はやまるなよ」

車に乗り込んだ所で、征陸が初めて穏やかな声を出した。狡噛を横にしてやると、ほんの少し身動ぎをしてから頬に赤みが戻ってきて安堵する。

「とっつぁん、これでも俺は冷静だぜ?」
「嘘付け。コウがいなかったら今にも飛び出しそうな顔してるじゃねぇか」
「そりゃ、どうも」

手首はきつく縛られた痕が残り、項や首筋、胸元には噛み付いたとしか思えないほどの鬱血。しかも、この歯形は人間のものではない。考えるのもおぞましいが、漂う匂いは、けもの独特の。
アンドロイド型の猟犬にやられたのだろう。執行官にあしらえて、ひどい揶揄も受けたかもしれない。

「佐々山、血が出てる」

はっと我に返ると、唇を噛み締めていたらしい。気付けば血が滴り落ちていた。

「悪い」
「いいや。なぁ、佐々山。コイツが起きた時にお前さんがいなかったら、心配するだろう」
「ああ」
「まずは、コウのことを一番に考えてやれ。自分の感情は二の次だ」
「分ってるって」

その言葉でようやく佐々山は息を吐いた。
そうだ。狡噛が目を覚ましたとき、傍にいてやらないと。いつも気を張って一人で立ち回って、突っ走る佐々山の後始末を一手に担って。
そんな狡噛でもこんな状態のときは誰かの手を求めるはずだ。

「コイツは…」

佐々山は肌に纏わりついている前髪を払ってやりながら、ぽつりと呟く。

「コイツは、初めて俺を人間としてみてくれた」

執行官は使い捨ての猟犬に過ぎない。人と思わず、武器と思え。
そんな言葉を幾度となく聞かされた頃に、狡噛と出会った。
彼は執行官たちを対等とみなし、全てにおいて容赦はなかった。同時に傷を負えば怒られたし、心配もされた。無茶ばかりする佐々山相手に本気で殴ったこともあるし、非を被り責を負ったことも。
安っぽい言葉だが、自分達にとって狡噛は希望の星だったのだ。
それをこんな風に扱われて許せるはずがない。
だが、征陸の言うとおり今は狡噛の身が心配だ。投与された薬も身体の傷も今は想像するしかない。
せめて後遺症が残らないように。傷がすぐに癒えるように。
佐々山は狡噛の手を握ってやりながら、祈るように目を閉じた。
夜の闇を走る車が、今は激しく遅く思えた。


2013.03.01




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