5


それから暫くして、二人に異変が起きたのは数日後の事だった。

「すみません」

「いいよ、別に。任務なんでしょ」

幾度目かのやりとりにうんざりしたように雲雀がため息をつけば、骸が侘びの言葉を口にする。先ほどからこの繰り返しだった。

「僕がいなくても大丈夫ですか?やはり誰かに――」

「必要ないよ。大事な仕事なんでしょう。中途半端なことはしないほうが良いと思うけど」

骸の元へボンゴレボスから一つの仕事が舞い込んだのはつい先日の事。
ファミリーに対し特に恩義を感じていない骸にとっては、いつもならば即座に断る内容だった。しかし、それが兼ねてから裏切りの可能性が高かった同盟ファミリーに送り込んでいたスパイからの緊急SOSともなれば話は別だった。
匣兵器の調査に長けているファミリーはその手の内を明かさず、雲雀ですら手を焼いていた。そのため、雲雀の不在時に骸が独断で幻術を操りあと少しで情報を掴める――という矢先の、緊急事態。
放っておけば今までの苦労が水になる。それどころか痕跡を消さねばボンゴレボス、即ち沢田綱吉への嫌疑がかけられ、借りを作ってしまうのは骸にとって致命的な失態だ。
さすがに幻術に詳しくない幼い雲雀を連れて行くわけにも行かず、かといってこの時期に傍を離れる事もできず――と葛藤していたわけである。

「君ならすぐに終わらせれるんでしょう。僕の事はいいから、早く行ったら」

「ですが…」

「鬱陶しい。咬み殺されたいの」

「……分かりました」

押し問答の末、ようやく骸が折れるように項垂れた。
雲雀は知らないだろうが、幻術を操るのには準備にも相当時間を費やす。少なく見積もっても数日は家を空ける事になる。
その間に何か起きると断言はできないが、事が起きてからでは遅い。

「この部屋に幻術をかけておきますから私が帰るまでは部屋から出ないで下さい。誰も入れないで下さい」

「なに、それ。ヤダ」

明らかな軟禁状態に雲雀は顔を顰めた。
当然の反応だ。雲雀でなくとも、素直に頷きはしないだろう。

だが、手段は選んでいられない。

「…知ってますよ。でもこれは、命令です」

「な、に…」

しまった、と思った時には遅かった。
目の前に手を翳されると、自分を映していた骸の瞳がぼんやりと滲む。
様々な数を象り、「六」の形が脳に刻まれた所で――雲雀は意識を手離した。

そして次に目覚めた頃には、文字通り――骸の幻術により完全に覆われた部屋の中で軟禁されていたのである。



気付くと、辺りは靄に包まれていた。
白くぼんやりしていて、無重力状態の無空間。視界を覆うのは果てしなく広がる白い空だけ。

何が起きたんだっけ、と雲雀はぼんやりした頭で思い出す。
そうだ。確か…骸が長く留守にすると言って――そのまま、何か術をかけたのだ。

そして気付いたら、ここにいた。

「…帰ってきたら、咬み殺してやる」

幻術は、苦手だ。
しかも骸のそれは巧妙で現代に置いてもしばしば惑わされることが多かったのに、この時代の彼になんて到底適うはずもない。
現に何も感じず見えないこの空間に身を置いていると、一瞬意識を手離してしまいそうになるくらい無気力になる。
これも骸の仕業だろうか。
頭がぼーっとして、気持ちよくて、まるで麻薬のようだ。
だがこのまま思惑通りになるのは、癪だ。いくら骸でも自分を閉じ込めたらどうなるか知らしめる必要がある。
所詮は幻覚だ。それが分かれば、今の自分にも破るのは困難ではない。
そう思い、トンファーに手をかけたその時だった。

今まで感じたことのない寒気が、ぞわりとはるか遠くから異様なスピードで襲ってきた。

「…!?」

「やぁ」

気づいた時には、遅かった。
いつの間にと思う間もなく、目の前に知らない男が立っていた。
見たことのない、綺麗な青年。

「…だれ」

「やだなぁ、雲雀チャン。覚えてないの?」

馴れ馴れしく名前を呼ぶその男に、不快感を露わにする。
そもそも初対面でこんなにも気安く接してくる人間を雲雀は知らない。

雲雀が睨みながら黙り込んでいると、男は不適な笑みを浮かべた。

「ああ、そっか。君、10年前からやってきたんだよねぇ。じゃあ、僕の事知らなくても仕方ないか」

「…僕を、知ってるの」

「うん、知ってるよ?骸君がそれはもう大事に大事にしてるから、こうやってお話しした事はほとんどないけどね」

そこで初めて気付いた。
骸が気にしていたのは、この男か。
確かミルフィオーレとか、なんとか。

終始穏やかで笑みを崩さない表情なのに、彼から漏れる圧倒的な威圧感と得体の知れないオーラは雲雀をぶるり、と震わせた。

この時代の骸もそれなりに他者を寄せ付けないいかめしさはあるが、比ではない。
骸が雲雀に対し大事に扱っているという点を差し引いても、この男に近寄ってはいけない。
そんな骸の言葉の真意が伝わってくる。

「さ、おいで」

手を指し伸ばされて雲雀は後ずさった。
1歩、1歩。

けれど直ぐにどん、と何かにぶつかる。

何もないはずなのに、と窺うと背後からがっちりと身体を抱え込まれた。

「!?」

「雲雀チャン、逃げてもダメだよ」

白蘭の不気味な声が後ろからも聞こえる。確かに今目の前にいるのは、紛れもなく彼なのに。
頭が混乱した。

「さ、こっちにおいで?」

重ねて言われるそれに雲雀はトンファーに手をかけた。
けれどそれよりも早く目の前に靄がかかる。

なんだろう、これは――と察する間もなく、意識が遠のく。

今まで前後から聞こえてきた白蘭の声が脳内に直接響いた。
それはひどく楽しそうな、どこかで覚えのある響き。

「やっと、手に入れた」

そして何も抵抗できないまま――白蘭の腕の中で、気を失った。


2012.2.21


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