恋は幻惑にも似た(ゆずき凜乃様より/6918)


六道骸の言葉が嫌いだ。
抽象的なのに理屈っぽくて、
いつだって僕の感情を逆撫でする。





 恋は幻惑にも似た





 真新しい草を踏む、さくさくという規則的な音だけが辺りに響いていた。その足音はちょうど二人分。どちらも規則的であるが故に、その距離は即かず離れず、一定間隔を保って進行方向へと歩みを進めていた。
 イタリア東部の山岳地帯。雲雀は、ここ数ヶ月、派手に暴れまわっているという新興マフィアがいると聞いて、偵察兼撲滅に向かっていた。そろそろ敵の縄張りに差し掛かろうというところ、そのような状態にもかかわらず、このミッションにはまるで意識を集中させてはいなかった。失敗する可能性など皆無に等しい赤子の手を捻るよりも容易いレベルの案件だと高を括っていた。
 それよりも、だ。
 周りに潜んでいるかもしれない敵の気配よりも、風紀財団にとって有益になりそうな情報収集に努めるよりも何よりも、後ろに続く足音だけに注力するかのように耳をそばだてていた。
「半径一キロ以内に入らないでくれる?」
 一時間以上続いた無言に堪えかねて、視線は前に向けたまま雲雀は口を開いた。その声に反応するように、後方の人物はゆらりとその気配を強め、その存在を主張する。
「おやおや、それでは一緒に任務を遂行しているとは言えませんよ」
「同行を願った覚えはないよ、六道骸」
「沢田綱吉の、……我々のボスの命ではありませんか」
「白々しい」
 沢田を自分のボスだなどと思ったことなど、一度たりともない。それはお互い様であるはずだった。それを今更のように骸が口にするときは、何か裏があるに決まっている。
 不意に風に乗せられるかのように死炎印付きボンゴレ10代目からの勅書が雲雀の目の前にはらりと舞い落ちる。そこには確かに雲雀と骸に対する今回のミッション要請が記されていた。雲雀は足を止めてその文書を一瞥する。ゆらゆらと揺れるその死ぬ気の炎は、たしかに一見、大空属性のそれに見える。しかし。
「こんな陳腐な幻覚が?」
 指摘されて骸はゆっくりと笑みを浮かべると、雲雀の前に歩みを進めた。腰を屈め、指令書を拾い上げようとすれば、触れた部分から砂が手の平から零れ落ちるようにさらさらとその紙は空中に拡散していった。
「お見事ですね、雲雀恭弥」
「僕をなめてるの?」
「まさか」
 目の前で笑う骸を睨みつけるも、その不機嫌な自分の表情をむしろ愛でるように骸は口の端を上げて笑っていた。
(もっと早く咬み殺しておくべきだったな)
 そう思ってから、雲雀はふと自分の行動に疑問を感じた。最初から偽文書とわかっていたはずなのに、なにゆえ骸の同行をここまで許したのか。
 本能のままに生きている雲雀にとって、通常、理屈など必要はない。嫌なものは嫌であり、排除するのに躊躇などしない。他人の感情をいちいち察して汲めるほど器用ではないのだ。だからこそ、その彼のプライべートスペースに踏み込める人物というのは貴重な存在であるわけで。しかしその意味を雲雀自身はまだ理解できてはいない。それ故、こうして本来なら答えの出きっている態度にぶち当たっては、自分の行動に疑問を覚えるのだ。
「君にはがっかりしたよ六道骸―――」
 立ちはだかるように目の前に立っていた骸の横を通りすぎ、再び目的地へと歩みを進める。山間にあるため、徒歩でしか辿り着けない場所にあるのだ。まだ数時間この状態を続けないといけないことを思うと、こんな任務を引き受けたことを今更ながらに後悔し始めた。
「―――群れないところだけは評価してあげていたっていうのに」
「おや、君に評価していただけていたなんて光栄です」
「どういうつもりなの」
 こんなくだらない狩りに付き合うために偽文書まで作ってくるなんて、と付け加えれば、お決まりの笑い声が背後から聞こえてきた。何がおかしいのかさっぱり理解できない。
「簡単ですよ、いつも言っていることです。君といる時間は長いほうがいい、ただそれだけです」
 雲雀の後を追うように、再び骸も歩き始める。やはり一定の距離を保ったまま、即かず離れず。
 不愉快な気持ちが抜けない。こっちはイラついているというのに、いつだっておかしそうに笑う骸の態度に、雲雀は眉根を寄せる。背を向けているおかげで、この表情が見られていないことだけは幸い。本心かどうかも怪しいくだらない愛の告白など聞き飽きた。下手に反応するよりも無視を決め込んだほうがいいと、雲雀は長年の経験で理解してきていた。
「僕はそんな時間は短いほうが―――」
 雲雀が言葉を切ったのは、ちょうどそのとき、無線の受信を感知したからだった。雲雀ではない。着信は骸に、であるが。
 耳をそばだてれば、女の声が聞こえた。
「おや、僕の可愛いクローム、どうかしましたか?」
 雲雀に通信相手の声は聞こえないが、骸が無線に応じている声をただ静かに耳に入れていた。
「いいえ、すぐに戻りますよ、ええ」
 自分に話す声よりも、少しばかり柔らかな物言いだった。笑う声もどこか楽しげで、雲雀に話すときのような挑戦的な態度は微塵も感じられない。当然といったら当然なのかもしれないが、自分を愛していると10年来言い続けた男の態度としては、雲雀にとってはどうにも腑に落ちない部分に感じられた。
「クフフ……一体今日はどうしたというのですか、心配など無用。お前を置いてどこかに行くことなどありえません」
 ああ、なんだろう、この感情は。変なたとえではあるが、敢えていうなれば、懐いていたヒバードが急に他の人間の肩に止まっているような。妙な喪失感と焦燥感。
 雲雀は足を前に進めながらも、骸の声が耳に入る距離を保ちつつ、自然とゆっくりとした足取りで歩みを進める。
 さく、さく。
 僕は何をそんなに気にしているのだろう。そう思っても、骸の声に聴き耳を立てるという行為を止めることができない。だんだん、通話相手であろうクローム髑髏の声が聞こえないことさえもどかしく感じてきてしまう。さく、さく、と草を踏みしめるその音さえも煩わしく感じてしまうほど。
 そんなことを考えていたら、雲雀はいつの間にか自分でも気づかないうちにその歩みを止め、後ろを振り返っていた。
「迷惑なんてことはありえませんよ。お前のことはいつも気にかけているのだか―――」
「ねぇ」
 考えるより先に、骸の耳に嵌められていた通信用機器を引き抜くと、そのままバキっと力任せに半分に砕いた。驚いたように目を見開いた骸であったが、続く雲雀の言葉を聞けば、また先ほどと同じ笑顔で愉快そうに笑うのだ。その態度が癇に障り、思わず声を荒げて対抗してしまう。
「僕を無視するなんてどういうつもり」
「クフフ……」
 骸が笑えば笑うほど、それに比例するかのように雲雀の表情は険しくなっていく。
「何がおかしいの」
「雲雀恭弥、君は今自分が何を言っているかわかっていますか?」
「質問しているのは僕だよ、君は僕とクローム髑髏とどっちが大切なの」
「クフフ……ハハハハ」
「だから何がおかしいの」
 ただ、単純な疑問を口にしただけだ。この上もなく自分を愛しているというのだから、当然に一番気にかけ、何時も目を離すことなどない、まして目の前にいるのに無視するなんてことありえないのではないのか。雲雀自身は「愛している」などという感情は生まれてこの方持ったことがないため、それは想像にすぎないのではあるが、一般論としては間違っていない、……はずだった。
「いえ、クフフ、本当に気づいていないのですね」
 骸お決まりの抽象的な問いかけの答えはまったく思い当たらず、不愉快な気持ちだけを抱えて睨みつけていれば、急にその手がこちらに伸びてきて、雲雀の腰を引き寄せた。
「ちょ」
 そのまま抱きすくめられる形になれば、自然と肩に力が入るものの、雲雀はもはや抵抗することを忘れている。その抱擁は言ってみれば“慣れた行為”。人の経験とは恐ろしいもので、徐々に慣らされた行為というものは本能的に一定の反応しか取れなくなるという。いわゆるパブロフの犬。
 抱擁――それは、骸が10年かけて培った雲雀を大人しくさせる魔法のような行為だった。相手の身動きをとれなくする反面、自分自身も相手の懐に入り、かつ背中を完全に丸出しにしていることにもなる。そんな敵対心のない、捨て身のその行為は、人を愛することを知らない雲雀にとって奇妙な愛情表現だったのだ。興味本位で受け入れているうちに、気づけば当たり前のようにその腕に収まるようになっている。
 慈しむように髪に口づけられ、不快とも、単にくすぐったいだけともとれる奇妙で不確かな感情が胸に流れ込む。耳元で甘く囁かれ、雲雀はそのまま黙ってその声に耳を傾けていた。
「君は自分と他人を同じレベルで考えますか?」
「?」
 相変わらずの謎掛けのような問いかけに、眉を顰める。いつもすぐに答えを言おうとしない骸に、苛立ちばかりが募る。
 その想いを感じ取られたのか、宥めるように骸の手が脇腹を撫でる。蠢く指は、それ自体が一つの生き物のように雲雀の身体を這いあがった。胸の辺りまで来たところで、それを制止するように手に手を添えて押さえ込み、キッと睨み付けるも、返ってきたのはまた相変わらずの不敵な笑み。
「クロームは僕自身。自分と君と、どちらが大切かと問われれば、答えに窮します。しかし、クロームを他人と捉えるのであれば、間違いなく君のほうが大切ですよ」
 だから安心してください、と付け加えられたが、わかったようなわからないような屁理屈に、雲雀は不満の色を露わにする。
「信じられないな」
「信じたいのですか?」
「うるさいよ」
「言葉など必要ないと?」
 勝手な解釈を――と声に出そうとしたはずだったが、それは塞がれた唇によって音にはならなかった。一瞬の出来事だったが、離れる間際に乾いた唇を舌で舐めとられ、思わずぴくりと肩を震わせてしまう。
「そろそろ僕のものになってくれませんか、雲雀恭弥」
 頬に添えられた骸の手の平は、こんな標高の高い山奥だというのに、妙に熱い。こんなにも、この男の体温は高かっただろうか。否、いつだって自分に向けられた視線は、態度は、熱っぽさを含んでいたかもしれない。
「君は僕の標的でしかないと言ったはずだよ」
 気丈な態度も、反抗的な言葉も、困惑を含んだ雲雀の瞳がすべてを否定してしまう。その隙を見破られたのか、雲雀は添えられた骸の手を鬱陶しげに払いのけるも、そのままその手を反され握り込まれてしまう。
「クフフ……面白いことを言う。でも気づいていますか?意識している時点で、君はもう僕を己の領域に入れているということに」
「な…」
 “好き”の反対は“嫌い”ではなく、“無関心”だとはよく聞く話だ。つまり意識することそれ自体に多大なる価値が存在する。
 骸は、雲雀の手を引き寄せ口元にあてると、ちゅっと音を立てて指先に軽く口づけた。その指の向こうに見えているであろう雲雀の表情は、どんな焦りを浮かべていたのだろう。
「今日は、ここまで、ですかね」
 身体を解放され、我に返れば、雲雀はこれ見よがしに服を払った。そんな姿など気にも留めていないのか、行きましょうか、とだけ呟いて、何事もなかったかのように骸は先を急ぎ始める。
 踏みつけた通信機が小さくパキっと音を立てた。



 六道骸の言葉が嫌いだ。
 抽象的なのに理屈っぽくて、
 いつだって僕の感情を逆撫でする。

 こうやって今日も、僕を惑わすのだから――。



Fine



blueRose+ のゆずき凜乃様より頂きました!
元々twitterでむくたんのお話を読ませて頂いたところ続きが気になっておねだりしたらこんな素敵なお話を書いて下さいました…!
骸さんと雲雀さんの割り切った、でも魂で繋がっている不可解な関係が大好きなのでとても感情移入してしまいました。特に冒頭のモノローグの神経を逆なでする存在、それがラストの無関心ではなく嫌いという答えが出た時に二人の関係がどう変わるのかとか、骸さんの楽しそうに中途半端に手を出すところが全てツボで読んでいてごろんごろんしてしまいました。
基本ディノヒバ書きさんなのにDH前提むくひばをリクエストしてしまったのですが、やはり最後はハッピーエンドが好きだからと幸せなムクヒバを書いてくださり、その気持ちわかりますと心の中で何度も呟いてみたり。後この二人のフルネーム以外の呼び方がわからないというコメントに笑ってしまいました。
ですよね!
この度は、違うCPにも関わらず素敵なお話をありがとうございます!
これからも影ながら応援しております^^




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