名前を呼んで(匿名様/骸雲)


「ところで、いつから恭弥は名前で呼んでくれるんですか?」
「は?」
「だから、名前です」

――厳しかった寒波を過ぎ、肌に優しい風がそよぐように舞う5月の半ば。
お互い世界中を飛び回る中、帰国時期が重なったのは数ヶ月ぶりのこと。
久しぶりの逢瀬を楽しんでいる最中に言われた言葉は予想外のもので、案の定雲雀は首を傾げた。

「大体僕が『恭弥』と呼んでるのに、いつまで経っても『六道』ですし、下手をすればフルネームの初対面扱いですよね」
「そ、それは…今までがそうだったんだし…」
「もう昔ではありません。れっきとした恋人でしょう」
「…それは」

雲雀は人間関係において常に希薄だった。こうして骸と恋仲になってもすぐに密な関係を取れるかといえば、そうではない。
逆に骸は性格にこそ難はあるものの、基本的に社交的に接することが出来る。その差は歴然としていた。

「跳ね馬の事は名前で呼んでるじゃないですか」
「それは、…うるさいから」
「ずるいと思わないですか?――名前で呼べませんか?」

いつも以上にしつこい骸に、雲雀は困り果てた。
跳ね除けるのは容易いことだ。だが、自分でもどこかで名前で呼ばない事に後ろめたさはあるし、骸の気持ちは嬉しく思う。
だからこそ、直ぐに受け入れるのは難しい。

「どうして今日はそんなにしつこいの」

その言葉に、骸は一瞬沈黙した後、「やれやれ」と肩を竦めた。

「残念。結構、頑固ですね。恭弥は」
「なに?」

ようやく諦めたのか、骸は身体を離した。
そして机の上の雑誌を広げる。それは、どこにでもある情報誌。任務において幅広い知識を植えつけるためだけに目を通している低俗な雑誌だ。

「ここに書いてたんです。恋人のことを名前で呼ばないのは愛が足りないのだと」
「…は」
「別に疑うわけではありません。ただ、そういえば名前で呼ばれたことはないですし、気になって」
「くだらない…」
「自分でもそう思います」

拗ねる骸の姿を見て、雲雀は思わず吹き出してしまった。普段は容赦のない手段で獲物を逃がさない六道骸が、名前一つでこんなにぐるぐる悩むなんて。

「そうだね。君が僕の欲しいものをくれたら、考えても良い」
「欲しいもの?」
「分からない?」

挑発するように仕掛け、黙り込む骸に「分からないなら…」と口を開いた瞬間。

急にぐい、と腕をひかれる。

「…ん…っ」

強引に後頭部を引き寄せられ、唇が合わさった。ただ触れ合うだけかと思うそれは長く続き、息苦しさに胸をたたくとようやく解放された。

「…っ、何考えてるの」
「おや、違いましたか?自信あったんですけど」
「知らないよ」
「すみません。ただあまりにも久しぶりでしたし――」

いつになく必死な様子の骸に、雲雀は諦めたのか肩で息を吐く。

「仕方ないね。一度しか言わないよ――む…」
「む?」
「むく…」
「むく?」
「むく…」
「恭弥?」
「――おわり」

「は?」

あと少しというところで、雲雀は踵を返した。

「ちょ、あと少しじゃないですか」
「知らないよ」

骸の言葉などまるで気にも留めず、雲雀はそのまま背中を向けると部屋から出て行ってしまった。
その様を呆然と見送っていた骸は、直ぐに小さく笑う。

「やれやれ…本当に、可愛いですね」

雲雀が名前を呼ばない、本当の理由。
それを、骸は知っている。知っていて追い詰めるような真似をするのだから、我ながら趣味が悪いとは思う。

(確かに、名前で呼ぶのは簡単です)

呼ぶだけなら、そうだろう。

けれど、それだけではない強い思いがあるからこそ、気軽には口に出来ないのだ。大事な想いであればあるだけ、雲雀の心に深く刻み込まれる。

本当に、可愛くて仕方がない。

このままずっとその愛しさを抱いておきたい所だが、残念ながら残された時間には限りがある。あの調子だと雲雀の方から折れる気配はなさそうだし、どうやって機嫌を取ろうか。

骸はゆっくり立ち上がりながら、まだほのかに香る残り香を追って後に続いた。


→リク内容:「小さなことで言い争う骸雲」

2012.05.14



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