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「帰った…?」

ディーノが商談を終えて足早にホテルに戻ってきたのは、すっかり辺りも暗く日も落ちた頃だった。

確かにいつもの時間よりは遅いが、夕食を共にする雲雀が帰るには早すぎる時間だ。

雲雀がホテルに来ていると連絡を受けて、ロマーリオにからかわれながらも膨大な量の書類を片付けてきたというのに。
久しぶりに雲雀に会えると思っていたから、さすがに落胆の色は隠せなかった。

雲雀の気まぐれはいつもの事だしそのこと自体にはさほど驚きはしないが、何もせずにわざわざ帰るというのも珍しい。

「来た時は大人しくしてたんですが、暫くして…いきなり部屋を出てきたんです」

「いきなり?」

「はい」

言いながら頷いたのは自分やロマーリオがいない間、日本で雲雀の様子を見させている幹部の1人であるイワンだった。
群れることが嫌いな雲雀には出来るだけ誰もつかせていないが、ディーノがいない時は雲雀に分からない程度に近づかず、けれど何か起きた時にすぐ対処できるように――と部下に言い聞かせていた。

日本はいくらか安全とはいえ、敵対しているファミリーから狙われることがないとは言えない。
ましてディーノやロマーリオが外出している時は尚更だ。

いくら雲雀が並外れた戦闘力の持ち主とはいえ、相手は残虐を厭わないプロの殺し屋だから、中学生の雲雀はどうしても彼らの経験よりは劣るだろうし、現に未だに雲雀はディーノに真剣勝負で勝てずにいる。

雲雀は認めたがらないが、少しずるい戦い方をすれば拘束するのは容易い。

(忘れちまうけど、まだ中学生…なんだよな)

人と群れたがらない雲雀が、自分にだけは興味を示してくれる。
最初はただ純粋に戦いたいから、という理由も今ではそれだけではないものに変わった。

だから、接することが危険なことだとは分かっていても、ディーノ自身それを咎めようともしなかったし、雲雀の行動に制約をつけなくなかった。

――というのは建前で、実際こうして会いにきてくれることがとても嬉しかったし、ディーノ自身望んでいることだから今までは大して気にも留めていなかったのだが、何かが起きてからでは充分遅いことも自覚している。

だからこうしていつも自分がいない時に何かがあったのではと不安を覚えることも少なくなかった。

「それなら、大丈夫だろう。いつもの事だからな。念のために、後で電話してみるから」

だが、イワンは首を横に振った。

「それだけじゃありません。問題なのはその後で…帰ろうとしていたので若いもの声をかけてしまったんです。今日はたまたま人手が足りなくて慣れない人間がいたものですから、恭弥の事を知らなくて」

「ああ」

「そうしたら…」

その時の事を思い出して、イワンはほのかに頬を赤らめた。

「?」

「ええと…いきなり、その、」

「どうした」

今まで理路整然と言葉を紡いでいたイワンに、ディーノはわずかに眉を顰める。

「すみません。あの、大きな声では言えないんですが…「初めてって面倒?」と…」

「は?」

はじめて?

ディーノは噛みあわない会話に、思わず目を丸くした。

というか、雲雀が自ら口を開くことにも驚きの色を隠せない。
自分やロマーリオならまだしも、名前も知らない人間相手に言うのは『噛み殺す』くらいなのに。

「その時の表情が、その、中学生に見えなかったので思わずその場にいた全員がちょっと動揺してしまって」

マフィアにはあるまじき姿だが、普段話しかけても近寄っても来ない1匹狼の雲雀が妖艶さを携えてそんな事を聞いてくれば、その反応も仕方ないだろう。

皆が呆気に取られ答えが返って来ないことに雲雀は苛立ちを露わにすると、そのまま去っていったという。

「ボス、何か覚えは」

「覚えっていったって、日本に来てからまだ恭弥には会ってねぇし…」

考えれば考えるほど、分からない。

初めて――というと、そういう事しか考えられないが雲雀の口からそんな単語が出てくるとは思えない。

それほど雲雀からは性的な匂いを感じたことがなかったし、寧ろそういう俗物的な話題は嫌うんではないだろうか。
それがなぜこんな話になるのか、さっぱり分からない。

「で、恭弥はどこへ行くと言ってた?」

「それが、その…一番近いホテル街を聞かれまして」

「教えたのか?」

イワンは後ろめたさを隠せずに、小さく頷いた。

ここで口を閉ざしたからと言って、あの雲雀の事だからどんな手を使っても吐かせただろう。

ここから近いホテル街といえば、同性愛者が多くて有名な繁華街だ。
いくら彼がしっかりしていても言葉巧みな大人の口車に乗せられて――手遅れになるなんて事もあるかもしれない。

その前に補導でもしてくれればいいがとも思ったが、雲雀に限ってそれはないだろう。
並盛一帯を仕切っているのは彼なのだから。

「とりあえず俺とロマで行ってくるから、お前らは持ち場に戻ってくれ」

「分かりました」

「もし恭弥が戻ってきたら、すぐに連絡してくれ」

「僕が、なに」

「だから、恭弥を――…って、恭弥!?」

不意に背後から声がしたかと思うと、学ランに身を包んだ雲雀が首を傾げて立っていた。

「お前、どうしてここに…つーか、どこ行ってた」

「どこ、って…この子がお腹空いたって言うから、パンを買いに」

「ゴハン、ゴハン」

雲雀の真似をするように、肩に乗っている黄色い小鳥が嬉しそうに鳴く。

「帰ったんじゃねーのか」

「帰れって言うなら、帰るけど」

「いやいや、まさか!とにかく、良かった…」

いつもと何ら変わらないやり取りに、ディーノを初めその場にいた全員が脱力したのだった。


2011.11.17


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テーマ「人外ファンタジー」
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