2


ロマーリオに案内された部屋は、一番奥まった広い一室だった。扉の両側には体格の良い黒服の男が二人佇んでおり、見るからに物々しい。
「俺はここにいてるから、何かあったら直ぐに呼んでくれ」
「うん」
雲雀が中に入ると、静かに扉が閉まり、部屋の片隅に備え付けられた大きなベッドに彼はいた。
音を立てないように近寄ると、今まで見たことのないような弱々しい姿が目に飛び込む。布団から伸びる白い腕には点滴のコードが繋がっていて、額には濡れタオルが載せられている。そしていつもにこやかに笑う口元は苦しく荒い息を繰り返し、自分を甘く映す双眸はきつく結ばれている。
「…跳ね馬」
そ、と傍に寄るとディーノがぴくり、と反応を見せた。
とんでもない高熱だと言っていた。
「だから、連絡してこなかったの」
「ん…」
「本当に、バカだよね」
ベッドの傍らに備え付けられた椅子に腰掛け上から見下ろすと、ディーノの睫毛が二度三度揺れたような気がする。サイドテーブルには、先ほど一瞬だけ繋がった携帯電話。
こんなにひどい状態なのに、かけてきたのだろうか。
「ねぇ」
ディーノは、言っていた。
何があっても、日が変わる頃に告げたいことがあると。
「後、5分だよ」
時計を見ると、12時まで残りわずかになっていた。
「何を言いたかったの」
そう。今までにないくらい真剣な眼差しで、ディーノは何度も何度も懇願した。

『恭弥、日が変わったら言いたいことがある』
『大事な話が、あるんだ』

「約束、守りなよ」
小さく告げると、布団の中から伸びた手がぴくりと動いた。
「…?」
そして視線で追う間もなく、伸びた手が雲雀の腕を捉える。
「!?」
「…弥?」
気づくと、ディーノの固く閉じられた双眸はしっかりと雲雀を映していた。いつの間に、と思いながら、雲雀はやんわりと力ない腕を戻すように促す。
「起きたの」
「…一体、なにが…。…っ、」
ディーノは起き上がろうとしたが、急激に見舞われた頭痛に顔を顰める。雲雀はため息をつきながら、
「まだ寝てなよ。ひどい熱なんだって?」
「熱…?そういえば、ロマと話してて急に倒れて…そのあとの記憶が、ねーな…」
「ボスが聞いて呆れるね。体調管理もできずにぶっ倒れるなんて最悪だ」
「…手厳しいな」
ディーノが柔らかく、笑う。どうやら先ほどよりは良くなっているらしい。
「髭の人を呼んでくるよ」
雲雀が腰を上げようとした時だった。強い力でまた腕を掴まれる。
「…なに」
「恭弥、覚えてるか?約束」
時計を見ると、デジタルは23時59分をさしていた。こんな状態でも雲雀との約束を優先するディーノを馬鹿ではないかと思う反面、病人相手に無駄話は不毛だと素直に頷く。
「あなたが勝手に言ったんでしょ」
「相変わらずだな。…指、出して」
ディーノに言われて、大人しく差し出すと、どこからか小さな指輪を取り出してきた。
「まだ先だが、高校を出たら受け取ってくれないか」
「なに、これ?」
白く細い指にはめられる。左手の薬指。その意味は、雲雀でも知っている。
エンゲージリング。
「なんの真似?」
「愛してる」
「…知ってるよ」
熱のせいで寝ぼけたのだろうか、と思った。だが、ディーノの眼差しはしっかりと輝きを増し、雲雀だけを映している。
「恭弥は?」
「無理やりはめられた指輪を取って良いなら、答えてあげないこともない」
「それは、NOってことか?」
「…」
じ、と左手の薬指を見つめる。
心臓につながる神聖な指――だから、エンゲージリングやマリッジリングをはめると言われている。だが、こんなもので繋がる愛の証が必要かと言われれば、正しくディーノの言うとおり「NO」だ。
雲雀は指輪を外すと、ディーノの掌に押し付けた。
「こんなものが、必要?」
「恭弥…」
「僕を指輪で繋ぎ止めれると思ってるの」
「いいや」
ディーノの指先が頬に伸ばされる。まだかなりの熱をもって、肌を彷徨う。
「好きだ、愛してる。どんな言葉を以てしてもお前は動じない。贈り物でもそうだ。それなら、契しか思いつかなかった。ずっと傍にいて欲しいし、いたい」
「…あなたの言う言葉やものにどれだけの力があるか分からないけど、待っている間いろんな事を思った。あなたは絶対に約束を破らないし、嘘はつかない。僕を好きだという気持ちを隠しもしなければ、誇りのように思っている。どんどん侵食されていく。気づけば、あなたのことばかり考えてた。それだけじゃダメなの」
きっぱりと言い放つ雲雀に、ディーノは大きく息を吐き、苦笑いを浮かべた。
「恭弥は強いな。少しは不安にならないのか?」
「どうして。あなたは、僕を好きなんでしょ。違うの」
「違わねーけど…」
「それなら、不安を感じる方がおかしいよ。それでもあなたが僕の気持ちを疑って不安でたまらないっていうなら、あなたの言う形で繋ぎとめればよい。だけど、そんなもので拘束出来ると思ったら間違いだよ」
「ああ…」
「あなたが一番に望むことは何?」
飾りのない言葉に、ディーノは目を閉じてゆっくりと開いた。
「ありがとう」
「え?」
「生まれてきてくれて、出会ってくれて、俺を選んでくれて『ありがとう』それだけだ」
「それだけ?」
今度は雲雀が目を丸くする番だった。暖かい腕が首ごと引き寄せ、ディーノの胸元へ抱え込まれる。不自然な体制にもかかわらず、身体が動かなかった。
「ああ。形にこだわるのは確かに信じきれずに不安だったからだ。誰かに奪われちまうんじゃないか、って」
「僕は強いよ」
「分かってる。心も体も――誰よりもな。だから」
ほんの少し身体を離して、ディーノが笑顔を浮かべる。
「愛してる」
「さっき、聞いた」
「何度でも言うさ。愛してる。言わないと、溢れてきちまう」
「溢れさせときなよ」
「愛してる」
「うるさい」
じたばたと腕の中でもがく雲雀を、ディーノは離さなかった。
何度も何度も愛してる、を告げられて雲雀の心が薔薇色に染まる。モノクロだった何もない心が、愛情豊かに。
雲雀の色がディーの色に浸透する。
「だから、少しずつ」
雲雀からの『愛してる』も溢れてくるだろう。たくさんの愛情を受けて、とろとろと溢れる想いを一人では受け止めきれずに。
「一緒に育もう?」
その言葉に雲雀は応えなかったが、心の中でそっと口にしてみた。
(愛してる)
それだけで、ぽわ、と胸の中に広がる愛しさを確かに感じ取り、自然と口元が緩む。
(これが、ディーノの気持ち)
顔をあげて至近距離でディーノの顔を真正面から映すと、少しだけ胸が踊った。
ドキドキ、と高鳴る音はディーノが髪を撫でる仕草で一気に高まる。
「どうした?」
「…別に」

ディーノの腕に抱きかかえられるのはとても気持ちが良い。
自分だけに聞こえる声で「あいしてる」を繰り返すのは、とても心地が良かったから、いつか言葉にしてみても良いかとはほんの少し思った。
そう、それはディーノの前が良い。

『愛してる』

その言葉で何かが変わるというのなら、試す価値はありそうだ。
なんといってもディーノはたくさんのことを、雲雀に教えてくれたから。一度くらい騙されても良いかと思う。

きっと彼は一瞬驚いて、それからすぐに雲雀の好きなはちきれんばかりの笑顔を浮かべるだろう。その顔を見るのは一見の価値がありそうだ。
その事を思いながら、雲雀はディーノの暖かい腕に包まれて、小さな笑みをこぼした。


fin


2013.1.6→2013.2.1




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