1


望みがないと分かっていても、諦められない想いがある。

その眼差しに映っていなくても、既に特別な誰かがいても――本気になった相手なら、尚更。

最初は傍にいれるだけで充分だった。

それがいつからだろう。

少しでも役に立ちたい。
支えになりたい――と思い始めたのは。

このままではいけない、そんな余計な想いを抱いてはいけないと分かっているのに、止められなかった。

強く美しく成長していくあの人の隣があまりにも心地よすぎて。


―――ただ、一つだけ。


あの人の傍にいる彼の存在だけが、自分を留まらせる最後の砦だった。











ストン。
遠慮がちに障子の向こうから様子を窺う気配に続き、低い声が襖を通し響く。

「恭さん、ただいま戻りました」

部屋着にしている着物に身を包んだ雲雀が無言を貫いていると、暫く経ってそれは少しずつ開かれた。

「失礼します」

書を写してた筆を止め部下である草壁に向き直るとその表情は芳しくなかったが、雲雀は肩で息をつくだけで済ませた。


新しい匣兵器の情報が違う場所で同時に入り、草壁を飛ばせたのは、数日前のこと。
先に戻った雲雀同様、今回はどちらも有力な情報ではなかったようだ。

「すみません、こちらの調査不足で」

「仕方ない。そういう時もある」

ふ、と翳られた雲雀の眼差しに、草壁が眉を顰める。

「恭さん、昨日もお休みになられてないのでは」

「そんな事ないよ」

「いいえ、顔色を見れば分かります。今日は午後からディーノ氏とお会いになるんでしょう。それまでお休みになられては…」

最後まで言わず容赦なくトンファーが飛んでくるが、吹っ飛ばされるまでの威力はなかった。

「……っ!」

「僕に意見するなと何回言えば分かる?」

「すみません。出すぎた真似でした」

ふん、と雲雀が踵を返した瞬間。
雲雀の身体が小さくよろめき、草壁がほぼ反射的にその身体を支えると、見下ろす先にある顔色がひどく悪い事に気付いた。

「…恭さん。顔色が」

「なんでもないと言ってる。離して」

「しかし…」

草壁の主は自分の力量をちゃんと分かっている。
滅多なことで倒れないし、体調管理も申し分ない。
だが、傍目で見ている分、ボーダーライン限界である極限状態を常に保っている姿はひどく不安定だった。
現にここ数日の雲雀が休んでいる所を、草壁は見ていない。

「とりあえず水を持ってきますから、寝室へ」

「必要ないよ」

「いえ。お願いですから――」

懇願する最中、顔をあげた雲雀とこれまでにない至近距離で視線が合う。

その驚くほど綺麗な黒い眼差しに、言葉を失った。

(――あ…)

あまりにも美しく、儚く、今にも壊れてしまいそうなそれに時間が止まった。

今まで幾度もその眼差しから逃したことはないのに、こんなにも優美で穏やかな表情をしていただろうか。

何者にもとらわれず、常に強さと正しさを凛と放つ瞳しか、草壁は知らない。

(こんな恭さんは…)

腕の中でたおやかに大人しく佇む存在は知らなかった。

「哲?」

しっとりした空気が漂い、今まで感じたことのない感覚に動揺が沸き起こった時だった。




「――草壁」



言葉と共に痛すぎる視線を感じ振り返ると、目の前に飛び込んできた人物に息を呑んだ。

「ディーノさん…!」

「…恭弥、どうしたんだ?」

言いながら歩み寄ってきたのは、上品な白のスーツをきっちりと着こなしているディーノだった。

いつもより険しい表情と張り詰めた緊張感を纏う彼に、草壁は一瞬身体を凍らせるが、直ぐに雲雀の身体を離した。

「あの、寝不足みたいです」

「平気だって言ってる」

草壁の声を遮るように、雲雀が眦を引き上げる。

「恭弥。草壁に当るなよ」

ディーノが優雅な仕草で雲雀の手を取ると、雲雀はいつものようにぴしゃりと跳ね除けるが、腰に回された手はそのままだった。

「草壁。奥の部屋、しばらく使わせてもらうぞ」

「承知しました」

「ちょっと、跳ね馬…」

「良いから、良いから」

雲雀の小さな抵抗を封じ込め、二人が奥の部屋――雲雀の寝室へ姿を消すと、途端に全身から力が抜ける。

(はぁ…)

ディーノが来てくれて、良かった。
あのままだったら自分がどうなっていたか分かったものじゃない。
きっとその前に雲雀に叩きのめされるだろうが、そういう問題ではない。

主をそんな目で見ている自分が信じられなかったし、またそういう風にも思われたくない。それほど自分にとって雲雀は神聖で崇高な存在なのだ。

だが、年を重ねるごとに強さだけでなく、花開くような魅力を醸しだす彼の存在は草壁を惑わすのに充分だった。

このまま傍にいられなくなるなんてことは、考えられない。

雲雀の信頼を損なうくらいなら、死んだ方がまだマシだ。それだけは何があっても譲れない、草壁の生命線だった。


「ピ」

いつの間にか肩には雲雀のペットである黄色い小鳥が止まっていて、無垢な眼差しを向けていた。

この小鳥もまた、雲雀の底知れない魅力に誘われた一羽なのだろう。

「ヒバリヒバリ」

「恭さんは…しばらく使い物にならないから、外で遊んでると良い」

「ウマ、ウマ」

ヒバードは奥の部屋に視線をやったが、すぐにまた小窓から外へ飛んで行った。

風が心地よく舞い込み、涼やかな感覚に心が洗われる気がした。


2012.1.4


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -